いじめ不登校からの脱出
夏休み明けに子どもの自殺が多い問題を毎年取り上げています。「死にたくなるくらい辛いなら学校に行かなくていいよ」という論調が世間にも広がっています。しかし、さらにそこから重要なことは、そのように休んだ子がどのように立ち直っていくかを支援することです。このたび、その参考書となる書籍に出会いました。小学3年生の子どもがいじめられ、不登校になり、そこから復帰するまでの家族の記録が記載されています。著者はお父様です。このようにいじめの詳細な経緯が記された資料は非常に貴重です。なかなかその実態は明らかにされないからです。その本の内容を振り返りながら、考えてみたいと思います。
「うちの子もいじめられました」
「いじめ不登校」から「脱出」まで150日間の記録
鈴木真治著 WAVE出版
○いじめの経緯
今回いじめの対象になった子は小学3年生の男の子です。4人家族で、3歳上のお姉ちゃんがいます。2人とも東京都内の公立小学校に通っていました。小学2年生の頃から異変が起き始めました。5月に運動会の練習後に押されて前歯の永久歯を折ってしまいました。当時は不運な事故として処理されていました。その後次第にこの児童のノートが隠される、体育着・筆箱がなくなるなどが頻発するようになっていきました。
3年生になり、クラスは変わり、担任の先生も変わりました。4月早々からいじめがますます激化していきます。「くさい、汚い、死ね、消えろ」などの言葉が日常的に浴びせられるようになり、仲間はずれ行為も起きていきました。そして「もうダメだ」と児童はお母様に訴え、その頃より不登校になってしまいました。
このような状況に対し、残念ながら学校の対応は後手をふんでいました。新任の担任教師は対応が遅れ、いじめの激化を止めることができませんでした。不登校が始まってから加害児童にも個別に学校から指導があり、家庭にも共有されましたが、時すでに遅しの状況でした。
「今はつらい思いや、嫌な思い、怒りの気持ちとかがコップをこえてあふれてきちゃうんだ」
児童が不登校になった当時語った言葉だそうです。
○被害児童に起きたこと
被害児童にはいじめを通じて様々な症状が出てしまいました。
・不眠(眠れない、眠ってもすぐに目覚めてしまう)
・甘え(特に母親への甘え)
・恐怖心(子どもへの恐怖、何かが肌にぶつかる恐怖、街を歩くのも怖がる)
・トラウマ(「くさい」と言われお風呂でゴシゴシと入念に体をこする)
・攻撃性(姉や親への攻撃的な発言、態度を諌めると極度の落ち込み)
いじめられていた時の状態を児童はこんな言葉で表現したそうです。
「舌を手で引きちぎられるような感じ」
そしてある時は死を予感させるようなこともついに口にしたそうです。ご両親の絶望的な気持ちを考えると胸が潰れそうです。
結果、このご両親は我が子のためにある決断をします。2学期から環境を変えて児童は小学校に復帰し、良い担任の先生に恵まれて、学校に戻っていったそうです。もちろんその後も簡単に復帰できたわけではないことが記されていますが、今でも学校に無事に通えて、友達などもできて元気にしているそうです。
○本件から学ぶこと1「学校の対応の重要性」
この件で学ぶのはまずは学校でのいじめの一次対応の重要性です。いじめの問題をすべて学校のせいにしてはいけませんが、やはりクラスの中で起きていることを最も早く敏感にキャッチできるのは担任の先生です。本件では残念ながら1・2年の担任(恐怖政治の女性教師)、3年の担任(若くおとなしい男性教師)の影響は大きかったようですし、後日学校側も対応遅れの落ち度を認めています。学校は「いじめ対応最優先」で臨まねばならないことを肝に銘じる必要があります。そしてさらに今回の件では担任の先生に依存する体制への不安も明らかになっています。たまたま不慣れな先生に当たったことで一生取り返しのつかないことになる懸念も含めると常に複数の目で学級を見続けることも重要です。
○本件から学ぶこと2「早期対応が全て」
とにもかくにもいじめは早期対応が重要です。子どもはどうしてもからかい行為などは避けて通れないところがありますが、まだ小さな芽のうちに摘んでおけばどうにかなるものが、放置され続けると重大な被害に発展します。今回の件でも新年度が始まって3週間で事態は大きく深刻化してしまいました。4月で学校側もバタバタしていたことでしょうが、1日も早く手が打たれていれば違ったと感じます。先生は新しい学校に慣れるまでアイドリング運転だったかもしれませんが、児童は前の学年からの関係を引っ張っていますし、まして4月は児童同士も緊張していてトラブルが起きやすく、また新たなクラスでの関係性マップを形作るべく、児童同士でマウンティングやレッテル貼り行為も行われます。早期の対応、そして学年最初の3週間は極めて重要な期間です。
○本件から学ぶこと3「本人及び家族の大きなトラウマ」
いじめが起きるとその児童には大きな心の傷が残ります。今回の件でも様々な深い傷がありありと本には記されています。そしてその時の心境を表す児童の言葉は驚くほど語彙が豊かです。私はその子について「かなり頭の良い子、それにしても小学3年生になりたての言葉としてはすごいな」と感じながら読んでいました。いじめの状態や自分の心境を様々に例えて表現されています。「自分の厳しい状態を表現するある種の生存本能」のようだったとお父様は振り返られています。
またご家族も苦しみ続けました。お母様は自殺を考えたこともあったようですし、ご両親にも祖父母にも大きな負担が生まれています。カウンセラーに相談し続ける両親の悩みも生々しく記されています。
これらの傷は少しずつ癒える部分はあるでしょうが、一生完全に元通りにはならないと感じます。いじめはそれほど厳しい問題です。
○本件から学ぶこと4「復帰は相当の大仕事」
今回の件ではなんとか児童は復帰ができましたが、それは家族、学校総がかりの大仕事でした。児童は学校に行けないだけでなく、街を歩くのも怖くなってしまっていました。本人も家族もギリギリの状態です。それを学校側が理解し、新たな担任・管理職含めて、アンテナを高め、問題に適切に対処していったことで対応できました。本にも記されていますが、このような深い傷を負った子が数カ月で復帰できたのは「稀に見るほど早く、異例のケース」です。多くの子が復帰できないし、この児童は小学3年生だったので救われたかもしれませんが、生死を明確に意識できる小学高学年以上になると、自殺のリスクが大幅に高まります。いじめが一旦起きると戻すのは大仕事ですし、最悪のケースにもつながる、だからこそ「そもそも起こしてはいけない」のだと強く感じました。
○本件から学ぶこと5「学級崩壊といじめはコインの表裏」
本件では小学1・2年次の学級崩壊状態、それを無理矢理押さえつける状況から担任が変わり一気に崩れていく様子が描かれています。学級崩壊といじめはとても近いところにあり、荒れたクラスで当然いじめは起きやすくなります。またクラスで多くの問題が起きるとひとつ一つの課題は見えにくくなり、先生の心身が乱れることでますます問題が起きやすくなる負の連鎖が始まります。
今現在、時に学級崩壊状態が見受けられるように思います。心身に不調をきたす先生も数多くなり、1年のうちに何人も先生が交代してしまうケースもそれなりの頻度で耳にします。学級崩壊が起きている時、同時にいじめの発生を警戒せねばなりません。
○最後に
文部科学省の今年の発表によると、2017年度のいじめの認知件数は小学校では31万件を超え、前年に比べて3割以上増加しています。小・中学生の不登校児童は14万人を超え、前年より1万人以上も増え、史上最多の人数を更新し続けています。子どもは減っていますが、いじめも不登校も増え続けているのです。
まずは早期の対応力を学校がつけていくことが最優先だと考えられます。いじめの問題が取り上げられると、そもそも論として、社会背景の変化や現代の子育て事情の課題が叫ばれることがあります。また、本質的には子ども同士で解決されるべきだ、という正論も語られます。しかし、今回のケースを見ているとそもそも論や正論を待っているだけでは間に合いません。対応は一刻を争うスピード勝負であります。「いじめ防止対策推進法」が成立して久しいですが、改めて全ての学校関係者は命に関わるいじめの問題への対応を最優先と考えてほしいと感じます。
そしてもう一つ、これらの課題背景に「現代の子どもたちのストレス」を感じます。いじめ、そして学級崩壊は子どもたちからの悲鳴にも聞こえます。ストレスの高いクラスの状態が学級崩壊を招き、いじめにも繋がっていく構造を目にし、その問題にも中長期的に切り込んでいかねばならないと感じます。「学校が好き!」と心から言える子がもっと増えていくようになってほしいと願います。
そしてこの問題は学校だけでなく、社会全体の課題であります。学校現場を社会全体で支えることが大事です。教員という子どもにとって極めて重要なポジションにいる人を応援し、学校現場を支えていかねばなりません。もちろん実際に子育てを行っている人は、自分の子どもにしっかりと言い聞かせることや、何かそのサインがキャッチされたら学校現場に共有すべきです。
自殺などの大きなニュースが起きるたびに話題になるいじめの問題ですが、少し時間が経つとまた忘れられてしまいます。しかし、こうしている間にもどこかで被害が起きています。児童の命に関わる、あるいは命は無事だったとしても極めて深い傷を心に負う、このような問題は子ども関連では他に類を見ないほど深刻な社会課題です。改めて、そういう認識で対応を強めていきたいと感じました。
本書について言えば、いじめに関してこのような詳細な記録はあまり一般には見たことがありません。広く問題提起になると感じていますし、私もこの問題を今後も取り上げていきたいと感じています。
仮名という選択肢を取り、辛い過去を振り返りながらも、勇気を出して出版された著者のお父様に敬意を表します。