【スピードスケート】小平奈緒と高木美帆 ダブルエースで挑む平昌五輪シーズン
平昌五輪を3カ月後に控え、スピードスケートのW杯開幕第1戦が11月10日から12日までオランダ・ヘーレンフェーンで行なわれる。
日本スピードスケート陣は84年サラエボ五輪男子500メートル銀メダルの北沢欣浩から始まり、10年バンクーバー五輪までの8大会中7大会でメダルを獲得してきた優等生競技でありながら、前回の14年ソチ五輪では男女ともメダルゼロに終わり、涙に暮れた。
平昌五輪は日本スケート連盟や所属チーム、そして選手おのおのが真剣な改革を行ない、鍛錬を続けた成果を爆発させるとき。その中心選手として日本勢を牽引するのが、31歳の小平奈緒(相沢病院)と23歳の高木美帆(日体大助手)だ。
■国内外での連勝を16に伸ばしたスプリント女王・小平
10月の全日本距離別選手権で格の違いを見せつけたのは女子短距離のエース、小平だった。500メートルでは昨シーズンの国内外主要タイトルをすべて手にし、出場した16レースすべてで優勝している。勝手知ったる長野・エムウエーブで10月に行われた全日本距離別選手権では、自身の国内最高記録を0秒14更新する37秒25をマークし、観衆を沸かせた。
11月から始まるW杯は年内に4大会が行われ、14年から2シーズンを過ごしたオランダ・ヘーレンフェーンでの試合を皮切りに、高速リンクで知られるカナダ・カルガリーと米国ソルトレークシティーでの試合が組まれている。オランダではスケートファンの大声援を受けて好発進し、カルガリーとソルトレークシティーでは世界記録連発にも挑める。
そして、来年2月にはいよいよ平昌五輪が開幕する。昨シーズンの2月に五輪会場で行われた世界距離別選手権では、500メートルで自身初の金メダルを獲得しており、良いイメージで滑ることができるはず。
ソチ五輪の後の小平は、蓄えたエネルギーを余すところなく自分の滑りに集中して注ぎ込むことができており、その境地を保つことができれば、自ずと結果がついてくるだろう。
■史上初の4冠に輝いたオールラウンダー高木
「もう、小平選手の陰に隠れているのは無理ですね」
10月の全日本距離別選手権で圧巻の滑りを連発した女子オールラウンダーのエース・高木美帆を大学で指導する青柳徹コーチは、目を細めていた。
できれば目立たずに平昌五輪を迎えたい。しかし、もはや注目を浴びずにはいられない。チームパシュートはもとより、個人種目でも金メダル争いに加われる実力がついたからだ。
全日本距離別選手権での高木美帆は勢いと安定感が高いレベルで同居していた。初日にあった最も得意な1500メートルで、今年2月に自身が作った1分56秒07の国内最高記録を更新する1分55秒44をマーク。2日目にあった3000メートルでは、長距離のスペシャリストたちを抑え、2位に1秒以上の差をつけて勝った。そして最終日には1000メートルで1分14秒89の国内最高記録を出して初優勝。マススタートでも3年ぶり2度目の頂点に立ち史上初の4種目制覇を果たした。
今季はテクニックもパワーも以前より増している。特に夏場のフィジカルトレーニングが功を奏して筋力が上がったことが大きい。一方で、パワーがついたことで「力任せの滑りになっている」というマイナス点が生じたことも本人はしっかりと自覚している。平昌五輪までの課題のひとつはそこをうまく修正していくことだろう。
そして、新たに身につけた最大の武器は、どんなときも攻めの姿勢を貫ける勇気である。全日本距離別選手権のレース直前、高木美帆は「去年の記録を超えられるか、ナーバスになっていた」という。しかし、その中でいつもは抑え気味に入る序盤から積極的にいった。「不安の中でもタイムを出せたことは収穫だと思う。今後につながる」と笑顔を見せた。
フランクな受け答えも魅力の高木美帆(撮影:矢内由美子)
■究極の滑りを求める小平、勝負に懸ける高木
小平にとって平昌は3度目の五輪となる。23歳で初出場した10年バンクーバー五輪では中距離の1500メートルと1000メートルを軸に戦いつつチームパシュートのメンバーにも選ばれ、個人種目ではメダルに届かなかったがチームパシュートで銀メダルを獲得した。
2度目だった14年ソチ五輪では短距離選手に“転向”し、500メートルを軸に1000メートルにも出場したが、500で5位、1000で13位と表彰台には届かなかった。
殻を破りたいという思いで一念発起し、14年春から2シーズンをオランダで過ごした。オランダで得た技術や志向、それを手に入れるための練習方法、そして、マリアンヌ・ティメルコーチから授かった勝者のメンタリティー。そこに、元来の日本の良さであるカーブのテクニックや科学的アプローチをミックスさせ、「小平奈緒流」とも言える理想の滑りへの道筋を見いだしつつある。
「求めているのは究極の滑り。今はそれを磨くことに集中していきたい」と言う。
高木美帆はここ数年で精神的に大きく成長している。
中3だった10年バンクーバー五輪は何も考えぬまま、あれよあれよという間に代表入りし、最高峰の舞台を経験した。ところが大学1年で迎えた14年ソチ五輪はまさかの代表落ちとなった。
敗因は何か。自問自答をして浮かんだのは、大学進学による環境の変化の中で「変わることを怖がっていた。変えたくないという気持ちがあった」という“守りの姿勢”だった。
ソチ五輪終了後の14年3月、初めて自ら申し出て新しいスケート靴をつくり、ブレードも変えた。大学2年からは新設されたナショナルチームに入ってオランダ人コーチの指導を受けた。
ただ、新しい道具や練習環境がタイムの短縮に直結したという単純なことではない。未知の部分に足を踏み入れる勇気を持てるようになったことが、高木美帆を強くしている。
「今度はもうソチのときと同じことはしない。本番は平昌五輪。結果におごることなく精進していきたい」
■ダブルエースがメダルをもたらした歴史
スピードスケートで日本選手の五輪金メダルといえば、98年長野五輪男子500メートルの清水宏保がいる。当時23歳だった清水は、2つ年上で94年リレハンメル五輪銅メダリストの堀井学とトップを競い合いながら頂点に立った。周囲からのプレッシャーを堀井と2人で分け合っていた。
長野五輪では女子500メートルで銅メダルに輝いた岡崎朋美にも、島崎京子という同い年のライバルがいた。10年バンクーバー五輪では長島圭一郎が銀、加藤条治が銅メダルを獲得した。2人はともに日本電産サンキョーに所属しながら、練習はまったく別々というように、好敵手として火花を散らし合った結果のダブル表彰台だった。
小平と高木は年齢が8つ違ううえに、主戦場となる種目は違うが、プレッシャーが分散されることは好材料になる。それは小平を指導する結城匡啓コーチも、青柳コーチも歓迎している。
ダブルエースで臨む平昌五輪。相乗効果がチーム全体にも広がることを期待したい。