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【光る君へ】若い頃の藤原道長は試験官の橘淑信を拉致し、試験結果を改竄させようとした

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
(写真:イメージマート)

 大河ドラマ「光る君へ」は「まひろ」(紫式部)が主人公であるが、藤原道長の登場シーンも多い。ドラマの中の道長は、非常に分別のある好人物として描かれているが、若い頃には悪いこともしていた。

 実は、若い頃の道長は試験官の橘淑信を拉致し、試験結果を改竄させようとしたので、取り上げることにしよう。

 その事件が起こったのは、永延2年(988)のことである。以下、元となる史料は『小右記』であり、次のように書かれている。

 中納言の道長は、屈強な従者に式部少輔の橘淑信を搦め捕るよう命じた。淑信を搦め捕ったあと、牛車に乗せず歩かせた。

 これは、甘南備永資の試験の件についてらしい。人々は嘆いたという。淑信の件を耳にした兼家(道長の父)は、道長を強く叱ったという。

 これだけでは少しわかりづらいので、補足しておこう。式部少輔の橘淑信は、式部省に勤める役人だった。式部省は、官人の採用や評価を司る役所である。

 そして、重要なことは、淑信が官人の採用試験の試験官を担当していたことだった。つまり、淑信は試験の内容や結果を知りうる立場にあったのだ。

 それにしても、道長のやり方は、いささか強引である。淑信を拉致することがそもそも感心しないが、牛車に乗せずに歩かせたというのも問題だった。当時、貴族が牛車に乗るのは当然のことで、仮に罪人であっても同じである。

 したがって、淑信くらいの人物が歩かされるというのは、甚だ屈辱的なことだった。仮に、人々が淑信の歩いているところを見たならば、大変驚いたことだろう。

 なぜ、道長はそういう蛮行に及んだのか。道長は永資の試験結果が思わしくなかったので、合格ラインまで結果を改竄するよう、淑信に迫ったのだろう。その結果、ことは人々の間に噂として広まり、道長は父から厳しく叱責されたのである。

 なお、残念ながら、永資のことは詳しくわかっていない(生没年不詳)。のちに、道長の家司として甘南備(大江)保資なる人物が登場するので、永資はその一族ではないかと考えられている。

 永資の名誉のために追加しておくと、のちに大活躍したことが知られている。長徳3年(997)、右衛門少尉になっていた永資は、強盗を捕らえた。さらに、強盗の仲間を捕らえるため、近江国に遣わされたという。

参考文献一覧

繁田信一『殴り合う貴族たち』(文春文庫、2018年)

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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