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「英語の話せる技術者」に育てようとする親を増やすためのシグナルなのか

前屋毅フリージャーナリスト
(写真:アフロ)

 文科相の諮問機関である中教審(中央教育審議会)の「新しい時代の初等中等教育の在り方特別部会」は8月20日、答申の中間まとめ骨子案を示した。そのなかで、小学校高学年からの教科担任制を2022年度をめどに「本格的に導入する必要がある」と明記した。

 ただし、全科目が教科担任制になるわけではない。教科担任制の対象とすべき教科として中教審の部会は、すでに教科担任制が導入されている理科にくわえて、英語と算数での導入を優先すべきとしている。

 理科では実験などの専門性が必要とされるために先行して導入されているが、今回はプログラミング教育を徹底するために、さらに教科担任制を広げるとの狙いがある。英語に算数、理科とくれば、そこに文科省の狙いが嫌でも透けて見えてくる。

 それを、別に隠す様子もない。この3科目での教科担任制を優先する理由として、中教審部会は「グローバル化の進展やSTEM(科学・技術・工学・数学)教育の充実・強化に向けた社会的要請の高まり」としているからだ。

「社会的要請」と言ってはいるけれど、それが「経済界・産業界の要請」であることはまちがいない。業績低迷に陥っている経済界・産業界は、新たな成長を技術革新に期待している。

 そのためには、科学・技術・工学・数学関連の人材養成が必要だと考えているのだ。その人材を小学校段階から育成しようと考えて要請を行い、それに文科省をはじめとする政府が躍起になって応えようとしている。その一環として、教科担任制が位置づけられようとしているわけだ。

 しかし、それは高度経済成長時代の発想でしかない。日本が「追いつき追い越せ」を成功させたときの発想でしかないのだ。その意味では、日本は過去の「成功体験」から抜けだせずにいるのかもしれない。

 いま世界的には、文系・理系の枠にとらわれない広い基礎力を養うリベラルアーツ教育に注目が集まってきている。そうしたなかで日本は、理系に特化した教育を小学校から徹底しようというのだ。

 今回の英語、算数、理科で教科担任制を導入する方針を中教審部会が示したことで、「これからは理系だけが必要とされている」とのシグナルと受け取る親も増えるかもしれない。「英語の話せる技術者」に我が子を育てようとする親は多くなっていくだろう。

 そういう価値観で育った日本の子どもたちが、リベラルアーツ教育で育った基礎力のある世界の子どもたちと、はたして将来的、伍していけるようになるのか、そこをもっと真剣に考えてみる必要があるのではないだろうか。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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