帰順の北朝鮮兵士が浮かび上がらせた韓国の3つの問題
13日、JSA内の軍事境界線を走って越え、韓国へと帰順(亡命)した北朝鮮兵士のオ氏。24歳の彼が起こした「事件」は韓国社会の今を見直す様々なきっかけとなった。
オ氏が韓国入りして10日になるが、白昼堂々の脱出劇であったため、韓国では一貫して大きく取り上げられている。筆者がこれまで見てきた中で、注目に値する議論をいくつかまとめて見る。
(1)交戦守則(規則)をめぐる陣営論
昨日の筆者の記事でも触れたが、韓国側から国連軍が撮影した映像には、溝にはまったジープを乗り捨て、走って軍事境界線を越えようとするオ氏に対し、北朝鮮兵士4人が数十発の銃弾を浴びせかける姿がしっかりと写っていた。
これは「双方はあらゆる非武装地帯(南北それぞれ2キロ)内で、もしくは非武装地帯から非武装地帯に向けてどのような敵対行為も敢行できない」という朝鮮戦争の停戦協定(休戦協定)を明確に違反するものだ。JSAを管理する国連軍側は北朝鮮に再発防止のための協議を呼びかけるとしている。
しかし、韓国では事件当初から「なぜ韓国側は黙って状況を見ていたのか。北朝鮮兵士が韓国に向かって銃撃しているのに、対応射撃をしないのはおかしい。韓国軍の交戦守則を適用すべきだ」という問題提起がなされていた。
弱腰だ、ということである。こうした批判は韓国で保守とされる第一野党(旧与党)の自由韓国党議員などから行われた。当時、韓国軍は全ての状況を観察していたとされ「韓国側が対応していたら帰順兵士の負傷も今より軽かったはずだ」という主張はそれなりの説得力を持っていた。
これに呼応するかのように、自身も特殊部隊出身の文在寅大統領が「韓国側に銃弾が飛んできているのなら、照準を合わせない警告射撃でもするべきというのが、国民が考える平均的な交戦守則ではないか」と語るや、にわかに交戦守則変更への関心が高まった。
少し整理すると、板門店のあるこの区域JSAは「共同警備区域」というその名の通り、名目上は国連軍と中朝側が共同で管理しているものだ。あくまで「対話の場」と位置づけられ、重火器での武装も禁止されている。
南側の警備は韓国軍が行うが、作戦の指揮権は国連軍が持つ。韓国軍のソ・ウク合同参謀本部作戦本部長は14日、国会の国防委員会でJSAにおける国連軍の交戦守則について「韓国軍の哨戒兵に危害が加えられる状態か、危機が高潮する可能性があるかを同時に判断するもの」と説明した。
これらに該当しない場合には戦闘の拡大(拡戦)を防ぐ水準での対応、比例の原則(同じ分だけ反撃する)に基づいた対応を求めている。つまり「管理」が主となるものだ。
一方、韓国軍の交戦守則は明確だ。2010年の延坪島砲撃など北朝鮮による軍事的挑発を受け「撃たれた分だけ撃ち返す」ものから「3〜4倍での応酬」となっている。比例の原則はない。世論の高まりを受け、韓国軍もこの交戦守則をJSAに適用することにやぶさかでない立場を見せた。
しかし、こうした変更は、今後JSAで何かある場合、あっという間に大きな戦闘につながる危険があるとの批判の声も高かった。あくまで対話の場であるという原則の下、現在の交戦守則を維持するべきというものだ。こうした論調は、主に南北関係を重視する進歩派のメディアなどに多く見られた。
弱腰か強気か、南北対峙におけるお決まりの論理だ。
事態は思わぬ所で決着した。青瓦台(韓国大統領府)は16日に「韓国政府にJSAでの交戦守則を修正する権限がない」という点を明確にしたのだった。ただ、大統領が言及したので、今後、国連軍側と議論するかもしれない、というフォローは忘れなかった。
主治医・李教授と亡命兵士オ氏の「奇跡」
(2)項に行く前に少し説明を加えておきたい。今回の亡命事件の主人公を北朝鮮兵士・オ氏とするならば、欠かせない名脇役が主治医のイ・グクチョン教授(以下、李教授)だ。
オ氏がヘリで運ばれてきた亜洲大学病院の重症外傷センター長を務める48歳の李教授は韓国では名医として広く名を知られている。
李教授は2011年に1月にソマリア沖で海賊に拿捕された韓国貨物船の船長を治療したことで一躍有名になった。当時、韓国軍が中心となって行われた海賊から船と人質の船員を奪回する作戦中に、ソク・へギュン船長は海賊から腹部に銃撃を受け、重体となる。
この時、ソク船長が収容されたオマーンの病院に飛び治療に当たったのが李教授だった。すぐに韓国への移送を決めた李教授は、亜洲大学で石船長を無事に治療することに成功する。
同じ時期、李教授は重症外傷センターを全国に作る法案立案に尽力。テレビなどにも盛んに出演し、「あらゆる重症外傷患者が1時間のゴールデンアワー以内に、適切な処置を受けられる欧米や日本のようなシステム」を韓国に構築しようと訴えた。
韓国の重症外傷治療の第一人者として、そして職人肌の医師としての姿勢は、ドラマのモデルになりもした。だが本人は今も「36時間勤務」と言われるほどの激務をこなし、過労のため左目の視力を失いつつあると告白している。
東亜日報の報道によると、オ氏の救出直後、JSAの警備にあたる韓国軍大隊が所属する韓国軍第三軍団の司令官は、患者を李教授の下に送るよう直接指示を下したという。
とは言うものの、亜洲大病院は米軍の治療を一手に引き受けており、李教授によるとその数は「年間2000人」に及ぶというから亜洲大に来たのは当然なのかもしれない。李教授も韓国海軍の名誉将校の軍医(少佐)として正式な籍を維持している。
米軍のヘリで運ばれてきたオ氏はすぐに緊急手術に突入。すでに多くのメディアで既報の通り、4発もしくは5発の銃弾を浴び、激しい出血と内臓の損傷、さらに腹腔内でうごめく寄生虫を相手に13日、そして15日と2度の手術を成功させ、23日現在、順調な回復にまで導いた。
李教授がこれまで語った内容をまとめると、今回の治療ではまず、米軍の米軍航空医務後送部隊「ダストオフ(DUSTOFF)」の適切な処置がオ氏を救った。そして、北朝鮮で抗生物質などを使っていなかったためか、薬物が劇的に効いた点も大きかったという。また、オ氏が北朝鮮で特殊な訓練を受けた頑強な体を持っており、通常の患者よりも回復が早いという。
しかし、多くの読者がご覧になったように、数メートルの至近距離から、数十発の銃弾が発射される中、オ氏が約40メートルの距離を走りきり、遮蔽物(壁)の裏にまでたどり着いたのは「奇跡」でしかない。
李教授も15日の記者会見で「最初に受けた弾丸が膝や肘に当たったはずで、興奮で痛みを抑える物質が出ていたために走れたのだろう。骨盤と小腸を破壊する銃弾をまず受けていたら動けなくなっていたはずだ」と語っている。
(2)主治医が韓国医療の現実を激白
だが、筆者がこの稿で伝えたいのは別の点だ。実は李教授は昨日22日に病状に関する記者会見を行うはずだった。そう思って亜洲大学病院に集まった記者たちを待っていたのは、オ氏の病状を記した3ページの報道資料だった。
マイクを持った李教授の第一声は「申し訳ない」であった。そして「地方の小さな病院で、とても大きな手術をたくさんする」とし、「国中が注目する手術をすることで(病院内に)不協和音が起きるようだ」とした。
この日の記者会見も直前まで病院長に止められていたという。理由は、とある国会議員の発言にあった。
李教授は15日に行った一度目の記者会見で、オ氏の腹腔内の写真や、寄生虫の写真などを詳細に公開したのだが、これに対し、進歩派の野党・正義党のキム・ジョンデ議員が「我々が北朝鮮より優れているものは何か?」という名の投稿を自身のフェイスブックに行った。
その中で「帰順した兵士(オ氏)は北朝鮮の追っ手に撃たれ、人間の尊厳と生命を否定されたが、韓国で治療する間に、体内の寄生虫や内蔵の糞便、胃腸内のとうもろこしまで公開され、人格的なテロにあった」と李教授を批判したのだった。さらに患者の病状をこれでもかと公開する韓国のメディアに対しても「帰順兵士に銃撃を加えた北朝鮮の追っ手と同じことをした」と痛烈に批判した。
同時に、李教授と亜洲大学病院に対する様々な毀誉褒貶が集中した。中でも「売名行為」、「米国の手先」「アカの手先」など根拠のないレッテル貼りが行なわれたのだった。
これに対し李教授は「医療陣が患者の人権を真に考えるならば、最も重点に置くのは、命を救うことだけで、他の何にも神経を払わない」と正面から反論した。
李教授は、15日の記者会見では「いつどうなるか分からない」と患者の容態を表現しており、正確な情報提供を行うことで、今度の事態に備えたと見ることができる。だが、この日の李教授の強い反応は、重症外傷センターをめぐる韓国内の劣悪な環境によるものが大きいと見るのが妥当だろう。
「持続可能でないのが、重症外傷センターの現実だ。明日が見えない中、最後まで粘るのが我々のチームで、感染した患者の血を浴びるのが我々だ。看護師が流産をしても指が折れても誰も守ってくれない。ヘリに乗って出動する時も政府を相手に訴訟を起こさないという覚書を書く。患者の人権侵害を言う前に、人権の死角で働く重症外傷センターの者たちを考えて欲しい」と窮状を訴えた。
この日も、150床ある同病院の重症外傷センターは満員となり、患者を受け入れられない状況だった。東亜日報が今年8月に報じたところによると、打撲や骨折、出血患者などの外傷を専門的に治療する圏域外傷センター9箇所のうち、専門担当医20名を揃えた病院は一件もない。
全国どこにいても1時間以内に適切な治療を受けられるシステムは、韓国では未だ遠い理想の話に過ぎない。
またメディアに対しても「現実に真心を持って対応せずに『今日は患者が目覚めたか?』『何の話をしたのか』などの部分にエネルギーを使うのではなく、社会が正しい方向に進めるように助けてほしい」と苦言を呈した。
極めつけはこの一言だった。
「今回、兵士(オ氏)は本人の意志で、死を覚悟して銃弾を4発以上も受けながら韓国に越えてきた。重症患者を収容できずに患者が死んでいく姿を見にきた訳ではないだろう」「北朝鮮軍の兵士として韓国に来たのに、韓国で日々起きているように記者や高級官僚、政治家の中に知り合いがおらず、応急室で放っておかれて死んだとしたら?韓国には何をしにきたというのか?」
なお現在、青瓦台(大統領府)の請願掲示板には「圏域外傷センター(イ・グクチョン教授)への制度、環境面での追加の人的資源の支援」というページが立ち上がり、一週間で約15万人の署名を集めている。
(3)南北対峙の現実と韓国社会
22日、国連軍により現場映像が公開されたことで、今回の事件はよりリアルに感じられ、韓国はもちろん、日本に住む人々にまで大きなショックを与えたことだろう。
何がなんでも韓国に行かせたくない北朝鮮軍人の必死の銃撃、弾が命中したのにも関わらず走り続け、救出時には体内にわずか4リットルの血液しか残っていなかった亡命兵士のオ氏。南北分断の現実をこれでもかと見せつけられる事件だった。
さらにオ氏のお腹から出てきた寄生虫。昔は韓国でも日本でも腹の中にたくさんいたものだが、まるで北朝鮮庶民の窮状を象徴するかのようだった。
何よりも上述してきたような、この事件を前にまざまざと浮かび上がった「左右の陣営論」と「レッテル貼り」という韓国社会の問題点。重症外傷の際の医療システムという本質的な問題は後ろに追いやられた。
朝鮮戦争後、世界10位圏にまで経済発展を遂げた韓国ではあるが、来年70年を迎える南北分断の前ではそんな余裕は一瞬で吹き飛んでしまうことを再確認させられた事件だった。
幸い、韓国ではオ氏(名前が明らかになったのは事件発生から一週間以上過ぎた後だが)の状態を心配する声が圧倒的に多かった。だが、これは当たり前の「人道的な思考」に過ぎないだろう。筆者もまたそうであったが、結局最後にすがるのは使い古された「人道」しかないものか。
この問いに対する答えを、李教授の言葉から見つけ出したい。「韓国社会を一歩でも良い方向に進めて行かなければならない。北朝鮮の兵士は韓国の情けない姿を見ようと、命がけで脱出してきた訳ではないだろうから」。(了)