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異様な家族関係に社会が震撼したススキノ遺体切断事件.精神科医・香山リカさんの指摘に反響が…

篠田博之月刊『創』編集長
初公判を報じる新聞記事(筆者撮影)

《ススキノ遺体切断事件。雑誌「創」の連載2023年9月号に一般論として書いたことが残念ながらあたってしまったようです。程度の差こそあれ、こういうケースをたくさん診てきました。閉じた圧力鍋状態になる家族の中ではなにが起きても不思議ではありません。》

 精神科医・香山リカさんが6月9日にXに書き込んだコメントが大きな反響を呼んでいる。その投稿では23年9月号の彼女の記事の一部が紹介されているのだが、興味を抱いた人が多いようなので、ここで全文を公開しようと思う。

 元の記事は香山さんが月刊「創」(つくる)の連載コラム「『こころの時代』解体新書」で書いたもので、昨年9月の早い段階でこの事件の背景を分析したものだ。この事件の容疑者家族については、今後もいろいろな精神科医の分析がなされ、話題になると思われる。

 今回ニュースになったのは逮捕された母親の裁判の初公判が6月4日に行われたからだ。そこでの冒頭陳述で披露された異様な内容に多くの人が戦慄を覚えたのは間違いない。例えば田村瑠奈被告の行為だ。

《頭部から皮膚を剥ぎ取り、左右の眼球、舌および食道気管を摘出して死体を損壊した。また、同7日に瑠奈被告は、頭部から右眼球を摘出する場面を父親にビデオ撮影させていたという。》

 さらに被告を取り巻く家族関係の異様さも筆舌に尽くしがたい。それについて香山さんが言及した昨年9月号の記事とはこういう内容だ。

札幌ススキノの首切断殺人事件をめぐって 

《私が現在、へき地診療所に勤務している北海道で、大きな事件が起きた。

 7月2日、札幌市の繁華街ススキノのホテルの浴室で、首を切断された状態の男性遺体が見つかる、という事件が起きた。その後、男性は北海道恵庭市に住む62歳の会社員ということが判明。また、事件当日、男性は別の人物とふたりでホテルに入る様子が防犯カメラに記録されていた。

 そして、7月24日になって札幌市の29歳の女性とその59歳の父親、翌日には60歳の母親が、死体損壊と死体領得、死体遺棄の疑いで逮捕された。親子3人は同居しており、29歳の女性は被害者の男性の知人だったという。家宅捜索により、自宅からは被害者のものと思われる頭部が発見されている。

 娘とともに逮捕された父親は、450床を有する地域の中核的な医療機関で精神科科長であった。またその病院は研修医の臨床研修先としても定評と人気があったが、男性は研修プログラムの責任者も務めていた。さらに、精神医療と人権についての講演を行ったり、医師会主催の看護師へのメンタルヘルスセミナーの講師を務めたり、社会的にも信頼の厚い人物であった。

 本稿執筆時点で捜査関係者が明らかにしたとして報道されているのはこれだけで、容疑が事実だとするならば、殺害に至った経緯や首を切断して持ち帰った理由、親子の役割分担などはまだわかっていない。

 ただ、近所の人たちへの取材により、家族の様子、とくに娘にあたる29歳の女性の背景についてはいくつかのことが明らかになっている。それによると、女性は小学生、中学生時代は不登校で、高校には入学したが通学している様子はなかった、とのことだ。ほかにも「漫画が好き」「家はゴミ屋敷」「父親が玄関の前でカップラーメンなどを食べていた」といった報道もあるが、真偽はたしかではない。

 今回は、この情報だけで言えることをふたつだけ、書いてみたいと思う。》

精神科医の父親の関与という衝撃的な事実

《ひとつは、「現役精神科医師の逮捕」しかも「ショッキングな内容を含む殺人事件への関与が濃厚」という衝撃的な事実が、この医師の担当患者さらにはほかの患者に与える影響の大きさだ。医師は2008年より同病院に勤務していたというから、これまで多くの患者がその治療を受けたと思われる。現在は、身体疾患で入院中の患者の意識障害、抑うつや不安、不眠などのケアをするリエゾン精神医療に携わっていたようなので、精神科の外来患者は診ていなかったかもしれないが、犯行後も逮捕直前までは勤務を続けていたのだろう。「逮捕の数日前に先生に話を聴いてもらった」といった患者がいたとしたら、そのショックはどれほどか。

 精神科に通院する患者は、他の科以上に主治医との関係が濃くなりがちだ。いまは主治医制を取らず、その日に外来にいる医者が誰でもその日の診療を受け持つというシステムにしているメンタルクリニックも増えてきたと聞くが、それでも圧倒的に多くのところは「あの先生にかかっている」という主治医制を続けていると思う。

 私自身の話で恐縮だが、北海道のへき地診療所に転職するにあたり、当初、東京で長く続けてきた民間クリニックの精神科外来は辞めるつもりであった。ところが、「私のかわりの新しい先生が来ますから、これまでと同じ曜日に通ってきてくれてだいじょうぶですよ」と伝えると、多くの患者たちが動揺し、中には「北海道にときどき通院します」と言い出す人までいた。そこで赴任先の診療所や自治体とも相談して、自治体職員なので定期的な兼業は許可されていない中、特例で土曜の精神科外来継続を認めてもらった。それでも、いまだに「先生、疲れてるようですね。やっぱり北海道との往復はしんどいから、そろそろこの外来は辞めるつもりじゃないですか」と言われたり、逆に「前より元気そうですね。北海道があってるみたい。もうここのことは忘れたいんでしょう」と言われたり、こちらのちょっとした変化をキャッチして疑いの目を向けてくる人も少なくない。

 これは何も私自身が患者に信頼されている、という話でない。精神科の場合、多くの患者は「私の先生はこの人」と決めて通うので、医者のちょっとした変化に敏感で、ときにはそれにより病状が不安定化する人もいる、ということだ。それを考えると、今回の男性医師の治療を受けていたり、あるいは過去に治療を受けたことがあったりする患者のショックはどれほどだろう。おそらくそれだけではなく、他の医療機関で治療を受けていても、「精神科医がこんな事件にかかわって逮捕された」というだけで、大きな不安と動揺を感じている患者もいると思われる。

 もちろん、影響は精神科患者にとどまらない。男性医師が逮捕されてから、その勤務先病院には警察の家宅捜索が入り、上空にはヘリコプターが飛び、報道陣が玄関の前に並んで写真を撮り…とあたりは騒然とした雰囲気に包まれたという。先ほども述べたように、同病院は地域の中核病院のひとつである。慢性疾患の治療のための定期通院、なんらかの急性疾患で毎日、大勢の受診者が訪れると思うが、その人たちや入院患者たちも不安感でいっぱいだと思われる。

 また、こういった患者のケアを「同僚の事件」に衝撃を受けながら行う同病院の医師や看護師、事務職員らの受けるストレスも心配だ。地震などの災害では、そこで起きた悲惨な現実を目の当たりにしながら住民の救助や医療、避難所の運営などにあたる「支援者」と呼ばれる人たち特有のストレスを、「惨事ストレス」と呼ぶことがある。彼らは直接の被災者ではないが、災害そのもののショックと住民ケアの過酷さという二重のストレスは相当なものであり、PTSDやうつ病、燃えつき症候群などが発症することも少なくない。

 今回の事件では、男性医師と同じ病院に勤務している職員はある意味でこの惨事ストレスと同じ状態にあると考えられ、「支援者支援」と呼ばれる彼らへのケアも必要と考えられる。

 これが、いまの時点ではっきりしていることの第一点目だ。次の第二点目には推察も入るが、お許し願いたい。》

娘が支配的な立場で両親が操作されるという関係

《今回、被害者とともにホテルに入り、殺害や頭部の切断を実際に行ったと考えられているのは29歳の女性で、両親はいわゆる共謀の関係にある。父親はホテルとの送迎をしたとされ、殺害の計画にも加わったとの報道もあるが、まだはっきりしていない。いずれにしても、わが娘が知人に対して殺意を抱いて実行したのはたしかだと思うが、両親はなぜそれを止めることもなく、逆に手を貸すようなことをしてしまったのか。

 これは両親のひとり娘にあたる女性が長く不登校であった、そして父親は大病院の科長という社会的地位のある立場だったという情報だけからの一般論だが、そういう場合、往々にして子どもが家で支配的な立場となり、両親が主体性を完全に奪われ、操作されるケースがままある。

 これもあくまで推察だが、父親は自分が精神医療の第一人者として、娘の不登校をあまりオープンにできなかったのではないか。また気軽に「どこかのメンタルクリニックに相談に行けば」とも言えなかったであろう。札幌市とはいえ精神医療の世界はそれほど広くないので、「ああ、あの先生の娘だ」とすぐにわかってしまうからである。また、不登校が長く続き、本人にイライラがつのるなどして家で大声を上げるなどといったことが万が一あったとしたら、両親は必死でそれを止めようとし、そのためにはある程度、娘の言うことにも従わざるをえなかったのではないか。「専門学校に行きたい」「イベントに行きたい」と言えば、これが社会性を回復するチャンスと考えて、経済的な支援も惜しまなかったかもしれない。

 そういうことを繰り返すうちに、いつのまにか家庭内で娘が最上位という序列ができ上がってしまう。これはこういうケースでとてもよくあることなのだ。一般の人が聞けば、「そうだとしてもほしい物を買って与えるのと、殺人に加担するのとでは次元が違う。そんなことを言い出したらからだを張ってでも止めたり、もしそんなことをしでかしたら自首するように促すのが親というものではないか」と思うだろう。

 しかし、いったん家庭内での序列ができ上がってしまうと、「これはやるがこっちは断る」といった冷静な判断はできなくなる。大げさに言えば思考停止状態に陥るのだ。これは比較にならないかもしれないが、かつて家庭内暴力の娘が家庭内で君臨していたあるケースでは、小柄な娘が母親を「ブタ」と呼び、「ブタ、これを持ってこいよ」などとあらゆることを命令しては、母親は「はい」「すみません」としか言わずにそれに従っていた。

 いや、現時点での情報でここまで言うのは、憶測がすぎるだろう。この家族の中で何が起きたのかは、もう少し捜査が進まなければわからない。ただ、捜査が進んだとしても真相はわからないまま、ということもある。ある家族療法の専門家は「家庭は圧力鍋と同じ」と言い、その中ではひとつのできごとがあっという間に凝縮され、思わぬアウトプットとなる可能性を指摘した。また、「どんなに幸せそうな家庭の戸棚にもミイラが一体、隠されている」と家族の中にある闇や共有されている秘密について語った専門家もいた。周囲からは「あんなに真面目な医師だったのに」という声も上がっているが、人間は二面性でも三面性でも持てる生きものである。さらに、そのそれぞれの面が乖離していればいるほど、逆に使い分けや演じ分けはできやすくなる、ということもつけ加えておこう。

 後半の推察の部分はさておき、前半で述べた当該の病院の患者への心理的ケアが急務であることは間違いない。自らも大きなショックを受けながら、患者の不安や動揺に対処しつつ日常の診療体制を維持しようとする男性医師の同僚たちへの心のケアも欠かせないだろう。

 この二重、三重に深刻な事件については、また回を改めて述べたいと思う。それにしても、気が重くなるばかりのたいへんなできごとだ。》

「家庭内で娘が最上位という序列ができ上がってしまう。これはこういうケースでとてもよくあることなのだ」という指摘などぞっとするような話だし、こういう家族関係については、今回の事件を機に、もっと分析がなされてほしい。裁判はまだ始まったばかりだが、何がこういう家族関係をもたらしていたのかということを含め、今後審理が進むにつれて大きな話題になっていきそうな気がする。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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