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「人志松本のすべらない話」 「個室ビデオ」を語ったハライチ澤部のどこが「最優秀」だったのか

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:Splash/アフロ)

「すべらない話」は何度見返してもおもしろい

「人志松本のすべらない話」はここのところ年に一回だけの放送である。

2022年1月29日(土)にほぼ一年ぶりの放送があった。

以下2022年の「人志松本のすべらない話」でのトーク内容にきちんと触れます。完全にネタバレしているので、御注意ください。

「人志松本のすべらない話」は何度見てもおもしろい。

それがこの番組の素敵なところだ。

何度も、というのは繰り返し何度も同じ放送回を見ても、ということである。

3回見ても4回見ても、繰り返し笑える。

「お笑いの原点」にある優れたコンテンツだとおもう。

「繰り返して聞く楽しみ」

「話の展開を全部知っているのに、何度見ても笑ってしまう」というのが、私は笑いの基本だとおもっている。

昔話がそうだし、落語もそうである。

子どもは、おもしろい話を一度聞くと、何度も聞きたがるものである。

大人になると、それが少なくなる。

成長すると「繰り返して聞く楽しみ」を少し手放してしまう。頭が新しいものを求めつづけて手一杯だからだろう。

でもどこかで “子ども返り”して、「何度も同じ話を聞く」楽しみを取り戻したほうがいいと私はおもっている。

何度見ても飽きない兵動大樹「天然の藤田さん」

2022年1月の「すべらない話」は15人による25の話が披露された。

そのうち、私が聞いても聞いても飽きなかったのは、とくに三つである。

5回見ても飽きない。

この原稿のこともあって、25話を5回見たのだが、5回とも手を叩いて笑ったのは(5回とも手を叩いてるのに気づいて、ちょっと自分でも驚いたが)兵動大樹の「天然の藤田さん」である。

藤田さんという芸人がとんでもなく天然で、落語でいえば与太郎になる。

そこに「お寺のとてもやさしいお坊さん」が出てきて、この2キャラが出色の出来なのだ。

兵動が、お寺にお参りし、去年もらったお札(ふだ)を捨てたら、天然の藤田さんは、ああ、お札はそうするものだとおもって、いまもらったばかりの札をそこに投げ込んでしまった。

本物の与太郎さんだ。

それを見てやさしいお坊さんは叫ぶ。

「なにしとんねんっ!」

空を仰いだ松本人志の絶叫

もうひとつは松本人志の「ふぐ料理店」の話。

「先代」のことをしんみりと語るふぐ店のご主人の話に、松本もしんみりと耳を傾ける。そして松本がもう帰りますと告げると「あっ、もうすぐ先代、こちらに来るんですけどー」と言う。

「えっ」とおもって、松本は店を出てから空を仰いで叫んだ。

「生きとんけーっ!」

この声のトーンがたまらない。

生きとんかーい、ではなく、生きとんけーっ、の、「けー」にやられてしまう。

三つめは、宮川大輔の「へえっ!」である。

野山で野糞をしているところ、通りかかったおばちゃんに見られ、どう言っていいのかわからず、野猿のような顔で「へえっ!」と威嚇した、という話。

この「へえっ!」の音と、その瞬間の表情がめちゃくちゃおもしろい。

5回見て、5回とも大笑いしたのはこの三つだった。

錦鯉の渡辺のキレの良さ

キレの良さで感心したのは、錦鯉の渡辺である。

彼はかなり短く話をまとめていた。

1分台で2本、もう1本も2分ちょっと、とにかくコンパクトである。

彼が見事だったのは、最後のセリフが決めてあって、その決めセリフを言って、それですっと終わるところである。

落語みたい。というか、落語の小話そのものである。

一つめが、スマホでドローンを操作していたおじいちゃんが。ボタンを押し間違えてエロ動画が流れだしたので、あせってスマホをいじりまくっていたら

「ドローン、いなくなっちゃった」

二つめ。「バイきんぐの西村さんって、ちょっと頭おかしいんですよね」…だから

「死んだ姿を人に見せない野良猫が、西村さんちの家の前で死んでたんです」

三つめ。中学時代、おじいちゃんが死んだと聞いて父親と病院に向かい、おじいちゃんはシーツで覆われていたので

「ぱっとシーツめくったら、おじいちゃん、うつ伏せだったんです」

3本とも決めたセリフで終わって、そのあと説明セリフが足されていない。

見事である。

三つめなど、落語の原点「東海道中膝栗毛」の「発端」にある「逆さの葬礼」のバリエーションに見えてくる。

「すべらない話」の終わりかたのパターン

終わりかたによって「すべらない話」のトークはいくつかに分かれる。

話者も意識しているのが、いま紹介したような「最後のひとことでキレイに終わる型」だろう。

最後のひとことで大笑いが起きて、すっと終わることができるのが、ひとつの理想型である。

錦鯉の渡辺が見事なのは、物語の流れの中にある一言で終わっているところだ。

そのスタイルにするために「短い話」を選んだのだとおもわれる。

「そのあとの一言」でキレイに終わらせる千原ジュニアの技

それとは少しちがって、物語を言い終えたあと「そのあとに一言」を付け足して、それでキレイに終わる型もある。

これには話者のセンスが鋭く反映される。

このパターンの上級者はたとえば千原ジュニア。

「収納王子コジマジック」という話題でその腕前を見せていた。

コジマジックのアドバイスによって建てられた新築の家は、いたるところに収納アイデアがたっぷりで、驚きの家になるという話で、それを知ったテレビ局が有名人が家を建てるのをイチから追って、それをひとつの番組に仕立てようとした。

ところがその密着した相手が有村昆だった、というのがオチである。

ただ「有村昆だった」だけでは大きな笑いにならない。

そこでジュニアは一言を付け加える。

「家が完成しました、となったのは……有村昆の家で……その企画自体が収納されてしまいました」

そう結んだ。

「企画自体が収納されてしまった」という付け加えた言葉の妙で大笑いになる。

見事である。

川島明の一言のセンスの良さ

あとはたとえば川島明の「高級加湿器」。

6万円もするドイツ製高級加湿器を買って、それを使った翌朝、もっのすごく喉の調子がよく、家族への声かけから、番組MCでも、これまでにない調子のいい声の出かたで、さすがと喜んで、次の夜も水を足して使用しようとすると、一ミリも水が減ってないことを発見したという話。

「コンセント、ビニール袋かぶったままやったんですよ、おれ、実力でめちゃめちゃ頑張ってたんですよ」が締めの言葉。

実は動いてなかった、というところがストレートなオチなのだが、そのあとに一言を付け足すことで笑いを増幅する。

ともすると「効いているのは気のせいだった」というような付け足しになりそうなところ、そこを「おれ、実力でめちゃめちゃ頑張ってたんですよ」と言って、笑いを大きくしていた。

さすが川島明、といういうセンスの良さである。

これがいわばプロの話芸なのだ。

この一言があるかないかで出来上がりがまったく違う。

ほわっとした笑いのときは人に振る

ただ、すべてがそういうキレイな終わりかたをしていたわけではない。

ほわっとした終わりかたもある。

宮川大輔の「へえっ!」も(タイトルは「山の中の腹痛」)、「へえっ!」が笑いのピークで、ただ、あまりに唐突な一言だったので、1回目はさほど受けていない。受けてないから人に振っていた。

「へえっ!………言うたったんですよ…………わかります?」と振った相手は隣席の松本人志。

まっちゃんは「わからんわからん」と返事して笑いが確定していく。

入籍当日だから「ふわっ」としていた霜降り粗品

この日の粗品(霜降り明星)もふわっとした終わりかただった。

婚姻届を提出した「入籍日」の話なので、わざとそうしていたのだろう。

1本目は「婚姻届の証人二人が童貞で、おれも童貞で、この届、受け付けてくれるんかな」という話。

2本目は「すべらない話の収録日を入籍日にしようと決めてまして、でもよう見たら、今日、死ぬほど仏滅でした」というものであった。

大笑いが起きるタイプの終わりかたではない。

だから1本め童貞3人婚姻届は「童貞大丈夫かな!」と言って、まわりから「大丈夫や!」というツッコミを引き込む展開であった。

2本めも「今日、死ぬほど仏滅でした」と言うと「死ぬほど? 仏滅に強弱ないぞ」というツッコミが入り、最後は「松本さんのせいで僕、仏滅に結婚させられました」といい、松本の「だれのせいじゃ」を呼び込んでいた。

粗品はコンビではツッコミ役で、ツッコミが大事だとおもっているから「芸人に囲まれたピントーク」ではツッコミを待つ「ボケでの終わり」をするのか、とちょっと感心してしまった。

お笑い芸人が評価する「すべらない話」のポイント

あらためて、こういう、ちょっとの時間で笑わせる話はどこを評価されるのかがわかる。

短い話は「最後の一言の切れ味がよくて笑えること」が大事であるが、そこそこ長い話は、最後の一言だけでは評価されない。

途中途中にしっかり笑えるポイントがあり、それでいてセンスのいい終わりかたをしていると、高く評価される。

宮川大輔の「へえっ!」も、オチだけではなく、パサパサ音を立てて近づいてきたのが犬だとおもっていたらヤギだった、という途中のところがめちゃおもしろかった。

そういう笑いが途中にあり、そのあとがまだ続くから、聞いているほうの期待が高まる。

最優秀すべらない話のハライチ澤部佑

「最優秀すべらない話」に選ばれたハライチ澤部佑の「個室ビデオ」の話は、見事にそういう形になっていた。

途中の笑いどころがしっかりしている。

澤部が「個室ビデオ」で愛用している部屋は「禁煙フラットマット」というタイプだということ、初心者の受付アルバイトでも澤部の顔を見るとすかさず「禁煙フラットマットですね」と言ってくれるところ、来週の土曜で閉店になりますといわれて「わああああああ」というこの世の終わりのような叫び声を上げているところ、途中でもきちんと大きく笑える。

最後もしっかりと終わる。

閉店直前に来店、セクシービデオを手にしている澤部に、店員全員で熱い挨拶をしてくれたので感激してしまい「うるうるってなって、個室行って、泣きながらセクシービデオ見る」ハメになったという終わりであった。

「泣きながらセクシービデオみる」という言葉にはいろんな哀愁がこもっていて、大人の男の心をつかんでしまい、大笑いしてしまう。

何といっても「個室ビデオ」の話なのだから。

人間国宝の「途中に三回ほど受けたら充分」という教え

そういえば人間国宝の落語家・桂米朝が話していたことがある。

むかしは(明治あたりのことだとおもう)落語というものは途中に三回ほど受けたらそれで充分やった、とのことである。

たしかにそれが笑い話の原点なのかもしれない。

そこそこの長さの話のときは、きちんと笑えるポイントが途中に二つ三つあって、最後は切れ味のいいまとめ方になっていること、それが日本の笑いの原点なのだろう。

澤部はその型どおりであり、そのうえ、すこし哀愁が加わっていた。

ピントークとして、今回の澤部佑が一等高く評価されたというのは、とてもよくわかる。

5回繰り返し見て、すごく納得した。

「すべらない話」の次回が楽しみである。

今年は二回やらないのかなあ。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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