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【体操】パリ五輪金メダリストから受ける刺激 その名も藤巻竣平「次は僕の番」

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
徳洲会所属の藤巻竣平(中央)と岡慎之助(左)、杉野正尭(右)(撮影:矢内由美子)

この夏のパリ五輪で、2016年リオデジャネイロ五輪以来2大会ぶりの団体金メダルに輝いた体操ニッポン。男子団体決勝の最終種目だった鉄棒で見事な演技を見せ、中国を大逆転する立役者となった岡慎之助と杉野正尭(たかあき)の勇姿に刺激を受けていたのが、2人と同じ徳洲会体操クラブに所属する藤巻竣平だ。

「パリ五輪は僕も目指していた舞台でしたが、大学の時から一緒だった正尭さんと、前十字靱帯断裂のリハビリをずっと一緒にしてきた慎之助の2人が金メダルを取って帰ってきてくれて素直に嬉しいし、負けていられないと改めて感じました」

藤巻は力強くそう言った。

鹿屋体育大学の藤巻峻平
鹿屋体育大学の藤巻峻平写真:長田洋平/アフロスポーツ

■同じ日に前十字靱帯を断裂…岡慎之助と支え合ったリハビリ期

岡とはつらいリハビリをともにした間柄だ。

2人がアクシデントに見舞われたのは、22年4月24日の全日本個人総合選手権決勝。藤巻にとっては鹿屋体育大学から徳洲会に入ってすぐ、社会人1年目の出来事だった。

つり輪からスタートした藤巻は、2種目めの跳馬で高難度技のロペスを実施した際に着地に失敗して右膝を痛め、残っていた4種目を棄権。患部を固定する応急処置を受け、「医務室にいると滅入る。みんなの応援をしたい」と思って車いすでフロアの脇に戻った。

すると、予選3位で意気揚々と決勝の演技を行っていた岡が、自身と同じ跳馬で右膝を痛める姿が目に飛び込んできた。岡は次の種目の平行棒も強行で演技したものの、着地で崩れ落ちてしまう残酷な結末。翌日に精密検査を受けると、2人とも前十字靭帯を断裂していた。

「2人でリハビリを頑張って、全日本(個人総合選手権)に戻ろう」

藤巻は岡と一緒に、あえて笑顔を浮かべて誓いを立てた。

その日から始まった厳しいリハビリの日々。支えは互いの笑顔だった。

執刀医の方針で、手術を行うのは患部の腫れが引いてある程度可動域を出せるようになってからと説明を受けた。手術までの約1カ月間は膝に負担のかからない地道なメニューを繰り返し、受傷から約1カ月後に岡、その1週間後に藤巻が、いずれも自身の左太ももの腱を右膝の前十字靱帯に移植する再建手術を受けた。岡は同時に半月板も縫い合わせた。

ケガそのものは藤巻の方が軽かったが、回復は岡より遅かった。

「僕と慎之助の膝は構造が全然違っていたのと、僕は体が硬いのですが、慎之助は柔らかいので膝の可動域が出るのが早い。そうすると動かせる分、必然的に筋肉がつくので、慎之助の方が筋力の戻りも早かったのです。ただ、オペした先生や理学療法士さんには『絶対に差は出るけど、焦らないように』と口すっぱく言われていたので、焦らないように心掛けていました」

“右膝ブラザーズ”の藤巻峻平と岡慎之助(撮影:矢内由美子)
“右膝ブラザーズ”の藤巻峻平と岡慎之助(撮影:矢内由美子)

■つり輪の「中水平(なかすいへい)」を岡に伝授

地味できつい練習ばかりだったが、通し練習ができない分、体力を維持する目的で取り組んだプールでのトレーニングはとりわけきつかった。膝を動かせないため脚にビート板を挟んで腕で水を掻くだけの泳ぎで、25mプールを息継ぎなしでターンまでいき、1往復。これを90分間、繰り返した。

「回数が分からなくなってくるので、小さい子が遊ぶ金魚のおもちゃを2人で置いて、何本泳いだかを数えていました。手術前の1カ月と手術後の1カ月はこのトレーニングでした」

ささいなことでも爆笑するなど、互いの笑顔で気持ちを保ちながらリハビリを乗り越えた2人は、ともに昨年4月の全日本個人総合選手権に出場。岡が10位、藤巻は予選34位だった。

今年4月の全日本個人総合選手権では岡が2位に大躍進。藤巻も負けじと11位まで成績を伸ばした。

岡はその後、NHK杯を制してパリ五輪代表となり、団体・個人総合・種目別鉄棒の3冠を達成。きつかったリハビリの時期をともに過ごした藤巻の存在は岡にとって大きなものだった。

リハビリ中、藤巻はつり輪の力技「中水平」を岡に教えていた。岡のつり輪のDスコアは2年前の4.9から今年は5.9まで上がった。

杉野正尭(左)とは体操に懸ける思いを熱く語り合い、切磋琢磨する仲(撮影:矢内由美子)
杉野正尭(左)とは体操に懸ける思いを熱く語り合い、切磋琢磨する仲(撮影:矢内由美子)

■情熱のジムナスト・杉野正尭は鹿屋体育大学の1つ先輩

パリ五輪でガッツ溢れる演技を見せた杉野とは、鹿屋体育大学時代から体操への情熱を語り合い、本音をぶつけ合ってきた間柄だ。杉野は鹿屋で藤巻の1学年先輩。

「僕は正尭さんの背中を追いかけてきました。埼玉栄から鹿屋体育大学に入る時も、『杉野、前野(風哉)と一緒に練習して強くなってほしい』と言われて入りましたし、正尭さんとはずっと一緒に練習をやってもらっています」

鹿屋時代は、主将を務めた杉野の音頭で居酒屋へ向かい、杯を交わしながら体操や五輪への思いを熱く語り合う日々を過ごした。藤巻が3年生、杉野が4年生の時はインカレで鹿屋体育大学史上最高位の2位になり、体操界を驚かせた。

アツい関係は大学を卒業して徳洲会に入った後も継続。藤巻が右膝前十字靱帯断裂から復帰する過程だった23年2月には「お前、もっと行けよ」と発破を掛ける杉野に対して藤巻が「こっちだって頑張ってるんですよ。(再発が)怖いのにやってるんですよ」と言い返し、次第にヒートアップ。

「そやけど、もっと行けるやろ」「正尭さんに何が分かるんですか」

最後は2人とも泣いており、「半分ケンカみたいになって、周りが止めてくれました」(藤巻)

杉野にとっても藤巻は情熱を共有できる仲間という意味で大事な存在に違いない。

1976年モントリオール五輪男子団体で金メダルを獲って表彰台に上がった藤本俊(中央)。左は加藤沢男、右は塚原光男
1976年モントリオール五輪男子団体で金メダルを獲って表彰台に上がった藤本俊(中央)。左は加藤沢男、右は塚原光男写真:山田真市/アフロ

■「ガンバ!Fly high!」の主人公「藤巻駿」のモデル・藤本俊氏のクラブで体操を始めた藤巻竣平

パリ五輪金メダルの立役者である2人と濃い時間を過ごしてきた藤巻は1999年生まれの現在25歳。山梨県生まれの彼が初めて体操を習ったのは「ルーデンススポーツクラブ」だった。

ここでは運命的なことがあった。ルーデンススポーツクラブの理事長はモントリオール五輪の体操男子団体金メダリストの「藤本俊」氏。「藤巻竣平」と名前が酷似しているマンガ「ガンバ!Fly high」の主人公「藤巻駿」の名前の由来であり、主人公のモデルでもあるのだ。

藤巻によれば「僕の両親は体操経験がなくて、一番近くにあった体操教室に行ったらたまたま(漫画の)モデルの先生がいた。奇跡的だなと思うし、名前もそっくりなのでよく指摘されますが、特に関係がある訳ではありません」とのこと。しかし、中学3年生の時に藤本氏から授かった言葉は今も胸に深く刻まれている。

それは「迷ったら進め」という金言。

「僕は山梨から県外の埼玉栄高校に進んだのですが、進路に悩んでいたその時に藤本先生にいただいた『迷ったら進め』という言葉は、今も何かに躊躇している時に舞い降りてくる言葉です」

高校卒業後は鹿児島県の鹿屋体育大学へ。そして、社会人の徳洲会へ。藤巻は恩師の教えを胸に常に前進しながら挑戦を続けている。

得意種目は鉄棒(撮影:矢内由美子)
得意種目は鉄棒(撮影:矢内由美子)

■来年こそナショナル強化選手入りを

9月中旬にあった2024年度の全日本シニア体操選手権。藤巻は84.199点で9位だった。ケガの影響がまだ残っていた昨年の27位から大きく順位を上げており、いよいよ本格的に上位を目指す土台を整えている。

今後の目標は徳洲会の団体メンバーに入って各大会での優勝に貢献することと、個人としては今年惜しくも逃したナショナル強化選手入りを果たし、日の丸を付けて国際大会に出ること。28年ロサンゼルス五輪は最大の目標だが、その前に世界選手権と名古屋でアジア競技大会が近い時期に開催される26年の代表入りが当面の大きな目標でもある。

体操好きなら目に留まる「藤巻竣平」。その名前がもっともっと目立つ位置へと上がっていく日が楽しみだ。
#体操競技 

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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