是枝裕和監督「映画がくれるのは、ナショナリズムとは無縁のつながり」【釜山映画祭記者会見】
今回は、最新作『真実』が現在公開中の是枝裕和監督の、釜山国際映画祭においての記者会見の全文をお届けします。
今年の釜山映画祭で「アジア映画人賞」を受賞した是枝監督。その受賞会見では、忖度しない韓国記者からの日韓対立に関する質問が投げられる展開となりました(とはいえ、質問した記者は少し及び腰ではありましたが)。映画祭側は彼を庇う姿勢を見せましたが、「そういう質問が出ると思っていたので(笑)」と、過剰に反応することなく、もちろんいつもどおり全く逃げずに返答。その内容は、国籍を超えてその場にいたすべての人の心に響き、その後の韓国メディアには「マイスター(巨匠)」という最大級の敬称が踊りました。
全文を乗せたのは、その様子を余すところなく伝えたかったため。そして公開中の『真実』に関するお話も、日本のインタビューとは異なる話がすごく面白かったから。ちょっと長めですが、笑いと感動の会見の様子を、ぜひお読みくださいませ。
今回の映画は欧米のキャストと作っていますが、コミュニケーションはどのようにとったのでしょうか?
是枝監督:僕は日本語しかできないので、それをどう乗り越えるかというのは課題でした。でもとても素晴らしい通訳の方ーーこの5年ずっと一緒に仕事をしている方ですがーーに出会うことができ、彼女に半年間ベタで現場に着いていただいた。それがとても大きかったと思います。映画を撮影するときは、僕が何を考えているかが文字として相手に残るよう、手紙を書いてスタッフに渡しているんですね。これは日本でもやっていることですが、今回は言葉が通じないのでいつにもまして多く書くようにして、意思の疎通を図りました。
10年ほど前にはペ・ドゥナさんと一緒に映画を作りましたが、その時も互いの共通言語はありませんでした。もちろん言葉が違えば説明が難しい部分もありますが、撮影を重ねて歩調を合わせて進むようになるにつれ、どんどん言葉が必要なくなっていきました。今回の現場でもそうでした。映画作りの面白さというのは、多分そういう言葉を超えたところにあるんじゃないのかなと思いました。
キャスティングはどのように決めたのでしょうか?再び家族ドラマを作られた理由も教えてください。
20年くらい前からジュリエット・ビノシュさんと親しいお付き合いがありまして、パリや東京で会うことを重ねてゆく中で、彼女から「将来的に何か一緒に映画を作りませんか」というオファーを頂いたんですね。それに応える形で、今回のストーリーのあらすじができたのが2015年。その段階でノートの1ページ目には「カトリーヌ・ドヌーヴとイーサンホーク」というキャスティングを書いていました。ですから企画自体がその3人ありきでスタートし、当初の予定通り夢が叶う形で作品になったということです。
家族をテーマに描いていますが、どんな部分を大事にしましたか?また俳優へのオマージュがに思えましたが、監督はどのように考えていましたか?
今回は実はファミリードラマというよりは、「演じる」というのはどういうことだろうか?という思いで、女優を主人公にした作品を作ってみたいというのがスタートだったんです。その主人公を描くにあたって、女優にならなかった娘の存在と、若くして亡くなったライバルという二人を配置し、三角形の人間関係を作りました。
オマージュという意識は自分の中にはそんなになかったんですけれども。ただ撮らせて頂いたカトリーヌ・ドヌーヴという、本当に映画史の中で輝いている、しかも今も現役で活躍されている女優さんの魅力を、できるだけ多面的に、みずみずしく描きたい。そのことを、とにかく自分の中の一番の課題だと考えて作りました。
ときに逆転したりする母娘の関係を描くことに、どういうメッセージがあるのかお聞きしたいです。
映画の中にいろんな母娘の関係を登場させようと思いました。それがある時は、今おっしゃられたように立場が逆転して見えたり、ある時は演じている母親の共演者が、かつて共演することのなかったのライバルの姿に見えたり、庭から聞こえてくる声を娘のものだと錯覚したり……。そういう方法をとりながら、いろんな場所で「母と娘」「娘と母」というものを重層的に描くというコンセプトがありました。それはつまりはカトリーヌ・ドヌーヴという女優にいろいろな側面から光を当て、多面的に描くための方法でした。母であり祖母であり妻であり女優であり、そして娘でもある、そういうことを目指しました。
フランスでの撮影で、文化の違いなどによる困難や、気を付けた点などはありましたか?
自分の知らない、暮らしている場所ではない異国の地で撮影をするにあたっては、いくつか注意しなければならないことがあったと思います。まずはエッフェル塔や凱旋門など絵葉書のような風景の中で人を歩かせることはしないようにしようと。日常を暮らしている人が見る日常の風景の中で、物語を描こうということは最初に考えました。
子供の演出が素晴らしかったのですが、今回の孫娘役については、どのように演出されたのでしょうか?
女の子はオーディションで選んだんですが、演出も日本と同じやり方でやろうと思いました。つまり彼女には事前に脚本は渡さず、「おばあちゃんの家に遊びに来たお話だよ」とだけ伝え、あとは現場で僕がセリフを囁き、それを通訳の人に伝えてもらうという「ささやき作戦」でやりました。
実は元々の台本では学校でイジメられて不登校になっているというキャラクターだったんですが、あの役を演じたクレモンティーヌが非常に、勝気なというか、そういう女の子なんですね。撮影で夏休み明けに会った時に「夏休みどこに遊びに行ったの?」って聞いたら、凄く面倒臭そうな顔で僕を見て、「あそこのおばさんにさっき話したから、あのおばさんから聞いて」と言われて(笑)。その方は衣装担当の方で、どうやら海に行ったらしいんですけれども(笑)。そういう感じが「これはイジメられて不登校に、という感じじゃなく、まさにあのおばあちゃんの DNA を受け継いだ孫として描いた方が面白そうだな」とジャッジしまして、そこから脚本も随分変えました。
1つめの質問は、嘘と演技を描いた映画が「真実」というタイトルであることについて。2つめは、最近の政治的な問題から、韓国での日本映画の興行的にうまくいかないこともあるのですが、監督は日韓関係についてどう考えていますか?
そういう質問は出るだろうと思ってたんで。むしろひとつ目の質問の方が難しい(笑)。
どういう話ととらえていたかというと、「真実」という嘘にまみれた自伝を書いた母親がいて、そこに娘がやってくるんだけれど、その娘の中にも、まだ書かれてはいないものの、「真実」とは言えない自分史がある。(物語は、その娘が実家に滞在した)一週間の間に、母と自分の関係を自分の中で書き直していく。二人は、お互いがお互いに「演技」というマジックを使うことにより、かつても今も、たどり着きたいと願っていた「真実」に、ちょっとだけ近づく。そういう話になるといいなと思っていました。
5年前になるのかな、この映画祭が政治的な圧力を受けて開催が危ぶまれた時期(2014~2016年)がありました。その時に世界中の映画人が釜山映画祭を支えたいと声をあげ、僕も(その一人として)微力ながら、この映画祭に対する連帯の意思を表明しました。そのことによって困難な時を乗り越えて、今この映画祭が存続し、今ここに僕自身が選んで頂けるような状況になっていると思います。
当時の映画祭の対応を、僕は「よく頑張ったな、よく耐えたな」と思っておりますし、政治的な困難に直面してできない連帯を、映画と映画人がより豊かなより深い形で示せたこと、それを見せていくことが大事なんではないかと思っております。ですから(自分も)この場に来ていますし、この場にいる人たちは、作り手とかジャーナリストとか関係なく、そういう映画の力を信じている方たちだと、僕自身は信じています。
昨年カンヌでパルムドールを受賞直後の作品で、何かプレッシャーは?これまでの作品とは異なる軽快な世界を描いたのは、新たな世界を描く上での悩みのようなものは?
映画自体の企画が動き始めたのは2015年で、実は賞を取る前です。『万引き家族』のあとに企画したものだったらあったかも。でも日頃からあまりプレッシャーというものを感じない方なので。むしろ今回の場合は、受賞直後にイーサン・ホークに出演交渉をしに行った時に、「初めまして」の挨拶の代わりに「 congratulations、このタイミングだと断りにくいんだよな」と言われて、「パルムドールとって良かったなー」と。そういうように受賞の恩恵を受けた記憶しか残ってないですね。
そんなに暗くて重い映画ばかり作ってきた記憶はいんですが、そういう印象が多いのかな、正直言うと。まあ先ほど、ドヌーヴさんに光を当て多角的に魅力的を引き出す演出を考えたと言いましたが、監督としての自分に多角的に光を当てて見たとき、自分の中に陰と陽があるとするならば、今回は陽の部分をどういう風に作品に反映していくか。まあそれはこれまでも時々考えてきましたが、今回は特に見終わった後に明るい着地点にたどりつくことを考えました。
「アジア映画人賞」受賞の影響について。映画を作る意味は変わりましたか?なぜ映画を作るのでしょうか?
普段映画を作っている時に、日本映画を作るという感覚はありませんし、今回もフランス映画にしなければというプレッシャーがあったわけではありません。とにかく「いい映画を作りたい」という意識だけで撮ってきたことが事実です。それでもやはり、同時代にともに映画を作っているアジアの監督たちーー僕にとってはすごく大きな存在である台湾の侯孝賢、そして近年だとイ・チャンドン、ジャジャン・クー、そういうアジアの同志、友人たちの作品に触発され刺激を受けながら、彼らに見てもらって恥ずかしくないものを作りたいと思いながら25年やってきました。つまり「アジアの映画人」という意識は、心のどこかに持ってきました。そういう意味で、今回の受賞は感慨深いなと思っています。
「なぜ映画を撮るのか」というのは本当に難しい質問なんですが、今回のように日本を出て欧米のキャストと映画を作り、本当に優れた映画祭から招待を受けて参加し、そういうことを通じて出会う映画人たちとの交流には、それこそ自分が目に見える形で所属している国や共同体よりも、はるかに大きく豊かな「映画」という共同体の中にいることを感じますし、ナショナリズムというようなものとは無縁の視点で、(彼らと)時間を共有し、つながっていけるーーそういう……境地、というのかな、気持ちになるんですよね。それが本当に幸せです。そういう時間が僕を、映画の作り手としても、一人の人間としても、成長させてくれる。そういう風に思っているので、映画を作り続けます。
『真実』公開中
(C)2019 3B-分福-MI MOVIES-FRANCE 3 CINEMA
Photo L. Champoussin (C)2019 3B-分福-MI MOVIES-FRANCE 3 CINEM