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なぜ外国人指導者が多いのか?

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)

サッカー日本代表の新監督にメキシコ出身のハビエル・アギーレ氏が決まり、11日、就任会見が開かれた。自信に満ちたトークを聞きながら、なぜ日本スポーツ界には外国人コーチが多いのかを考えた。

55歳のアギーレ新監督は、イタリア人のアルベルト・ザッケローニ氏のあとを受けての就任である。現在のラグビー日本代表のヘッドコーチ(HC)は、ニュージーランド人のジョン・カーワン氏の後任、オーストラリア出身のエディー・ジョーンズ氏である。

なぜと言っても、まず国籍は関係なかろう。日本人、外国人云々ではなく、指導者の能力で考えた場合、ワールドワイドの経験を豊富にもつ外国人コーチがより有能なのだ。指導力としての、一貫したチーム作りと戦術・戦略、カリスマ性などで、著名な外国人指導者のほうが優れているということだろう。

アギーレ新監督は「選手たちを選ぶ時、何を大事にするのか?」と聞かれ、「とにかく、オブザーブ(見る)ことです。自分の目で実際に見ることを重要視していきたい。つまり、すべてのプレーヤーに対してドアは開いているということを言いたい」と答えた。

ラグビーのジョーンズHCにかつてインタビューした際、「指導者で一番大事なことは?」と聞いたら、たしかこう答えた。

「観察することです。グッド・コーチは必ず、グッド・オブザーバー(観察者)です」

アギーレ新監督はサッカー哲学を聞かれ、「非常にシンプルだ。たくさん走る。いいプレーをする。そして勝利を収める。これに尽きる」と答えた。ジョーンズHCはかつて、こう言った。「常に勝つことのみ、その1点にフォーカスする。一貫したセレクションをする。よき準備をする」と。

経験はもちろん、大事である。アギーレ新監督は選手としてメキシコ代表となり、1986年ワールドカップ(W杯)では8強に進んだ。監督としては、2002年W杯、10年W杯で母国を16強に導いた。ジョーンズHCはオーストラリアの代表経験はないものの、2003年W杯でHCとして豪州代表を準優勝に導き、07年W杯ではコーチとして南アフリカの優勝に貢献した。

ついでにいえば、日本人選手は外国人の監督をレスペクト(敬意)を抱く傾向がつよい。日本人には、選手としての実績を持たない指導者の言うことを聞かない場合もある。選手と指導者の実績は別ものなのだが。

外国人の場合、理論に長け、日本の固定観念に縛られることはない。つまり発想が多用で、グローバルスタンダードを備えているケースがおおい。メディアとの応答も比較的、優れている。コトバの問題もあって、日本人監督より、メディアやファンのプレッシャーを避けやすい。選手への先入観が少ないため、公平に対応することもできる。対照的に日本人監督だと、日本独自の「しがらみ」や温情で選手起用するケースもあるかもしれない。

もちろん、外国人コーチの場合、「コミュニケーション力」が問題となる。アギーレ新監督はその点を聞かれ、こう笑顔で答えた。「ボールが共通語だと認識しています。コトバが話せなくても問題ありません。通訳もいますから」と。

外国人コーチにとってコトバより大事なことは、日本の文化、日本人を理解しようとする姿勢だろう。

「日本の伝統、歴史を書籍で勉強してきた」とアギーレ新監督は言った。「サッカー以外の文化的なものをいろいろと試したい。妻や息子と一緒に、一般人として、いろいろな人に会いたいし、いろいろな土地も訪ねたい」

チームづくりのキーワードを聞かれ、アギーレ新監督はスペイン語で「コンプロミソ」と答えた。責任や義務、約束を守ることを意味するそうだ。つまり、これは武士道でいうところの「忠義」ではないか。

また外国人指導者は概ね、日本人のそれより年俸がおおい。プロコーチとして見る場合、実力のバロメーターは「金額」である。アギーレ監督の年俸は、ザッケローニ前監督のおよそ2倍の2億数千万円(推定)といわれている。それだけ、結果につていの責任と覚悟が求められることにもなる。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2024年パリ大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。酒と平和をこよなく愛する人道主義者。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『まっちゃん部長ワクワク日記』(論創社)ほか『荒ぶるタックルマンの青春ノート』『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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