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イスラーム国現指導者アブー・イブラーヒーム・クラシーは米国の協力者だった:ワシントン・ポストが伝える

青山弘之東京外国語大学 教授
Alsumaria TV, 2019年8月8日

アサド大統領の発言

シリアのバッシャール・アサド大統領は、イスラーム国のアブー・バクル・バグダーディー指導者が潜伏先のイドリブ県での米軍の特殊作戦で暗殺(2019年10月26日)されてから2週間ほど経った2019年11月11日、ロシアのRTのインタビューに応じ、次のように述べた。

バグダーディーは米国の監視下で投獄されていた。米国がバグダーディーを釈放した張本人だ。何の役割も与えずに釈放することはないだろう…。

テロリストとともに手を入れていた手袋から米国の手を抜くような話だ。記憶を消すためのフィクション映画のようだ…。

米国は、アル=カーイダ、イスラーム国、そしてヌスラ戦線(現シャーム解放機構)といったテロリストと直接繋がっているという記憶を世論から消し去りたいのだ…。

米国はサッダーム・フセインが処刑されたとき、処刑現場を見せた。ムアンマル・カッザーフィーのときもだ…。

なぜ、ビン・ラーディンを我々に見せなかったのか。なぜ、バグダーディーの遺体を見せなかったのか…。

テロリストと戦っているという作り話に過ぎない…。おそらく彼は賞味期限が切れたから殺されたのだ…。

米国はおそらくイスラーム国という名前を別の名前に変えて、ダーイシュを穏健な組織にすることで、シリア政府に対抗させるため市場で利用するのだろう。

『ワシントン・ポスト』の興味深い記事

虚言、あるいは陰謀論とも思えるこの発言から1年と5ヶ月が経った4月8日、米日刊紙『ワシントン・ポスト』が興味深い記事を掲載した。「テロリストのリーダーになる前、イスラーム国の指導者は、イラクで米国に情報提供する囚人だったと記録が示す」と題されたジョビー・ウォリック氏の記事は、バグダーディーの後任として2019年10月31日に「カリフ」に就任していたアブー・イブラーヒーム・クラシーなる人物が、かつて米情報当局の情報部員だったと伝えたのだ。

記事は、米ウェストポイント大学に付属し、国防総省が資金を援助するテロ対策センター(CTC:Combating Terrorism Center)を通じて最近開示された53の極秘文書の記録に基づいて書かれたもの。これらの文書は、クラシーがイラク国内の米軍の拘留キャンプに拘留されていた時の尋問報告書などからなっている。

クラシーとは何者か?

クラシーの身元は当初謎に包まれていた。

だがその後、英日刊紙『ガーディアン』が昨年1月21日、複数の諜報機関関係者から得た情報として、クラシーの身元が特定されたと伝えていた。

それによると、本名はアミール・ムハンマド・アブドゥッラフマーン・マウラー・サルビー。トルコマン系イラク人というイスラーム国内でも数少ない非アラブ人幹部で、バグダーディーらとともにイラク・イスラーム国のメンバーとして活動、2014年6月のイスラーム国の創設(改称)に参加したイデオローグの1人だという。最終学歴はモスル大学卒。2014年以降は、イラクでのヤズィーディー教徒への弾圧を主導したとされる。

なお、イスラーム国に近いアアマーク通信は2019年8月7日、バグダーディーが、トルコマン系イラク人のアブドゥッラー・カルダーシュを自らの「後継者」(カリフ)に推挙したと速報で伝えていたが、このカルダーシュもクラシーと同一人物とされる。

速報発表を受けて、イラクのスーマリーヤ・チャンネルが8月8日に伝えたところによると、カルダーシュなる人物の出身地はニーナワー県タッル・アファル郡で、サッダーム・フサイン政権時代にはイラク軍士官を務め、イスラーム国内では「アブー・ウマル」と呼ばれていたという。

また、今回の『ワシントン・ポスト』の記事は、彼の年齢を2008年時点で31才、つまり1977年生まれ(現在44才)としている。

A'maq al-Ikhbariya、2019年8月7日
A'maq al-Ikhbariya、2019年8月7日

「協力的」で、異常なほどおしゃべりな模範囚

CTCを通じて公開された極秘文書のなかで、呼称番号「M060108-01」と記されている囚人がクラシーだという。

『ワシントン・ポスト』の記事によると、この囚人は、複数の文書のなかで、米国人看守に「協力的」で、異常なほどおしゃべりな模範囚として描かれている。

クラシーが米軍によって拘束されたのは、2007年末から2008年初め頃。イラク・イスラーム国の中堅幹部だった彼は、拘留キャンプ収監中に数十回にわたって尋問を受けた。

その様子について、2008年に作成されたある報告記録は、「囚人は面談する度に協力的になっているようである」と記している。また別の報告書には、「囚人はイラク・イスラーム国の仲間について多くの情報を提供している」と書かれている。

具体的には、クラシーは、ある面談で、拘束時に押収された自身の黒い手帳(電話帳)に記載されているイラク・イスラーム国の幹部19人の電話番号を取調官に指し示し、彼らの一部がどのくらいのカネを稼いでいるかを暴露したという。

米軍への協力は、最重要テロ容疑者の似顔絵作成、かつての仲間が好んで食事をするレストランやカフェの特定にも及んだとされている。

クラシーはさらに、イラク・イスラーム国のメディア部門の極秘本部をどのように突き止めるか、玄関のドアの色、オフィスに人がいる時間などにいたるまで詳細且つ正確な情報を提供した。

当時、イラク・イスラーム国のナンバー・ツーと目されていたモロッコ生まれのスウェーデン人、アブー・クスーラ・マグレビーについて訊かれた際も、彼が潜伏する集合住宅の見取り図を描き、その世話人の名前も教えたという。

この情報提供から数週間後(2008年10月5日)、米軍はモスル市でマグレビーを急襲、殺害することに成功している。

報告記録によると、クラシーはとくにイラク・イスラーム国の宣伝部門と外国人(非イラク人)の摘発に貢献したという。報告書は「彼は自分を守るために多くのことをした。彼はイスラーム国の外国人に対して長らく(そして尋問中も)敵意を抱いていた」と記録している。

どう解釈するか?

クラシーの尋問記録は2008年7月を最後に途絶えている。そして、複数の報告記録によると、その頃には、米国に対して協力的ではなくなり、自分の立場を心配するようになり、提供した情報に対する報酬を期待するようになっていたという。

彼がいつ釈放されたか正確な日付は不明だが、その後、イスラーム国の創設に参加し、最高指導者の地位にのぼりつめていったのは、前述の通りである。

シリアに「アラブの春」が波及した2011年3月、アサド政権はダマスカス郊外県にあるサイドナーヤー刑務所(ダマスカス中央刑務所)に収監されている政治犯・言論犯260人を釈放した。その多くがイスラーム過激派で、その後、アル=カーイダ系組織の一つシャーム自由人イスラーム運動をはじめとする武装集団を主導していくことになる。この措置については、政権が敢えて過激派を野に放ち、平和的な抗議デモに荷担させることで、反体制運動を一網打尽にしようとした、といった虚言、あるいは陰謀論が吹聴された。

こうした憶測を正しいとみなすのであれば、米国がイスラーム国を作り出したという冒頭のアサド大統領の主張を一蹴するもできないだろう。

イスラーム国を米国の産物だとする見方は、ロシア政府も度々行っているだけでなく、アル=カーイダ系の活動家によっても繰り返されている。シャーム解放機構の元幹部を務め、現在もイドリブ県、ないしはトルコ南部で活動を続けているサウジアラビア人説教師アブドゥッラー・ムハイスィニーは2019年10月29日のビデオ・メッセージでこう述べている。

Shaam Times, 2020年9月3日
Shaam Times, 2020年9月3日

米国がそもそもバグダーディーの思想を育んだのだ…。彼の死に関する報道の信憑性をめぐっては大いに曖昧な点が残る…。彼が殺されていなかったとしても、結果は同じだ。西側が1,000人のバグダーディーを今後も創り出すということだ。

ムハイスィニーの言葉を借りれば、クラシーは「1,000人のバグダーディー」のうちの1人なのかもしれない。

東京外国語大学 教授

1968年東京生まれ。東京外国語大学教授。東京外国語大学卒。一橋大学大学院にて博士号取得。シリアの友ネットワーク@Japan(シリとも、旧サダーカ・イニシアチブ https://sites.google.com/view/sadaqainitiative70)代表。シリアのダマスカス・フランス・アラブ研究所共同研究員、JETROアジア経済研究所研究員を経て現職。専門は現代東アラブ地域の政治、思想、歴史。著書に『混迷するシリア』、『シリア情勢』、『膠着するシリア』、『ロシアとシリア』など。ウェブサイト「シリア・アラブの春顛末記」(http://syriaarabspring.info/)を運営。

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