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田代まさしさん逮捕も驚いたが、岡崎聡子さんの薬物依存獄中手記はさらに深刻だ

篠田博之月刊『創』編集長
イラストも入った岡崎聡子さんからの手紙(筆者撮影)

 田代まさしさんが薬物所持容疑で逮捕されて、私のところへも取材が幾つかあった。「アエラドット」「Nスタ」、そして「ミヤネ屋」などだ。ただ今回の逮捕については田代さん本人が否認しているようだし、そもそも私はこの3年ほど連絡も取ってないのであまり発言するのは控えようと思っていた。

 最後に会ったのは3~4年前、民間の薬物治療サポート機関「ダルク」の本部でだった。近藤恒夫代表にインタビューするために行ったら、田代さんが来ていて、久しぶりに話をした。田代さんは毎日、本部に来て電話取りなどいろいろな仕事をこなしているとのことだった。自分が電話口に出ているのに知らずに「田代まさしさんに取材をお願いできないでしょうか」などと言ってくるマスコミが結構あって、それに対して「わかりました。検討のうえ連絡します」などと知らんふりして答えているんだ、と笑って言っていた。

今回の逮捕は関係者には衝撃だったのでは

 田代さんは職員としてダルクに勤めながら、代表の近藤さんといろいろな講演会やセミナーに行っては啓発活動をこなしていた。何と法務省のイベントでも講演したりもしていた。法務省と言えば薬物を取り締まる役所だが、そういうところで「薬物の怖さ」を、体験を通して語るという講演だった。

 それだけでなく最近はユーチューブやネット放送、そして先頃はNHKのEテレにも登場していた。Eテレは私も見たが、ちょっとろれつの回らない独特の口調で薬物について語るのがなかなかリアルな味を出していた。それらも広い意味での啓発活動で、今回確認したら、ダルクがそういう仕事についても窓口になっていたらしい。

 いわば田代さんはダルクのシンボルのような立ち位置になりつつあったわけで、だからこそ今回の逮捕については、関係者は相当の衝撃を受けたと思う。ダルクで薬物治療にあたっている人でも、なかにはまた手を出してしまう人もいるらしいが、一度の過ちをしても咎めるのでなく、それをも克服していくことをさらにサポートするのがダルクの考え方だと以前聞いた。ただ、田代さんの場合は、啓発活動の象徴だったから、一般のケースとは話が違うだろう。

 田代さんについては前述したようにまだ容疑が事実かもわからないので、あれこれ詮索するのは控えよう。ただ私にしてみると、4月末に薬物使用で逮捕された岡崎聡子さんの一件がようやく刑が確定し、落着したというタイミングで(実はその間に高橋祐也君の逮捕事件もあったのだが)今回の田代さんの逮捕があり、改めて薬物依存について考えざるをえなかった。

東京拘置所、通称は「東拘」(筆者撮影)
東京拘置所、通称は「東拘」(筆者撮影)

 そこで今回、11月7日発売の月刊『創』12月号に掲載した岡崎さんの手記を紹介しようと思う。薬物依存の深刻さがよく描けていて、もう10年ほどのつきあいのある私が読んでも重たい気持ちになった。関心ある人はぜひ『創』で全文を読んでほしいと思うが、ここではその書き出しの部分を紹介しよう。かつてオリンピック体操選手として活躍した彼女や、その後タレントとしてテレビなどに出ていた彼女をよく覚えている人にとっては衝撃の手記かもしれない。以下、掲載した手記の引用だ。なかなかうまい文章だが、本人が書いたものである。

岡崎聡子さんの衝撃獄中手記

《赤いランドセルを背負い、道草が日課の私だった。

 母の夢。

「バレリーナか、体操をやりたかったわ、戦後のこの国じゃ、夢のまた夢よ」

 3歳からバレエを習い、9歳から体操を始めた。

 母の夢が私の夢へと変わる。

 毎日が楽しくてしかたない。

 憧れの選手に近づくために、一歩一歩本気で進む。

 そんな無邪気な一方、成長するにつれ、自分の存在が、常に正しく、努力家で、少し胸の張れる人間でいることを、自他共に求めてきたところもあった。

 いつからだろうか、時々、心に堅い鎧をまとうようになった。

 大きなケガが重なったころからだったのか?

 天真爛漫とは裏腹に、必要なこと不必要なこと共に耳を塞ぐようになった。

 小さな私だけの箱に引きこもり、頑張れない自分、弱い自分が受け入れられず、認められない。心は常に孤独だった。

 のちに、私は薬物使用で逮捕される。菊屋橋留置所の面会室。アクリル板の向こうの母の、指先のふるえが止まらない。

「あなたのおかげで、声が出なくなったわ、“失語症”」

 小さなかすれた声でそう話す。

 これを皮切りに、薬物使用を繰り返す私に、

 「あなたのせいで、私は全てのものを失ったわ」

 悲しい目で、度々つぶやく母。

 私には返す言葉もない。

 件の母も、父も、子供たちの父親も、前刑、公判中、受刑中にそれぞれ他界した。今となれば、そんな母の愚痴さえも、懐しく思える。

でも、誰のせいでもない。悪いのは、全て私なのだから、キツかった。

 受刑生活を繰り返してきた私だが、薬物使用を良いことだと考えたことはない。“やめたい”と思う気持ちはもちろんあるが、その思いが、どれほどのものだったのかと問われれば、いかんせん、心もとない。

 いつでもやめられる。そのための懲役であると思っていた。しかし、現実は違っていた。ほんのひとときの夢を前に、ためらいも、罪悪感も、“二度と再び薬物に手を染めないでほしい”と願う人たちの思い、言葉の全てが無力だった。

 自業自得と自嘲して、刑務所(ムショ)帰りのレッテルを他の誰でもない、自分自身が貼りつけて絶望……。自分に嘘をつくそんな自分がますます許せなくなる。すべての悲しみを忘れさせてくれる薬。楽になりたいと思い使う薬が神経をヘトヘトにすり減らすものになるなんて……

 人生を投げ捨て、夢を追い、傷を負い、誹謗中傷どこ吹く風、やさしさや、愛に満ちた言葉でさえ、“問答無用”切り捨て、一瞬の夢を求め続けた。

 大切なはずの家族、多くの人、自分を傷つけながら。

 行き着く所は、塀の中。

 迎えてくれる両親ももういない。前刑初めての満期出所。実質4年半ぶりの社会での生活は、穏やかで明るいものに違いない。出所の嬉しさと、二度と戻りたくないと思うプレッシャーの中…。(いったい何をやっているんだろうか)。また薬物を使ってしまった。》

「あなたのせいで全てを失った」という母の言葉

 手記の引用は以上だ。今回逮捕された事件の前、出所後3カ月後に彼女は薬物を使用しているから、世の中から見たらどうしようもない重度の依存症であることは明らかだ。でもそうやって罪を犯しながらも様々な葛藤を抱えていることはこの手記からもわかるだろう。

 「あなたのせいで、私は全てのものを失った」

 という母親の言葉など、本人には本当に重たく刺さったに違いない。

 その母親が危篤になった時、刑務所で服役中の聡子さんは何とかして一目だけでも母に会えないだろうかと私に手紙を書いてきた。身元引受人を見つけ、仮出所を果たして母親に会いに行きたいというのだった。

 憎しみの言葉をぶつけ、確執を抱えてきた母親でも、死ぬ前に会って詫びたいと思ったのだろう。その依頼を受けて私はいろいろな手を尽くし、ダルクか、その関連機関のアパリに身元引受人になってもらって刑務所に申請を出そうと、アパリの事務局長に福島刑務所まで行ってもらった。  

 しかし、そうこうしているうちに時間が経って、面会に行った事務局長に聡子さんは、母が亡くなった知らせを2日ほど前に受け取ったと語ったという。その知らせを電話で聞いて私は一瞬絶句したものだ。

 そして、それを機に、いつまでもこんなことを続けていてはいけないと、彼女を説得して本格的治療に取り組んでもらうことにしようと考えた。

 その経緯については既に書いたので下記をご覧いただきたい。結局、彼女は次に出所したら沖縄ダルクに入所することになったのだった。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20191004-00145351/

元体操五輪・岡崎聡子薬物裁判で判決!懲役3年4カ月という裁判所の判断理由は…

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190816-00138673/

 元体操五輪・岡崎聡子さんの薬物裁判証人として語った「そんな人生は切なすぎる」

 そしてここで最初の話に戻るのだが、実は田代さんが前刑で逮捕された後、同じように本格的治療を考え、同じくアパリの事務局長に拘置所へ行ってもらったのは私だった。その前に、弁護士と二人の妹さんと私とで行った会議に事務局長に来ていただいて、田代さんを今後どうサポートしていくのか協議した結果だった。

 田代さん本人は、ダルクとアパリからたまたま資料が送られてきて関わりが始まったと思ったらしいが、その事務局長との話の前に私はアパリの副理事長である石塚伸一弁護士に話を聞き、アパリを紹介してもらったのだった。田代さんとはその時点でもう10年ほど関わっていたのだが、その経緯については私が編集した田代さんの著書『審判』(創出版刊)を参照いただきたい。

http://www.tsukuru.co.jp/books/2009/04/judgement.html

 そして前刑が確定してからは、ダルクやアパリが全面的サポートに入り、私は身を引いたのだった。専門的機関であるダルクが全面的サポートに入ったのだから、もう私の役目は終わったと思った。

 しかし、それでもう安心と思っていた田代さんの今回の逮捕は、それゆえに驚きだった。前述したようにまだ事実関係は解明されていない。岡崎聡子さんの場合も、薬物容疑で逮捕されながら不起訴に終わったことも幾つかあった。だから田代さんの逮捕についても早合点は禁物だ。

 ただ、岡崎さんの事件も含めて思うのは、本当に薬物依存というのは深刻な問題だということだ。

 いったい日本社会はこれからそれにどう立ち向かっていくのだろうか。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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