Yahoo!ニュース

相模原事件の植松聖被告は控訴取り下げ直前に「安楽死する人と同じ気持ちだ」と語った

篠田博之月刊『創』編集長
植松聖被告から届いた手紙(筆者撮影)

弁護人が行った控訴を植松聖被告が取り下げ

 2020年3月30日、朝一で相模原事件の植松聖被告に接見した。3月16日に出された一審死刑判決に対して、27日に弁護人が控訴したのだが、植松被告は前から、控訴したら取り下げると言ってきた。接見したのは9時頃だったが、植松被告は、既に取り下げの書類を取り寄せていると言っていた。

 だからその接見は最後のチャンスで、かなり説得したが、結局、植松被告は午後、控訴を取り下げてしまった。これで死刑が確定することになる。

 それは既に報道されてニュースになっているが、植松被告は面会室で、まだ葛藤もあると語っており、どんな会話がなされたか紹介しよう。

 そして私は横浜拘置市所を出た後、その足で大阪へ向かった、大阪拘置所で寝屋川中学生殺害事件の山田浩二被告に接見するためだ。こちらも死刑が確定するかどうかまさに瀬戸際で、その2人と接見して夜に帰京したのだが、生と死の間で揺れる2人と同じ日に顔をあわせて話をし、重たい気持ちになった。

控訴してほしいとの声に本人は「ありがたい」と 

 植松被告(3月31日から植松死刑囚になるが)については、あのような本質に迫らぬ裁判で相模原事件を終わらせてはいけないという声が、この間、私のところにもたくさん届いていた。植松被告本人にもたぶん多くの声が届いているだろうと思い、尋ねた。

ーー君のところにも控訴取り下げはやめてほしいという手紙が来ているでしょう。

植松 たくさん来ています。とてもありがたいと思います。でも自分の考えはもう伝えさせてもらっているので変わりません。

ーー弁護人が金曜に控訴したことはいつ知ったの?

植松 金曜か土曜にマスコミの方から電報をいただいて知りました。

ーー弁護人とはそれについて話してないの。

植松 先週の月曜にいらして控訴するという話は聞きました。何も(取り下げ)しないでほしいとも言っていました。

ーーその弁護人の方針を聞いてどう思った?

植松 ありがたいと思いました。

(注・ありがたいとは、彼の死刑を回避せんと弁護人がやってくれたから、という意味だろう)

裁判が行われた横浜地裁
裁判が行われた横浜地裁

ーーでも君の決意は変わらないの?

植松 けさ早速、書類を届けてほしいと申し上げ、手続きに入っています。

(注・控訴取り下げの手続きは、拘置所側から書類を受け取り、それに記入して提出する)

「安楽死する人の気持ちがわかる」

ーーでももう弁護人が控訴したのだから、きょうが控訴期限(判決から2週間)だという意味はなくなったし、あわてて取り下げる必要はないのじゃない? 控訴趣意書提出まで期間もあるし、取り下げはいつでもできるんだからきょうやらなくてもいいじゃないか。

植松 ずるずる延ばす意味はないし、2審3審はやっても無駄だと思っています。

ーーもう死を覚悟してしまったということ?

植松 そうではありません。死刑は納得できていないし、死にたくはないんです。でも言ったことは実行しないといけないと思っています。

ーー法廷で言ったということね。あんなこと法廷で宣言する必要なかったのに。

植松 確かに言いすぎだったかなという気もありますが…でもどうなのかな。

ーーあそこまで明確に言わなくても良かったかなということね。でも君も葛藤はあるわけだ。

植松 こんなふうに皆さまとお会いして話をすることができなくなるのは辛いですね。

 安楽死する人と同じ気持ちかもしれません。安楽死する人の気持ちがわかります。

ーー生きたい気持ちもあるということね。

植松 生きたい気持ちはあります。

 ひとつ思ったのは、先日、オウムが控訴したというニュースがありました。それを聞いて、一緒にされたくないなと思いました。オウム事件の後遺症に苦しんでいる人をテレビで見て、本当に可哀そうだと思ったので。

ーー別にそれと同じだとは誰も思わないよ。きょう取り下げる必要ないから、やり残したことないか考えてからにしたら? 先週、友人たちが接見に来たでしょう。地元の友人のほかに、大学サークルの友達だっているじゃない?

植松 それはもういいです。友人は一通り来て別れを告げましたから。

(注:最後に接見したいという友人から私に連絡があり、植松被告と電報のやりとりで調整し、26日に3人、27日に1人、植松被告の親しい友人が接見した)

ーー最後に何か言っておきたいことはありますか(他の記者の質問)

植松 (その女性記者に)ぎょうざに大葉を入れるとおいしいので、ぜひ試してください。

ーー拘置所でそんなことできたの?

植松 いえ、ここに入る前に試した話です。チーズでもいいんですが。

ーーいや、最後の言葉がぎょうざではまずいでしょう。世界平和をとか、もう少し何かないの? 世界平和のために大麻をという話はもうしちゃったしな。

  

 以上、主なやりとりだが、話の順序は入れ替えた。またメモをとることに専念できていないので、記憶が曖昧な部分もある。

 そのほか、遺族から訴えられている民事訴訟の件や、死刑確定後どうするのかなど、植松被告とはいろいろ話をしたが、割愛する。まだ決まっていないことも多く、詰めるべきことが少なくないからだ。

 31日午前零時をもって死刑は確定するが、事務手続きがあって、確定後も何日かは接見ができる。いつ接見禁止になるかはわからない。

 植松被告は最後になるかもしれない手記を既に本誌に預けており、それは4月7日発売の月刊『創』に掲載される。一度送ってきた手記に複数回、直しが入り、最後の手紙には、法廷でも話題になった『闇金ウシジマくん』の話が書かれている。

 そうした追加原稿は複数回にわたって速達で送られてきたのだが、3月27日だった『創』の校了に間に合ったか、植松被告は気にしていた。私が「ウシジマくんの話まで間に合った」と言うと、「ああ良かった。それじゃもう思い残すことはないので」と言うので、おいおいと思った。

 結局、説得することはできず、植松被告は30日に控訴を取り下げてしまったのだった。

多少、迷っているようなことも口にしたので、わずかな期待も抱いたが、彼の決意は堅かったようだ。

同日、大阪拘置所で山田被告に接見

 植松被告への接見報告は以上だ。同日その後、私は新幹線に飛び乗り、大阪拘置所で寝屋川中学生殺害事件の山田浩二被告に接見した。

 この記事にはその山田被告への接見報告も少し書いていたのだが、31日、事態が変わったことを受けて、別に1本の記事をあげることにした。以下、31日に書いた山田被告に関する記事は下記をご覧いただきたい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200331-00170737/

寝屋川中学生殺害事件・山田浩二被告「再び控訴取り下げ」の背景事情

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

篠田博之の最近の記事