冨田氏が不服申し立てできなかった背景とは?
仁川アジア大会期間中に、外国通信社のカメラを盗んだとして略式起訴された競泳男子の冨田尚弥氏が、えん罪を主張するための記者会見を開いた。一方で既に処分を決定している日本水泳連盟、日本オリンピック委員会(JOC)、韓国仁川警察は戸惑いを隠せない。
冨田氏のえん罪なのか、もしくは冨田氏の虚偽なのか現在のところ真相はわからない。事件の真相はともかく、えん罪を主張するのならなぜもっとはやくに言わなかったのだろうか。冨田氏の問題解決の能力に疑問を持った。
なぜ警察に窃盗容疑を認め、水泳連盟から競技者登録停止となったがそれに対して不服申し立てもしなかったのか?
つまり、早く日本に帰りたい。お世話になった指導者に文句を言いたくないから自分が犯罪者となってもいいという理由である。正直、稚拙である。冨田氏の「正義感」を疑ってしまった。スポーツの世界は、結果が全てで勝てば文句を言われない中で、「道徳観」や「社会性」を身につけてこなかったと指摘されても仕方がない。
25歳の成人男性が、異国の地で人生の大ピンチに遭遇したとはいえ、日本代表として日の丸を背負い数々の世界の大舞台で勝負をしてきた選手である。もしかしたら日本代表、世界の一流選手になるほど規範意識や道徳観に乏しくなるのかもしれない。それは冨田氏だけでなく、彼が育った水泳連盟も同じ事が言えるのかもしれない。
冨田氏の弁護士、國田武二郎氏はいう。
つまり、自分で罰金を支払っていなかったのだ。本人が納得していなかったから罰金を払わず、水連が肩代わりしたのか真意はわからない。とはいえ、容疑を認め冨田氏が何も疑問を持たずに水連に手続きを任せていたとすればそれも問題である。その一方で結果がでなかったり、競技団体の厄介者になった場合はすぐに放り出されるのも特徴である。
この問題は昨年の全日本柔道連盟を始めスポーツ競技団体の一連の不祥事と根は同じではないか?
抗うことをしない流儀
スポーツのムラ社会では、競技生活を円滑に送るために選手は、指導者や競技団体に抗うことができず、不条理を受容し耐え忍ぶ。それが選手の流儀なのかもしれない。
「生きづらさ」を感じながらも結果を出すために我慢するしかない。なぜなら、そうしなければスポーツ界では生き残れないから。
とにかく、組織から見放され、個人として絶体絶命の危機に陥ったときに、彼は、はじめて組織に抗うことになったのだ。
現在、真相は藪の中であるが、今後、監視カメラの映像が提示されれば一目瞭然であろう。
冨田氏にとって今が正念場である。
今こそ水泳で培った精神で人生の荒波を泳ぎきってほしい。