どうする家康完結! 信康自刃「二俣城」には、村上春樹の世界の終り的な場所も
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大河ドラマ「どうする家康」が完結。賛否あった大河でしたが、若者向けの明るく華やかな画面構成は、過去の大河やTBS時代劇の名作「関ヶ原」などへ、いざなう内容だったとも言えそうです。
最終回の余韻冷めやらぬなか、「どうする家康」のゆかりの地のなかで、岡崎城はじめ混雑しているスポットを除いた、ぜひ訪ねたい穴場をシリーズでご紹介します。第1回は二俣城(静岡県浜松市天竜区)です。
二俣城は、最終回に瀬名とともに姿を現した、家康との間の子・松平信康が、武田家との通謀を疑われ自刃した場所です。今でも、戦国の世に散った信康の影が感じられる二俣城には、どのように行けばよいのでしょうか?
二俣城跡は、天竜浜名湖鉄道の二俣本町駅から、徒歩10分の場所にあります。東京からなら、新幹線の掛川駅で降り、二俣本町駅まで天竜浜名湖鉄道で約50分の道のりです。
土日祝日はやや混みあっていますが浜松城や同じ場所のドラマ館(2024年1月14日まで開館)を見学されたい場合、浜松駅を利用します。遠州鉄道で西鹿島駅まで行き、天竜浜名湖鉄道で1駅、二俣本町駅へ向かいます。
大阪、名古屋方面の方なら、浜松駅経由が便利です。ただし、愛知県周辺から来訪の場合、JR東海道線と、のどかな天竜浜名湖鉄道(写真)を乗り継ぎ、新幹線代を浮かせることも可能です。
二俣城最寄りの二俣本町駅
二俣城最寄りの、二俣本町駅に到着! 周りには何もなく、旅情あふれる、素晴らしい場所です。平日ならほとんど人はおらず、土日祝日も訪ねる人は少ないです。
実は、お隣の天竜二俣駅の方が栄えています。二俣の町が栄えたのは、天竜川が山地を抜け平地に顔を出し、東西の道が横切る交通の要所だったからです。
二俣城は、山と天竜川に囲まれた天然の要害。浜松一帯の支城の要となり、今川や徳川、武田といった有力大名がその領有を争った歴史があります。
二俣本町の町を見下ろし、二俣城へ登ります。階段は、写真に写っているものがメインで、全体として比較的楽に登れます。
二俣城跡に到着! 現在は天守台が残されています。
松平信康の自刃は、1579年。それに先立ち1572~1575年にかけ、この城を巡って、徳川家康と武田信玄・勝頼親子との攻防戦が繰り広げられました。
結局、武田氏が占拠し、浜松城、三方ヶ原へと軍を進めます。三方ヶ原の戦いでは、家康が命からがら逃げ延び、身代わりを買って出た夏目広次(吉信)らを失ったとされます(『徳川実紀』)。
※天守台は、徳川家康が江戸に移った後、豊臣家の家臣が築いたものです。
家康の子・松平信康は、二俣城で自刃しました。
介錯を命じられていた服部半蔵は、あまりの悲しみに刀を振り下ろすことができず、代役が任を務めたと伝わります。
二俣城を背にさらに進むと、天竜川の美しい流れと、印象的な堤防が広がります。堤防に囲まれた集落も不思議な趣があり、ぜひ立ち寄りたい穴場です。
村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に描かれた、厚い壁に閉ざされた町を思い起こすかも知れません。
高い堤防の先には、鳥羽山城跡があり、対武田戦では、徳川方の本陣が置かれました。
このほかのゆかりの地は、下のページも参考とされてください。
【どうする家康】ゆかりの地(城・古戦場)一覧と旅行モデルコース(とらべるじゃーな!)