学校再開は学校丸投げ? 現場任せで懸念される、管理強化とゆるみ過ぎ問題
■学校再開、学校丸投げガイドライン?
文部科学省は昨日(3月24日)、全国の小中高校などが4月から学校を再開する際のガイドラインとチェックリストを示した。子どもたちの学びを止めないこと、学習の場を確保することは、とても大事なことだ。
だが、学校再開に向けて、対応するべきことなど、課題も山積みである。たとえば、マスク不足が深刻なか、どうしたらよいだろうか。しかし、今回のガイドラインを読むかぎり、あれをやれ、これに注意しろといった内容がほとんどで、実際の取り組みは、ほとんど各教育委員会と学校の工夫に任された状態である。ある小学校教員は、「学校丸投げガイドライン」だ、と述べた。
学校再開のガイドラン(一部抜粋、ぜひ全文をご覧いただきたい)
たとえば、小学生の低学年のクラスを想像してみよう。ガイドラインでは、「家庭と連携した毎朝の検温及び風邪症状の確認」をせよ、とあるが、家庭や児童によっては、してこない子、忘れてくる子もいる。おそらく多くの小学校には、体温計はたくさんの数はないし、おでこで、すぐピッと測れるようなものもない。校門で赤外線サーモグラフィーのようなもので測れる学校はほぼ皆無だろう。となると、学級担任は、それなりに時間をかけて、忘れてきた児童の検温の世話をすることになる。
「多くの児童生徒等が手を触れる箇所(ドアノブ,手すり,スイッチなど)は,適宜,消毒液を使用して清掃を行うなど」ともガイドラインは述べているが、これも、誰が、いつ、やるのだろうか。小学校は教員数が少なくて、担任以外の人員がとても少ない。学級担任は、トイレに行く暇もないくらい忙しい。人手不足なので、給食指導という名のもとに、給食の配膳から片付けを児童がやっているという側面もある(もちろん、教育上の意義、理由もあるが)。
しかも、児童によっては消毒液等にアレルギー反応を起こす子もいるかもしれない。
養護教諭(保健室の先生と呼ばれることも多い)も大規模校を除いて各校1人しかいない。教頭は過労死ライン超えで働き詰めの人が大半である。わたしが学校を訪問するとき、冗談交じりで、校長が「わたしが一番ヒマですから」といって教室(授業)の様子を案内してくださったりするが、授業時間中は、校長以外に空いている人がいないのだ(そして、もちろん、特に4月は・・・校長だって多忙だ)。
一番悩ましいのは、給食ではないだろうか。わたしは感染症の専門ではないので、リスクの大きさは判断できないが、ビュッフェ形式の会食なども危ないと言われているなか、教職員も児童も、給食はもっとも神経を使う場面だろう。ガイドラインでは、「食事の前の手洗いを徹底すること。会食にあたっては,飛沫を飛ばさないよう,例えば,机を向かい合わせにしない,または会話を控えるなどの対応が考えられる」と述べるにとどまっている。
■感染防止が一番大事だが、あれやるな、これやるなでは、子どももストレスフルに
「今回は未曾有の災害なのだから、文科省や政府のあれが悪い、これが不十分などと批判ばかりしてはダメだ。みなで知恵を出して協力していくべきだ」という意見もあろう。わたしもその意見には、半分以上賛成だ。
だが、問題点やリスクとして予想、想定できるものは、きちんと考えておきたい。
「丸投げ」ガイドラインのリスク、影響としては、両極端かもしれない、少なくとも2つのことが考えられる。
第一に、学校現場は、感染リスクを非常に重く見て、保守的になって、さまざまな制限をかけてくることだ。ある小学校教員はTwitterでこうコメントしてくれた。
文科省のガイドランでも、先ほど引用したとおり、給食中は「会話を控えるなどの対応が考えられる」とある。「〇〇が考えられる」といった表現は、文科省がよく使う言い回しで、学習指導要領の解説などにも出てくる。「たとえば、こういう取組もOKですし、それ以外の選択肢もあるでしょうね」というくらいの内容だとは思うのだが、学校現場のなかには、国にこう書かれると「〇〇せねばならない」と解釈してしまう人も少なくない。
さて、もう一度、小学校の1、2年生をイメージしてみよう。いくらコロナのリスクがあるからといって、給食中、黙っておきましょうね、で何カ月もいけるのだろうか。また、それが果たして教育的に望ましいのだろうか。このあたりの疑問に、文科省はなにも答えない、黙ったままだ。
子どもたちも、コロナにかからないかなど、心配、ストレスがたまりやすい日々が続いている。給食くらい楽しい時間にしたいと思う子もいるだろう。だが、学校や教員のなかには、多少でもリスクのあることは、やめておいたほうが批判されないし、国のガイドラインでもそう書いているし、無難だ、という発想をする人もいる。
授業中だって、対話的なアクティブ・ラーニングをもっとやろうとしていた矢先のことである。グループワークなどは手段に過ぎないので、講義形式の一斉授業が一概に悪いとか、アクティブでないと言うことはできないが、感染が心配だからといって、授業中の子ども同士の対話等を減らしてしまうのだろうか?
学校にもよるが、保育園などと比べて、小学校に入ると、管理強化となる学校、学級もある。あれはいけません、これはいけません、となる例もある。「ブラック校則」は主には中学校、高校の話で、小学校では稀だが、小学校では担任の指導で、管理が強くなることがある。
たとえば、ことあるごとに先生が「グー、ペタ(ピタ)、ピン」と指導する例があるそうだ。机とおなかの間はグーが入るくらいのスペースを空ける、足裏はペタん(ピタっと)つける、背筋はピンと、というのが正しい姿勢というわけで。きちんとした姿勢は大事だと思うが、あまりにも子どもたちを型にはめようとするのは、窮屈だし、こういう管理強化が嫌で不登校になる子もいると聞く。これでは、指導のための指導になっている、手段の目的化だ、と批判されても仕方ない話だと思う。
今回の新型コロナ対策で、こうした管理強化の学校、授業が増えるかもしれない。ここがわたしが懸念する1点目だ。学校再開に向けた問題は、マスク不足だけではないのだ。
■ゆるめ過ぎてしまう例も増えるかもしれない
現場丸投げのリスクの2点目は、まったく逆に触れるケースである。つまり、かなり大雑把になってしまう事態も想定される。
たとえば、部活動の再開を考えてみよう。
今回の休校で、全国的にも部活動が休止になったところがほとんどだ(わたしの調査でもこれは確認している)。生徒にとっても、部活動大好きな先生たちにとっても、歯がゆいことだった。教育課程である授業の再開がまだのなかで、部活(←教育課程外)だけ先に解禁するのもどうなのか、といった意見、見方もあるが、この春休みから、部活動が再開となる学校も少なくない模様だ。
だが、部活動でのコロナ対策はゆるくなり過ぎるリスクもあるのではないか。たとえば、運動部等の部室を想像してみよう。狭いし、換気もよくないところが多い。吹奏楽部では、運動部以上にハードな学校もあるが、きちんと換気をしたり(うるさいというクレームが来る可能性もある)、飛沫感染を防いだり、できるだろうか。
スポーツジムでの集団感染(クラスターの発生)事例があるのにもかかわらず、学校再開のガイドラインで部活動の記述は非常にそっけない。「3つの条件が重ならないよう,実施内容や方法を工夫すること」というくらいだ。本当にこのくらいしか書けなかったのだろうか。
やっかいなのは、部活動は勝負の世界で、競争原理が働いていることだ。ある近隣校やライバルがハードな練習を再開しはじめると、うちもやらねば、という発想になる人は多い(生徒も、教師、コーチも、保護者も)。多少体調がすぐれない場合でも練習や試合に出ようとする子もいるかもしれない。今後の部活動の大会、試合等にもよる話ではあるが、競争原理が強くなるなかで、感染症対策を忘れることはなくても、二の次となるリスクや、慣れてくるなかで、どこかなおざりになるケースが出てくるのではないか。
■文科省と専門家会議は、保育園、幼稚園での知見や海外の知見を示してほしい
子どもに関して、食事中や運動中、演奏中、あるいは授業での対話中の感染リスクがどのくらいかは、未知のことも多いだろうから、どういう措置がよいかは、誰もわからないことかもしれない。
もちろん、感染リスクは低いほうがよい。安全第一だ。だが、なにをやってもゼロにはならない、学校を再開する以上は。自動車事故のリスクがあるからといって、自動車を廃止せよとはならないのと似ているかもしれない。ある程度のリスクとは共存していく必要があるのかもしれない。そんななか、難しい判断を各学校、教師はすることになる。
が、そうした局面なのに、ガイドラインは、「給食や部活の前には手を洗いましょうね」といった当たり前の内容しか書いていない。たいして役に立たないのではないか。
国内にもたくさん参考になる先例がある。それは、休校しなかった保育園や幼稚園だ。政府の休校要請に、保育所、幼稚園は含まれなかった。給食や運動をしている園も多いだろう。
●給食や運動、合唱、対話的な学びをするときなどには、どんなことに気を付けたか。
現場で無理のないレベルのもので、できる対策にはどんなことがあるか。
●感染リスクはどの程度か。罹患した保育園児の事例もあるようだが、気を付けることは何だったか。
●家庭との合意形成や調整は、どうしたらよいか(通学・通園させる以上、感染するリスクは多少なりとも上がる)。
などの知見や事例を集めることができると思う。保育園は厚労省で、幼稚園、小中高は文科省の管轄などと言っている場合ではない。
また、海外の事例も参考になる。同じような悩みは各国あるのだから、国際的に協力してほしい。
今回の記事でわたしが指摘したようなことは、文科省の人もよくわかっているかもしれないが、こうしたことも含めて、ガイドラインをぜひアップデートしてほしい。また、各学校、教育委員会等としては、国の助言を待つだけでなく、知見を共有していってほしい、と思う。