目指すは“日本一オープンな重文”! 「名古屋テレビ塔」が取り壊し危機乗り越え国重要文化財へ
東京タワーより4年早く完成し、名古屋の名所に
名古屋テレビ塔(現・中部電力MIRAI TOWER)が国の重要文化財に登録される運びとなりました(登録される名称は「名古屋テレビ塔」)。戦後、東京タワーやさっぽろテレビ塔など全国各地に建てられた集約電波塔の第1号で、国重文に指定されるのもその中で初めてとなります。
完成は1954(昭和29)年。東京タワーよりも4年早く、名古屋の戦後復興のスピーディーさと先進性の象徴にもなりました。当時国内一だった180mの高さと美しいプロポーションは“東洋のエッフェル塔”ともうたわれました。
設計者は“塔博士”の異名をとった建築家の内藤多仲(ないとう・たちゅう)氏。博士は当時類を見ない巨大タワー建設を実現するため様々なアイデアを投入し、そのノウハウは後に手がける東京タワー、2代目大阪通天閣など、各地のタワーにも活かされました。
観光客の激減、電波塔の役目終了で解体の危機に
名古屋の観光名所、ランドマークとして、開業当時は年間100万人以上を集客。しかし、都市化が進んで周囲にも高層ビルが建ち並ぶようになり、展望台としての魅力は徐々に減少。開業50周年の2004年には来場者18万人と、全盛期の1/5以下に落ち込んでしまいました。
さらにはテレビ放送のデジタル化にともなうアナログ放送終了によって、電波塔としての役割は2011年で終了。役目を終えた上にテレビ局からの家賃収入もなくなり、一時は「無用の長物」と報道されることさえあり、取り壊しも検討されました。
それでも、地元のシンボルとして愛着を抱く市民は多く、その声に後押しされて存続されることに。2018年からは大規模な免震工事が行われ、2020年9月にリニューアルオープンを果たしました。
大澤社長インタビュー。「実は取り壊しが既定路線だった」(!?)
名古屋テレビ塔が国重文に登録される見込みとなった経緯は? その文化的価値とは? そしてこれからは…? 名古屋テレビ塔株式会社社長の大澤和宏さんにお聞きしました。
――この度、国重要文化財に答申されることになった率直な感想は?
大澤和宏さん(以下「大澤」) 「非常にありがたいことだと思っています。国重文=国民的財産ということですから、半永久的に存続させるというお墨付きをいただいたといえる。一時は解体・撤去の議論もあったことを思うと、残した甲斐があったと感慨深いです」
――全国各地にあるタワーの中で、国重文登録は初とのことです。
大澤「タワーとして初めてですし、戦後の建造物が登録されるのも非常に少ないようです。様々な面で異例だといえますね」
――ほんの10年ほど前は解体も検討されていました。
大澤「アナログ放送終了後の撤去・解体は、ふってわいたことではなく、本来は既定路線だったんです。名古屋テレビ塔が建っている場所は、道路上にあたりました。そこに建築物は建てられないので、電柱と同じ工作物とみなすという解釈をした。国策としてテレビ放送を普及させるために集約電波塔を建てる必要があり、そのための暫定的な替地という名目で、ここにテレビ塔を建てることを可能にしていたのです」
――そうだったんですか!? では大澤社長が2003年に社長就任した際は、テレビ塔の最後を見届けることが役割だったわけですか?
大澤「私は元NHK職員で、定年退職後、関連会社に勤務していた時に名古屋テレビ塔株式会社への異動の内示を受けました。その時はまず『幕引きのための社長か』と思いました」
存続のためにリニューアルで魅力アップ図る
――その時点で“何とか残したい”という思いがあったのですか?
大澤「残せるか、解体か、五分五分といったところでした。経営的にも非常に厳しい状況にあった。観光タワーとしては180mという高さだけで勝負してきたので、名古屋駅に200m級の超高層ビルが次々にできた影響もあって来場者数が落ち込んでいました。立て直すためには、シンボルの意味を“高さ”ではなく、“思い出に残る”“感動・感激する”に変えないといけない。塔のイメージを変える大規模なリニューアルを図り、『恋人の聖地』認定、プロジェクションマッピングなど新たなイベントなどにも取り組みました」
――2005年には国の有形登録文化財になりました。
大澤「この時でもまだ存続か解体か…と悩んでいたのですが、識者の方から“日本を代表する文化財になったのだから解体は考えられない。残せるよう頑張るべき”とのご意見をいただき、あらためて残していこうと決意しました。2018年から1年8カ月休業して免震工事を行ったのですが、文化財としての価値を落とさないよう専門家にアドバイスをいただいて工事を進めた。この時の取り組みが、今回の国重文という評価にもつながったのだと思います」
今後もイベントなど積極的な活用を。目指せ“日本一オープンな重文”!
――国重文になると、文化財としての制約ができてイベントなどがやりにくくなる、ということはないのでしょうか?
大澤「その点は心配していません。重文になったからといって、今後の保全費用をすべて助成金などで負担してもらえるわけではありませんし、むしろ国重文というステイタスを活かして、観光タワーとしてもより積極的に活用していくことが求められます」
――名古屋テレビ塔だからこそできるイベントや楽しみ方もある?
大澤「もちろんです。展望フロアは高さ90mで、東京スカイツリー(塔の高さは634m)やあべのハルカス(同300m)に比べてはるかに低いのですが、低いからこそ街の夜景が窓に写り込み、プロジェクションマッピングの際には映像と景色の相乗効果がもたらされる。塔体が銀色なのも法規制前に建てられたからこその特徴で(東京タワーなど他の主なタワーは航空法により赤色が義務づけられている)、効果的なライトアップを可能にしています。1階の地上部から階段で登れる構造も特徴で、昨年9月に65年ぶりに開催した地上から展望台まで一気に駆け上る『中部電力MIRAI TOWERスカイラン』(優勝タイムは2分弱)はここだからできるイベントです」
――国重文という誰しもに伝わりやすい価値が加わりつつ、観光スポットとしての魅力にも磨きをかけていく、ということですね。
大澤「はい。国重文の施設の中には入場が制限されるところなどもありますが、名古屋テレビ塔は誰もが中へ入って楽しめる。“日本一オープンな重文”として、名古屋市民の方にこれまで以上に親しんでもらい、さらにより多くの人にお越しいただき、思い出をつくっていただきたいと思っています!」
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“名古屋のシンボル”として市民に60年以上親しまれてきた名古屋テレビ塔。国の重要文化財として晴れて登録されると、まさに“国のシンボル”のひとつに数えられることになります。
しかし、関係者の証言を聞くと、その歩みは決して平たんなものではなかったことが分かります。そして存亡の危機に直面しながら、その苦境を乗り越えられたのは、かかわる人の思いがあったからこそだとあらためて知ることができます。
重文という権威をありがたがるのではなく、人の思いによって現在まで残り、これからも残していくべき価値が晴れて認められたモノ。そんな思いで見上げ、登れば、名古屋テレビ塔の魅力と価値がより実感できるのではないでしょうか。
(写真撮影/すべて筆者)