BCL茨城が元メジャーリーガー2人を獲得。独立リーグ経由の「ジャパニーズ・ドリーム」は夢幻か、正夢か
低迷を続ける独立球団にやってくるふたりのメキシカンリーガー
独立リーグ・ルートインBCリーグの茨城アストロプラネッツがメジャーリーガー2人の獲得を発表した。同球団は、昨年2019年シーズンよりBCリーグに参入したものの、選手集めに苦心しており、昨年は12勝55敗3分の.179という記録的な勝率で前後期とも同リーグ東地区最下位、捲土重来を期した今年も7勝49敗4分の.125と前年を下回る勝率でリーグ全12球団中最低勝率に終わっている。戦力整備が急務とされていたチームには救世主としての期待が高まる。
今回入団が決まったのは、メキシコ人とキューバ人の2人。
28歳のメキシコ人投手、セサル・バルガスは現在メキシカンリーグの強豪、モンテレイに所属。今年はコロナのためメキシカンリーグは休止となったが、現在はウィンターリーグの名門、エルモシージョでプレーしている。17歳でヤンキースと契約、長らくマイナー生活を続けていたが、2016年の1シーズンだけパドレスでメジャーのマウンドに立っている。メジャーでの成績はすべて先発で7試合に登板し、勝ち星なしの3敗で防御率は5.03というものだ。昨年から拠点を母国メキシコに移し、メキシカンリーグで先発、リリーフとも経験し、8勝6敗防御率4.34の成績を残している。春に行われた侍ジャパン戦にはメキシコ代表の一員として来日。敗戦を喫した第2戦目の4番手としてマウンドに登り、先頭の吉田正(オリックス)に安打を喫したものの、後続を連続三振(吉田は盗塁死)に打ち取って1イニングを無失点に切り抜けている。
キューバ人のダリエル・アルバレスは32歳の外野手だ。母国では地元チーム、カマグエイでプレーし通算45本塁打を記録していたが、23歳になった2012年にメキシコに亡命。その後オリオールズと契約を結び、2015年と16年の2シーズンメジャーの舞台に立った。メジャーでの通算成績は14試合で打率.250、1本塁打というからキャリアのほとんどはマイナー暮らしということになる。キューバ時代と、マイナーのルーキー級、昨冬プレーしたメキシコのウィンターリーグでマウンド経験があるが、このクラスでは珍しいことではないので、報道で言われている「二刀流」というほどのことでもないだろう。
今年2月にプエルトリコで行われたカリビアンシリーズにも、メキシコ代表・クリアカンの補強選手として参加し、5安打を放っている。5番指名打者として出場したベネズエラとの準決勝ではチームが完封負けを喫する中、2安打2四球とすべて出塁し、ひとり気を吐いていた。彼もまた現在はメキシカンリーグを主戦場にしている。2019年シーズンは打率.288で18本塁打を記録した。
現在メキシカンリーグに籍を置く2人が、待遇の落ちる日本の独立リーグへの移籍を決断したのはその視線の先に日本のプロ野球・NPBがあるからだという。
独立リーグの戦略の変化によって生まれたジャパニーズ・ドリーム
2005年の四国アイランドリーグ(現四国アイランドリーグplus)の開始が日本の独立リーグの出発点だが、このリーグは当初、国内社会人実業団チームの激減を前に、NPBドラフトにかからなかった選手に再チャレンジの場を与えることを理念とし、元プロ(NPB経験者)の選手登録はもちろん、外国人選手の受け入れもしていなかった。しかし、スポーツの国際化が進む中、翌年には外国人選手にも門戸を開くようになり、プロ経験のない韓国人選手を受け入れた。そして2007年には元プロの韓国人や広島カープのドミニカアカデミーの選手を受け入れるなど、プロ経験者にも門戸を開くようになった。この年には、BCリーグもリーグ戦を開始するが、初年度は日本人のみでリーグ戦を行ったこのリーグも、翌2008年からは外国人選手を受け入れるようになった。
独立リーグから外国人選手が初めてNPB球団に移籍したのは、2009年シーズン途中にドミニカ出身のディオーニ・ソリアーノ投手がアイランドリーグの徳島インディゴソックスから広島に育成契約で入団したのが最初である。ただし、このケースは、元々ソリアーノが広島のドミニカアカデミーの契約選手で、実戦経験を積ませるために徳島に「貸し出されて」いたもので、純粋な意味での「独立リーグ経由NPB行き」ではない。
メジャー昇格に見切りをつけ、来日し、独立リーグから「ジャパニーズ・ドリーム」を叶えた最初のケースは、この2009年にアイランドリーグの高知ファイティングドッグスが獲得したフランシスコ・カラバイヨだろう。高卒後、アストロズと契約を結んだものの、2Aまでしか昇格できず、その後、北米の独立リーグでプレーしていたベネズエラ人のカラバイヨは、日本の独立リーグでその長打力を開花させた。入団年に早速本塁打、打点ともに未だ破られていないリーグ記録で二冠王に輝くと、翌2010年にはBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスに移籍。シーズン前半だけで2年連続のキングとなる15本塁打を放つと、オリックスと契約を結んだ。オリックスではケガなどもあり、翌年シーズン限りで一旦リリースされるも、群馬に復帰後、2015年にも再契約にこぎつけている。日本独立リーグ在籍7シーズンすべてで本塁打王に輝き、毎年3割4分を超える高打率を残した「レジェンド」は、その後の外国人選手の「独立リーグ経由NPB」というキャリアパスに道筋をつけたと言っていい。この後、ジャパニーズ・ドリームを夢見て多くの外国人選手が日本の独立リーグを目指すようになった。それは、マイナーに甘んじていた者だけでなく、メジャーという最高峰の舞台を経験した者までにも及んだ。2012年シーズン途中にドミニカ人投手、フランシス・ベルトランが群馬に入団したが、これは外国人の元メジャーリーガー最初の日本独立リーグ入団の事例であった。
カラバイヨと同じベネズエラ出身のエディソン・バリオス(元ソフトバンク、DeNA)もまた、カラバイヨと同じくマイナーから来日し、独立リーグとNPBを往復している。
ベルトランが群馬入りした2012年には、アイランドリーグの香川オリーブガイナーズに入団したイタリア人投手アレックス・マエストリがシーズン途中にオリックスに移籍している。母国のセミプロリーグから北米の独立・マイナーリーグでプレーしたものの、2Aまでしか昇格できず、NPBに目標を切り替え日本の独立リーグに身を投じた彼は、見事ジャパニーズ・ドリームを実現した。オリックス入団後も貴重な戦力となり、4シーズンで14勝を挙げている。
厳しい現実と存在感を増す日本の独立リーグ
とは言え、アメリカで芽の出なかった選手が独立リーグからNPBに「昇格」するのは、至難の業だ。
BCリーグは2010年代の一時期、積極的に国際交流を行っていた。その先頭に立っていたのが石川ミリオンスターズで、北米独立リーグとの提携の上でのハワイへの遠征や金沢での国際交流戦、コロンビアリーグとの選手交流などの旗振り役を買って出ていた。2012年シーズン、実に5か国から8人の選手を石川は受け入れていた。
その中のひとりにサンディ・マデラというドミニカ人選手がいた。このシーズン直前、彼はメキシコのウィンターリーグの最高峰(中米の野球大国メキシコには複数のウィンターリーグがある)・メキシカンパシフィックリーグの首位打者に輝いていた。2000年代までカリビアンシリーズ出場4か国(現在は6か国)中、最も優勝回数が少なく、レベルも低いと言われていたこのリーグだが、域内での経済力、治安の良さもあり、2010年代に入ると次々と好選手が集まるようになり、今では人気実力とも中南米ナンバーワンの地位を占めている。
マイナーでは3Aまで経験し、2010年からはメキシカンリーグにプレーの場を移し、毎年3割をマークしていたマデラもまた、オフシーズンには母国のウィンターリーグに戻ることなく、そのままメキシコに留まることを選んでいた。そして同世代の元メジャーのスター選手、ホルヘ・カントゥ(マーリンズなど)を抑えて打撃成績の頂点に立った。
そんな彼でも、メキシカンリーグでのプレー継続を選ばずに、報酬のより低い日本の独立リーグを選んだのは、ひとえにNPBへのジャパニーズ・ドリームを求めてのことだった。当時彼は32歳。この年齢でメジャー経験がなければ、アメリカでの役割は3Aの頭数合わせというのが相場だ。メジャー候補の若手有望株育成の場である2Aではもはや居場所がなく、メジャーへの昇格の道も半ば絶たれているので、当然買い叩かれる。そういう「メジャー未満」のベテラン選手が目指すのがメキシコなのだが、ここでも報酬は、マイナー以上ではあるものの、せいぜい月給100万円ほどにしかならない。そこで「メジャー未満、マイナー以上」の選手たちは日本をはじめとするアジアのプロ野球を目指すのだが、同じような実力の者がごまんといる中、うまく代理人が行き先を見つけてくれるかどうかは運次第ということになる。そこで、彼らの射程に浮かんでくるのが日本の独立リーグというわけである。
しかし、実際にジャパニーズ・ドリームをつかむ選手はほとんどいない。確かにアメリカでのプロ経験のある選手たちの実力は日本人独立リーガーをはるかにしのいでいるが、NPB球団が外国人選手に求めるのは、即戦力としての役割である。とくに打者の場合は、スタンドまで放り込める長打力を各球団は求める。
結局、マデラはNPB球団と契約することなく日本を去った。彼がBCリーグでプレーした前の年、2011年にメキシカンリーグで放った本塁打は18本。打高投低である上、高地の球場が多く、ボールの飛距離が出やすいといわれているこのリーグにあって、スラッガーとしては物足りない数字だ。実際BCリーグでも、打率.331とミートの巧さは見せたが、NPB球団が求めるだろう本塁打はたった3本しか放てなかった。メキシカンリーグに戻った2013年も打率リーグ3位の.390をマークしているところを見ると、NPBで1シーズンプレーすれば、3割をマークする実力はあっただろう。しかし、助っ人として見た場合、日本人選手にはない長打力を見せつけなければ、ジャパニーズ・ドリームは夢のまま終わってしまう。
2012年シーズン、石川でプレーした外国人選手8人のうち、ただひとり、アメリカ人投手のスティーブン・ハモンドだけがジャパニーズ・ドリームをかなえた。アメリカでは3Aまで上り詰め、台湾リーグでもプレーした30歳の左腕は、BCリーグで11勝5敗、防御率1.85の数字を残し、シーズン後にテストを受けた上でオリックスとの契約にこぎつけた。しかし、その彼も2013年シーズン、一軍登板のないまま1シーズンもたずにリリース。その後、2度日本の独立リーグでプレーするが、NPBの舞台に立つことは2度となかった。
今回、茨城でプレーすることになった2人の姿は、8年前の石川の2人の選手と重なる。つまりは中距離砲のベテラン、アルバレスのNPB入りはかなり難しいと思われるが、投手のバルガスには成績とピッチング内容次第でチャンスはあるのではないかということだ。
多くの選手が海を渡っている近年の状況の中、南北アメリカ大陸でも「ジャパニーズ・ドリーム」のゲートウェイとしての日本の独立リーグの知名度は高まってきている。バルガスの母国、メキシコでも野球専門サイト、PURO BEISBOLで彼の茨城入りが報じられている。
コロナ禍で来年のメジャーリーグもフルシーズンの実施が難しいのではないかという報道もなされる中、選手の視線も太平洋の向こうに向くようになっている。今回の2人の茨城入団は、チームの強化だけでなく、リーグのレベル向上につながることは間違いない。そこで日本の野球にアジャストすることに成功した彼らがNPBへの扉を開けた時、世界の野球界における日本の独立リーグの存在感はますます高まるだろう。
(文中の写真は筆者撮影)