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放置された南北共同連絡事務所の残骸…非武装地帯の今

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
今年6月、北朝鮮により爆破された「南北共同連絡事務所」。9日、筆者撮影。

2020年に入り膠着状態が続く南北関係。筆者が参加した韓国のDMZ(非武装地帯)ツアーからも、その様子がありありと見て取れた。

●無残な姿をさらす「南北和解協力の象徴」

「あの黒い建物が開城工団支援センターで、その前にあるのが南北共同連絡事務所です。皆さんもご存じのように、今年6月16日、北韓により爆破されました。見ての通り、ガラスが破損したままの状態で今も放置されています」

今日9日午前、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)を一望できる都羅展望台で年配のガイド男性はこう説明した。

筆者が参加した京畿道坡州(パジュ)市が主催する『DMZ平和の道』ツアーでの一幕だ。ガイドも「まれに見る好天」と評した青空の下、開城工業団地の象徴とも言える建物は無残な姿をさらしていた。

2018年4月27日、韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩委員長は板門店で首脳会談を行った。この時に採択された『朝鮮半島の平和と繁栄、統一のための板門店宣言』により、南北関係は一気に雪解けムードとなった。

同年6月にはシンガポールで米朝首脳会談が、9月には平壌で再び南北首脳会談が開かれた。朝鮮半島はついに、非核化と平和協定の締結、そして米朝国交正常化ならびに北朝鮮に対する全制裁の解除がすべて同時に成し遂げられる「究極のゴール」の実現に向け、進んでいくものと思われた。

2018年9月、平壌市内でカーパレードを行う南北首脳。写真は合同取材班。
2018年9月、平壌市内でカーパレードを行う南北首脳。写真は合同取材班。

「南北共同連絡事務所」はそんな雰囲気のさなかの18年9月に設置された。「南北の当局間協議を緊密にし、民間交流と協力を円満に保障する」(板門店宣言)目的を持っていたが、機能したのはベトナム・ハノイで第二次米朝首脳会談が決裂する2019年2月末までのわずか数か月だった。

さらにトランプ−金正恩というトップダウンの米朝対話の枠組みを壊したくない北朝鮮は、米韓同盟に縛られ南北関係の独自改善に踏み切れない韓国に狙いを定め、19年後半から国営メディアを通じ罵詈雑言を繰り返すようになった。それでも変わらない韓国に業を煮やし、ついに今年6月、南北和解の象徴と言われた「南北共同連絡事務所」を爆破した。

当時、北朝鮮の李善権(リ・ソングォン)外相は「実践のない約束よりも偽善的なものはない」と言い放ち、金正恩委員長の妹・金与正氏は「対南(韓国)関係を対敵関係にする」と声を荒げた。いずれも金剛山観光や開城工業団地の再開に踏み切れなかった文在寅政権の「弱腰」を指摘するものだ。

その後いままで、南北関係はいつ終わるともしれない下り坂の中にいる。爆破当時の姿で放置されたままの「南北共同連絡事務所」が、何よりも現実を物語っていた。

南北共同連絡事務所は2018年9月14日に開所した。写真は統一部提供。
南北共同連絡事務所は2018年9月14日に開所した。写真は統一部提供。

北朝鮮による爆破直後の「開城工業団地支援センター」。20年6月17日の朝鮮中央テレビをキャプチャ。
北朝鮮による爆破直後の「開城工業団地支援センター」。20年6月17日の朝鮮中央テレビをキャプチャ。

黄色が「南北共同連絡事務所」、紫が「開城工業団地支援センター」。9日、筆者撮影。
黄色が「南北共同連絡事務所」、紫が「開城工業団地支援センター」。9日、筆者撮影。

●楽しいツアー

この日のツアーは朝10時から2時間半ほど行われた。坡州市が主催する臨津江(イムジンガン)のほとりに建つ南北分断を体験する観光地・臨津閣から始まる往復約20キロのコースはすべて、通常では入れない非武装地帯の名所を回る、面白いものだった(※現在、このツアーには韓国籍の人だけが参加できる)。

臨津閣から統一大橋に向けて1.3キロを歩く「DMZ生態探訪路」では最新式の監視カメラに見守られる中、普段なかなか見ることができない丹頂鶴の一団に出会えた。

また、探訪路の終点には1998年の6月と10月に1001頭の牛を率いて故郷・北朝鮮に向かうことで、2000年の史上初の南北首脳会談につながる大きな道を切り拓いた現代財閥の鄭周永(チョン・ジュヨン)会長を偲んだ牛のオブジェもあり、飽きさせなかった。いずれも撮影禁止だったのが悔やまれる。

次に向かった都羅展望台からは、冒頭部分の写真にあるように開城工業団地や北朝鮮の名山・松岳山(ソンアクサン)を一望できる。この展望台も過去、韓国軍が管理していたものから18年10月に坡州市が建てた新築のものに変わっていた。新型コロナウイルス感染症の拡散が落ち着けば多くの観光客が訪れるだろう。なお、撮影はここでだけ許された。

都羅展望台の全景。総工費70億ウォン(約7億円)だ。9日、筆者撮影。
都羅展望台の全景。総工費70億ウォン(約7億円)だ。9日、筆者撮影。

最後に訪れたのは「通門」と呼ばれる厳重なGP(Guard Post、警戒哨所・監視哨所)への入り口からさらに北側に向かったところにある、「撤去GP」だった。車一台がやっと通れる道をツアーバスが登るのだが、前後には兵士を乗せた軍の車両が付くものものしい警護だった。

たどり着いた小高い丘の上が、2018年9月の南北軍事合意書に基づき撤去されたGPの跡地だった。朝鮮戦争(1950年〜53年)後に設置され、1971年までは米軍が管理し、その後韓国軍が守り続けてきた通称「ナイト哨所」は18年11月に爆破され、12月に北朝鮮側のチェックを受け歴史の表舞台から姿を消した。

備え付けられた双眼鏡で北朝鮮・開城市のクムアムコルという農村を覗くと、小さなトラクターに山積みにされた草を運び、自転車に乗ってどこかに行く住民たちの姿がよく見えた。その傍らには、観光に訪れた韓国の市民達が残したメッセージボードがあった。「南北交流の活性化を願う」と書かれたものが目に付いた。

●再び動き出すのはいつ

2019年8月にスタートしてすぐアフリカ豚コレラ(ASF)により中断され、今年11月末から14か月ぶりに再開されたツアーからは、見てきたように南北融和ムードが色濃く感じられた。

まるで、南北連合から南北統一へと続く希望を少なくない市民が抱いた2018年当時から時が止まっているかのようだった。ただ、「南北共同連絡事務所」の無残な姿だけがその間の「断絶」を静かに語っていた。

実は筆者はツアーの途中から言いようのない怒りにとらわれていた。過去70年、多くの人が今なお停戦中の朝鮮半島を更新しようと努力したが、いずれも叶わなかったことを思い浮かべると叫びたい気持ちだった。

視界ゼロの南北関係。過去200万人が行き来した金剛山観光と、125の韓国企業が5万5千人の北朝鮮住民を雇用していた開城工業団地が動きだすのはいつになるか。

「撤去GP」から去る前に、茫漠と広がる南北軍事境界線を抱く非武装地帯の平原をもう一度目に焼き付けた。やるせなさは隠せないが、対話と交流を諦める訳にはいかないのだ。

都羅展望台から北朝鮮側を望む。中央右の山が松岳山だ。9日、筆者撮影。
都羅展望台から北朝鮮側を望む。中央右の山が松岳山だ。9日、筆者撮影。

ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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