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米国の孤独・孤立というエピデミック(上) 米医務総監も苦しんだ孤独という闇

片瀬ケイ在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー
国民のお医者さん ビベック・マーシー米医務総監の心配ごとは新型コロナだけじゃない(写真:ロイター/アフロ)

孤独・孤立の広がりは米国でも

 5月末に、米国の医務総監が「SNSを1日平均3時間以上使う若者はうつ病のリスクが倍増する」など、若者のSNSの長時間利用が心の健康に影響を及ぼすリスクについて勧告し、日本でもさかんに報道されたようだ。

 連邦政府の保健福祉省に所属する医務総監は「国民のお医者さん」とも呼ばれる存在だ。6500人以上の医療専門家からなる公衆衛生士官部隊を率いて、災害やテロ、国内外の突発的な感染症発生などの危機に即時対応する。一方で、公衆衛生と国民の健康にかかわる重要な問題について、調査で得られた科学的根拠をもとに勧告や国民への呼びかけをするのも役割の一つだ。

 ビベック・マーシー医務総監は、若者のSNS使用に関する勧告に先立つ5月3日にも「孤独と孤立という私達のエピデミック(Our epidemic of Loneliness and Isolation)」というより大きなテーマの勧告を発表している。孤独や孤立が個人の健康に与える影響と、社会に与える影響を様々なデータをもとに説明した上で、政府や国民が考えるべき対策を含む内容だ(注1)。

 「孤独は、単なる気持ちの問題ではありません。個人だけでなく、社会の健康を害するもの。お互いを思いやる社会を再構築しなければ、私たちの社会にはいま以上に怒りの感情や病気、孤立が蔓延してしまう」と、マーシー医務総監は危機感をあらわにしている。

孤立の早死にリスクは1日15本の喫煙に匹敵

 勧告書では、社会的孤立を「社会的なつながりや役割が乏しく、社会参加や交流が希薄な状態」と定義し、孤独については「孤立を自覚したり、個人が望む状態と現状の間に満たされていないニーズがあったりすることで生じる内面的な状態」だと説明している。

 人生の中でどちらも多くの人が経験するものとはいえ、それが改善されないまま長期間にわたると深刻な健康問題に発展するという。インターネットの利用で、仕事、買い物、食事の配達も自宅から出ることなく行える時代になったが、人間には「人とつながりたい」という生物学的な欲求があり、それが満たされなければストレスになる。実際、コロナ禍で長期間の行動制限を強いられた時に、精神的ストレスや肉体的な不調を感じた人も少なくないはずだ。

社会的なつながりが希薄な状態が恒常化すると、不安症や鬱になりやすいだけでなく、心疾患のリスクは29%、脳梗塞のリスクは32%、認知症のリスクが50%上がることがわかっている。さらに高齢者を12年追跡調査したところ、孤独を訴えた人達はそうでない高齢者と比べ認知機能の低下が20%早かったという。

 また孤立したり、社会的サポートが希薄だったりすると、循環器疾患や糖尿病、認知症など様々な慢性疾患の原因となる体内の炎症反応が高まるという研究結果もある。孤独や孤立により早死にするリスクもそれぞれ26%、29%上昇し、1日15本の喫煙に伴う早死にリスクに匹敵するという。

 しかし2022年の調査では、他の人としっかりしたつながりを感じていると答えたのは、米国の成人の39%にとどまっている。またコロナ禍が始まる前の調査でも、すでに約半数の成人が「孤独を経験している」と答え、特に若年層でその割合が高い。一方で、恒常的に孤独や孤立を感じている人でも、それが問題だと認識している人は2割以下にとどまる。孤独や孤立は、無意識のうちに多くの人の健康を蝕む公衆衛生上の大きな問題だ。

孤独だと口にできない

 マーシー医務総監が孤独や心の健康に注目する理由は、人々の意見を聞くために全米を回った際に、驚くほど多くの人が孤独や孤立に直面していると実感したからだ。ほとんどの人は「孤独だ」とは言わない。そのかわりに「すべてを自分ひとりで背負わなきゃいけない気がしてつらい」、「自分があす消えてしまっても、世の中は何も変わらない」、「誰も自分のことなど気にかけていない」といった心情を吐露するという。

 「周囲から弱い人間だとか、人から好かれない性格の人間だと思われると恐れて、孤独だと口にすることさえできないのです。だから私自身も長い間、自分が孤独だと打ち明けられずにいました」と、マーシー医務総監自身も告白する。「孤独を恥じる意識を変えたい」と、同医務総監は様々なメディアで孤独に関する自らの体験を積極的に話している。

 マーシー氏はインドから英国に移民した両親のもとに生まれ、幼い時に家族とともに米国に渡った。内気で奇妙なアクセントの英語を話す非白人の子供だったマーシー氏は、ときに学校で「ガンジー、ガンジー」とからかわれ、友達ができずに学校のカフェテリアでひとりでランチを食べることも多かったという。両親に「友達がいなくて寂しい」とは恥ずかしくて打ち明けられず、孤独に対するストレスは高校で仲間といえる友達に出会うまで続いたという。

 その後、父親と同じ医師の道を志し、2014年に37歳という若さでオバマ大統領の指名で医務総監に就任するが、トランプ政権に変わると任期半ばにして解任された。バイデン政権で再任命されることになるのだが、解任された当時は急に仕事や仕事仲間と切り離されたうえ、それ以前の友人たちとのつながりもすでに希薄になっていた。温かい家庭があっても、この時も口には出せない孤独感にさいなまれる日々を送っていたという。

 妻の励ましを受けて自らの孤独と向き合う中で、孤独が個人や社会に与える影響をはば広く調査し、2020年には「Together: The Healing Power of Human Connection in a Sometimes Lonely World(トゥギャザー:時には孤独な世界で人とのつながりが生む癒しの力、未邦訳)」(注2)を出版した。同書の中でもマーシー氏は、孤独や孤立が人々の健康や経済状況に影響を与え、自殺の増加、政治観などによる対立など深刻な社会問題の原因になっていると指摘する。

 勧告書の中では、人々をつなぐ多様なコミュニティ形成を促進する社会インフラの再構築を提言する一方で、一人ひとりが思いやりやつながりを大切にする文化が必要だという。「日常生活の中で人と触れ合い、愛を与え、愛を受け取ることに癒す力があります。愛こそが、最も古くからある薬なのです」と、マーシー医務総監は様々な場で発言している。ちょっと気恥ずかしくなるような言葉だが、これが孤独の闇を自ら経験した「米国民のお医者さん」の処方箋だ。

 次回は、勧告書で指摘された孤独・孤立というエピデミックによる米国社会の問題について紹介します。

参考リンク

注1 孤独と孤立という私達のエピデミック(Our epidemic of Loneliness and Isolation)勧告書 (英文リンク)

注2 ビベック・マーシー氏のウェブサイト(英文リンク)

在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー

 東京生まれ。日本での記者職を経て、1995年より米国在住。米国の政治社会、医療事情などを日本のメディアに寄稿している。2008年、43歳で卵巣がんの診断を受け、米国での手術、化学療法を経てがんサバイバーに。のちの遺伝子検査で、大腸がんや婦人科がん等の発症リスクが高くなるリンチ症候群であることが判明。翻訳書に『ファック・キャンサー』(筑摩書房)、共著に『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)、『夫婦別姓』(ちくま新書)、共訳書に『RPMで自閉症を理解する』(エスコアール)がある。なお、私は医療従事者ではありません。病気の診断、治療については必ず医師にご相談下さい。

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