「報道の自由」を殺す東京地裁の「忖度判決」―パスポート強制返納裁判、杉本祐一さんは控訴
シリアでの取材を計画していた新潟県のフリーカメラマン、杉本祐一さんが、外務省にパスポートに強制返納させられたことや、新たに発給されたパスポートが渡航先を制限されたものだったことは不当だと訴えた裁判の判決が19日に言い渡された。東京地方裁判所の古田孝夫裁判長は「渡航すれば生命に危害が及ぶ恐れが高いという外務省の判断は合理的だ」として、杉本さんの請求を棄却。杉本さんからの訴えや憲法で保障された「報道の自由」を考慮せず、外務省側の言い分を無批判に受け入れた「忖度判決」であった。
◯裁判の主な争点
杉本さんは、一昨年2月、シリアへ渡航する計画を立てていたが、外務省からパスポートの返納を命じられ、その後、新たに発給されたパスポートも、イラクとシリアへの渡航を制限されたものであった。これに対し、杉本さんは同年7月、一連の処分の取り消しを求め、東京地裁に提訴していた。筆者はほぼ毎回、本件裁判を傍聴したが、主な争点は、以下の5つだったと言えるだろう。
1)「報道の自由」「取材の自由」「海外渡航の自由」の侵害か否か
2)杉本さんのパスポートを強制返納させる必要性があったか否か
3)安倍政権の保身のための関与の是非
4)強制返納にいたるまでの手続き上の違法性
5)再発給されたパスポートの渡航制限の違憲性・違法性
裁判で杉本さんは「安倍政権の都合で、パスポートを強制返納させたことは、報道の自由、取材の自由、海外渡航の自由を侵害し、裁量権の範囲を逸脱、または濫用するもので、違憲・違法である」と争った。旅券法19条には、「個人の生命や身体、財産の保護」のためであれば、個人にパスポート返納命令を出せる、としている。しかし、この命令は憲法第22条で保障された「海外渡航の自由」を制限するため、慎重な運用が求められる。しかも、杉本さんのケースだと、憲法23条で保証された「報道の自由」、同条で尊重される「取材の自由」までが制限されるため、なおさら慎重さが求められた。実際、メディア関係者への返納命令は、杉本さんの件が戦後初の事例だ。そのため、本裁判では、本当に杉本さんにパスポートを強制返納させる必要性があったのか、そもそも外務省は杉本さんの生命を保護するためにパスポートを強制返納させたのかが問題となった。
◯強制返納の必要性はあったのか?
杉本さんがパスポートを強制返納させられた2015年2月当時、シリアではIS(いわゆるイスラム国)による、後藤健二さんと湯川遥菜さん誘拐殺人の直後であり、同国ではアレッポなどで政府軍VS反政府軍の激戦が繰り広げられていたことは事実だ。ただし、杉本さんが取材を行おうとしていたところは、ISから奪還された都市コバニであり、反ISのクルド人勢力によるプレスツアーも行われ、朝日新聞の記者もこれに参加していた。筆者自身も紛争地での取材を行う者であるが、ISが排除され、武装したクルド人勢力の警護の下での取材ならば、安全管理は容易な情況にあったと言えよう。東京地方裁判所の古田孝夫裁判長、大畠崇史裁判官も「2015年1月に米国国防総省はクルド人勢力がコバニの90%を奪還したと発表」したことや、上記プレスツアーで邦人記者が無事帰還したことも事実認定している。それにもかかわらず、「コバニ情勢はなお安定していなかったというべき」という外務省側の主張そのままに、旅券強制返納を「適当」としたのである。仮に、ISの支配下にある都市での取材であるならば話は別であろうが、プレスツアーなどが行われるような地域での取材でパスポートを強制返納させるとは過剰反応だ。古田裁判長が紛争地取材について素人であるのは仕方ないにしても、素人だからこそ、もっと誠実に杉本さんの主張に耳を傾けるべきだった。
また、古田裁判長ら東京地裁は「トルコ国境に集結していた邦人記者たちを個人が特定できるかたちでインターネット上に配信されていた」と外務省の主張をまる飲みにしたが、そうしたIS側の監視が行われていたのは、ISの最大拠点ラッカに通じ「イスラム国の正面玄関」とも言われるアクチャカレ検問所であり、クルド人勢力が奪還したコバニではない。古田裁判長らは、杉本さんに対しては「地域や時期に応じて情勢は異なるというべき」と指摘する一方で、異なる場所での出来事を混同する外務省に主張を認めるなど、その判断は明らかに矛盾している。
外務省は杉本さんの記者会見での発言を引用して「自由シリア軍の支配地域での取材を行う可能性があった」と指摘、古田裁判長もこれを問題視したが、紛争地で取材するジャーナリストとしてその地域で取材するか否かの判断は、あくまで情勢次第であり、安全確保が難しいのであれば、当初予定していた取材を断念することも当たり前なのである。そうしたジャーナリストの経験と知識に基づいた自己決定に、国家が強制力を持った介入を安易に行うことを許したら、紛争地取材などできなくなる。古田判決は、日本人ジャーナリストの紛争地取材を脅かすもの、ひいては「国民の知る権利」を阻害するものだとして、大いに批判されるべきだ。
◯問われなかった安倍政権の関与
外務省側が強引な理屈をこじつけて、異例中の異例の処分を行った背景として、安倍政権の露骨な関与があったことも、古田判決では無視された。これまで幾度か筆者の記事で触れた通り、新聞報道で杉本さんのシリア渡航計画を知った杉田和博内閣官房副長官は、外務省の三好真理領事局長(当時)を呼びつけ、旅券強制返納が決定された。福島瑞穂事務所の協力の下、杉本さん側は証拠を提出したが、驚くことに外務省側は、事実関係の認否すらせず、徹底的にこの問題から逃げ回った。外務省側が主張するような、「杉本さんの生命、身体の保護」が目的ではなく、「第二の後藤・湯川事件」が起き、政府対応への批判が再燃することを恐れた安倍政権が自らの保身のために、旅券強制返納を行なわせたのであれば、法の恣意的な濫用であり、大問題である。杉本さん側は三好元領事局長の証人尋問を求めたが、古田裁判長らはこれを認めなかった。その一方で、判決において「専ら政権の保身を目的としたものであったとはいえない」と評しているが、一体、何を根拠にそうした評価ができるのか。三好元領事局長の証人尋問もしないで、外務省側に忖度するような解釈をしたと断じざるを得ない。
◯法手続き上の争点
裁判では、杉本さんにパスポートを強制返納させたこと自体だけでなく、その手続きも争われた。パスポートを奪うということは、個人の権利を制限することであり、いわゆる不利益処分である。そのため、実際に処分を行うまえに「聴聞」という手続きを行う必要がある(行政手続法13条1項)。「聴聞」とは、行政処分にあたり、処分される当事者に対し事前に通知し、後日に主張・弁解する機会を与えて処分決定の正当性を担保するというもの。杉本さんの場合、2015年2月7日の晩、自宅前で外務省職員と警察官が前触れもなく待ち構えており、彼らとの短いやり取りの後で、パスポート強制返納を命令された。したがって、聴聞が適切なかたちで行われたとは言い難い。定められた手続きを経ない処分は違法となるため、杉本さん側は「パスポートの強制返納は手続き上も違法」だと主張したのだ。これに対し、外務省側は「杉本さんが逃亡する恐れがあった」と主張。「公益上、緊急に不利益処分をする必要があるため、意見陳述のための手続を執ることができないとき」は聴聞を省略できるという行政手続法13条2項1号に当てはまるものだったとして、正当化。古田裁判長らも、外務省側の主張を支持した。だが、杉本さんはパスポートの返納に応じた理由として「自分が逮捕されたら家族や活動を支援してくれている人々に迷惑がかかると思い、苦渋の決断で応じた」と語っている。仮に杉本さんが逃亡した場合、それこそ逮捕され、杉本さんの周囲に迷惑をかけてしまうことになる。また、仮にパスポート返納に応じず、取材に向かったとしてもシリア周辺国に通知し、杉本さんを強制送還させることもできる。外務省側の主張は詭弁で、実際には上記した内閣官房からの圧力を忖度して、処分を急いだ、というところだろう。聴聞が行われなかったことの是非という争点においても、安倍政権の関与が重要な意味を持ってくるわけであるが、上記したように古田裁判長らは、三好元領事局長の証人尋問すら認めなかった。
◯渡航制限も正当化
再発給されたパスポートの渡航制限の違憲性、同手続上の違法性についても、杉本さん側は「渡航制限は、パスポート強制返納と連続的、一体的なものであるというべきだから、外務大臣の裁量範囲を超えた違憲・違法なものであり、シリアのみならず、イラクまでも渡航制限することは過剰な制限」「パスポート強制返納と連続的、一体的であり、個人の権利を制限している以上、聴聞を行わなかったことは違法」と主張した。だが、古田裁判長らは外務省側の主張を丸呑みして「連続的、一体的ではない」「渡航制限は裁量の範囲、過剰ではない」とした。
◯杉本さんは控訴、東京高裁では憲法重視の審理を
以上が、パスポート強制返納裁判の主な争点と判決の問題点であるが、古田裁判長らがまとめた判決は、憲法で保障・尊重される「報道の自由」「取材の自由」、「海外渡航の自由」をあまりにも軽視し、外務省の主張ばかりを支持した「忖度判決」であった。かねてから、日本は三権分立が不十分だと学識経験者や司法経験者からも指摘されているが、あらためて「司法権の独立」を疑わざる得ない忖度ぶりである。判決後の記者会見で、杉本さんは「今回の判決が悪しき前例となり、フリーランスのみならず、マスメディア関係者の取材活動も制限されないか危惧する」と語った。杉本さんは、近日中に東京高裁に上告するという。杉本さんと同じく、紛争地を取材するフリーランスの記者として筆者も、東京高裁で、より憲法、報道の意義を重視した審理が行われることを期待したい。
(了)