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帰国した息子の遺体と最期の別れ【台湾バイク事故】両親の哀しみと謝意

柳原三佳ノンフィクション作家・ジャーナリスト
祭壇には野球のボールに見立てた花とひまわりが飾られていた(林さん提供)

俊徳(しゅんとく)へ。ママは今、俊への最期の手紙を読むためにここに立っています。俊、18年間、ママの子どもでいてくれてありがとう。俊のおかげでママは知らない世界をいっぱい知ることができました。本当に楽しかった。今回、いろいろな人が俊のために泣いてくれて、俊のためにいろいろしてくれた。そのことを絶対に忘れちゃダメだよ……

 5月9日、交通事故で亡くなった故・林俊徳さん(享年18)の葬儀が、横浜市の斎場で行われました。母親の林里美さん(51)は、何度も涙をぬぐいながら、亡き息子への手紙を読み上げました。

 遺影が掲げられた祭壇の中央には、白い花で模った野球のボールが、そして、その周囲には俊徳さんが生まれた夏を思わせる、たくさんのひまわりの花が飾られています。

台湾大学の法学部で学びながら、野球部にも所属していたという俊徳さん(林さん提供)
台湾大学の法学部で学びながら、野球部にも所属していたという俊徳さん(林さん提供)

 手紙の最後に、里美さんは遺影を見つめながらこう語りかけました。

病院で亡くなってから、ママは俊の顔を見てないね。ママは生きてる俊をずっと記憶に残しておきたいから、顔を見ないでお別れするね。俊、それだけは許して。また会おうね。俊、大好き。ばいばい……

 新型コロナウイルスの感染拡大を防止するため、こうしたお別れの儀式でも「密」を避けなければなりません。

 葬儀の模様は、Zoomでも配信され、斎場に足を運ぶことのできなかった友人や知人が俊徳さんとの別れを惜しみました。

 父親の英明さん(58)は静かな口調でこう締めくくりました。

何の前触れもなく、事故で愛する家族を失うほどつらいものはないです。これから私たち家族は、俊徳のいない寂しさの中で生活しなければなりません。しかし、短い生涯ではありましたが、私たちは俊徳が一生懸命過ごしていた日々を忘れずに、俊徳のことが話題に出る家族で居続けたいと思います……

事故直後の現場。2台のバイクは正面衝突したとみられる。左のスクーターが俊徳さんのバイク(林さん提供)
事故直後の現場。2台のバイクは正面衝突したとみられる。左のスクーターが俊徳さんのバイク(林さん提供)

■コロナ禍の最中に起こった留学先での交通事故

 俊徳さんは高校時代、中国に単身留学し、日本語の他、英語、中国語を自在に操れるだけの語学力を身につけていました。

 高3になり、海外の複数の大学を受験して合格通知をもらっていましたが、新型コロナウイルスの影響で外国渡航が出来なくなったため、昨年の7月ごろには、日本の大学への受験も視野に入れていたといいます。

 そんな矢先、台湾が新入生の受け入れをすることになったという情報を得た俊徳さんは、急遽、台湾大学で学ぶことを決意したのです。

 しかし、台湾での大学生活は、わずか数カ月で断ち切られてしまいました。

 2021年2月21日午後、台北市郊外の山道でバイク同士の衝突事故に遭ったのです。

 以下は、事故を報じる台湾のTV番組です(動画の中に流暢な中国語を話す俊徳さんの生前の映像も出てきます)。

 この事故で、スポーツバイクに乗っていた相手のライダー(24)は即死、スクーターに乗っていた俊徳さんは脳挫傷等で病院に搬送されましたが、間もなく脳死と診断されました。

 言葉も法律も異なる外国で起こった重大事故、しかも、世界中が渡航制限をかけている時期ということもあり、日本から台湾へ渡り、面会に駆け付けることは容易ではありませんでした。

 里美さんはたった一人、何の情報も得られないまま台北のホテルの一室で過ごしていた苦しい時間を振り返ります。

事故現場には防犯カメラがなく、衝突の状況は今もはっきりしていません。にもかかわらず、ネット上には事故直後から『日本人留学生が右側通行と左側通行を間違えたのではないか?』といった書き込みをされ、本当に怖かったです。私は憶測だけの発言に惑わされたくないと思いました。でも、俊徳があの日、なぜそこへ行ったのかが全く分からないのです。バッグの中に入れていたカメラの画像は事故の衝撃で一瞬にして消えてしまい、俊徳が台湾でどんな景色を見て過ごしていたのか、それを知ることすら出来なくなってしまいました。隔離期間が終われば、警察から普段の生活や現場に行った理由を訊ねられると聞いていた私は、それまでに俊徳とSNSなどでつながっている友達をなんとか探したいと思いました。そして、事故から2週間後の3月8日、できる限りのことをしようと決断したのです

 里美さんから私のもとに初めてのメールが届いたのは、ちょうどこの日でした。

 今回の事故のことを実名で公開し、現状を写真で見てもらい、メールアドレスも公開したうえで、どんな些細な情報でもよいので情報を得たい……。

 文面からはそんな切実な思いが伝わってきました。

一人で台湾に渡航し、脳死状態で闘病する俊徳さんを見舞った母の里美さん(林さん提供)
一人で台湾に渡航し、脳死状態で闘病する俊徳さんを見舞った母の里美さん(林さん提供)

■事故を報じる記事に寄せられた多くの情報

 このときに筆者が書いた記事が、以下です。

「息子が、今、脳死状態です…」台湾でのバイク事故。母が求める情報提供(2021/3/15配信)

 国内外から大きな反響が届き、里美さんにはさまざまな情報が寄せられました。

 中には台北に滞在する里美さんに直接手を差し伸べ、現場にも同行してくれるなど、親切な人たちに巡り合えたといいます。

一人きりで隔離されていたホテルでは、記事を読まれた方々から次々と送られてくる温かいメッセージにどれほど癒され、励まされたことでしょう。私はあのとき、自分では何もできないくらい憔悴していました。ですから『助けになりますよ』『お祈りしていますよ』という優しい言葉には本当に助けられました。中には、ほんの数分、俊徳と関わっただけという方からもその時のエピソードを教えていただくことができ、本当に嬉しかったです」(里美さん)

 また、事故の相手が日ごろから過激なライディング動画をYouTubeにアップしていたことから、この件についてのさまざまな情報も集まりました。

 現地では以前から、こうした撮影を目的とした危険なバイク走行に対する不安や疑問の声が高まっていたというのです。

この事故で亡くなった相手のライダー(左)がYouTubeにアップしていた事故現場で撮影されたバイク走行動画の一コマ(筆者撮影)
この事故で亡くなった相手のライダー(左)がYouTubeにアップしていた事故現場で撮影されたバイク走行動画の一コマ(筆者撮影)

台湾の病院では手続きをするとライン面会ができました。また、最期の5日間は時間制限もなく病室にいることができました。そんな中、事故のことを知った息子の友達が、残された時間の中、直接面会にきてくれたり、海外にいる友達は、LINE動画やWE CHAT動画などを使ってICUに入院中の俊徳に会いに来てくれることもありました。携帯電話越しではありますが、きっと聞こえていたと思います。事故のことを拡散し、俊徳との最期の時間を繋いでくださった台湾大学や高校の先生、高校の先生に伝えてくれたママ友には本当に感謝しています」(里美さん)

台湾の病院に入院中の俊徳さんに、日本からリモートで語り掛ける幼馴染みの友人(林さん提供)
台湾の病院に入院中の俊徳さんに、日本からリモートで語り掛ける幼馴染みの友人(林さん提供)

 しかし、事故から45日後の4月6日、俊徳さんは意識を回復せぬまま息を引き取りました。

 台湾で火葬することを勧められましたが、里美さんは固く拒み、俊徳さんを父や弟の待つ日本に連れて帰ることに決めたのです。

 とはいえ、帰国した後も、2週間の隔離期間をとらなければなりません。

 そこで、先に里美さんが日本に戻ることになりました。台湾の葬儀社に安置されていた俊徳さんの遺体はエンバーミングの処置を受け、5月5日、事故で死亡した相手のライダーの両親が見守る中、納棺。そして翌6日、飛行機で成田空港へ運ばれ、家族の待つ横浜へと戻ってきたのです。

5月5日、台湾の葬儀場で営まれた納棺式。コロナの影響で俊徳さんの家族は立ち会うことができなかったが、事故の相手の両親が出向き、俊徳さんに哀悼の意を表して丁重に見送ったという(林さん提供)
5月5日、台湾の葬儀場で営まれた納棺式。コロナの影響で俊徳さんの家族は立ち会うことができなかったが、事故の相手の両親が出向き、俊徳さんに哀悼の意を表して丁重に見送ったという(林さん提供)

■事故の捜査結果は6月中旬に開示の予定

 俊徳さんの死から1か月以上経ってようやく葬儀を終え、間もなく3週間が経とうとしています。

 海外で起こった事故ということもあり、日本の同窓生への情報伝達が十分ではなく、こんな大きな事故だとは知らなかったと驚く人や、まだ俊徳さんの死を知らない友人もいるそうです。

せめて命のある間に、日本の仲の良かった友人や恩師の声を聴かせたかった……

 里美さんは今もそれが悲しく、残念でならないと言います。

我が子が交通事故の被害に遭うまでは、ほとんど気に留めていなかったのですが、世間では悲惨な交通事故がこんなにたくさん発生しているのだということを、今になって改めて知ることになりました。突然、我が子を亡くす苦しさ、それは神様に見放されたような絶望です。つい先日も、福岡で自転車に乗った中学生が100キロ超のスピードを出していた車にはねられ亡くなったという報道を見ました。加害者が逮捕されるまでに20日以上かかったようですが、その間、親御さんはどれほど苦しまれていたことでしょうか。うちの事故もそうですが、相手が制限速度で走っていれば防げたはずの事故ではないでしょうか

 俊徳さんの死亡事故の状況については、現在も捜査中です。

 相手のバイクが追い越し禁止にもかかわらず、前を走る乗用車を追い越していく様子は、車のドライブレコーダーに記録されているそうですが、衝突の瞬間は映っていないとのことです。

 また、相手のライダーは事故当日もバイクでの走行動画を撮影中でしたが、警察の説明によると、事故の衝撃で衝突の瞬間の映像は消えていたそうです。

 5月12日には双方の親が検察に呼ばれました。しかし、日本から渡航ができなかったため、林さん夫妻は現地の弁護士に代理を委任するしかありませんでした。

相手の両親からはこの日、さまざまな主張があったようですが、その場に私たちがいられなかったのが残念でなりません。それにしても、なぜ、こんな辛い運命に選ばれたのか、ほんの数秒でもずれていれば、そう思うたびに苦しくなります。でも、この事故の記事を発信していただき、これから海外に飛び立つ留学生の方々への教訓になれば、懸命に努力を重ねていた俊徳の命を少しでも生かすことができるのではないか……、親としてはこうして正当化する言葉を見つけでもしないとやりきれない思いです。今回、多くの方のご協力、そして情報を得て、無事に俊徳を送り出すことができたこと、心から感謝しています。本当にありがとうございました」(里美さん)

 本件事故の捜査結果は、6月12日、台湾の検察庁から開示される予定です。

俊徳さんの祭壇の前に立つ両親(筆者撮影)
俊徳さんの祭壇の前に立つ両親(筆者撮影)

葬儀場には俊徳さんが身に着けていた野球のユニフォームと、思い出の家族写真が飾られていた(林さん提供)
葬儀場には俊徳さんが身に着けていた野球のユニフォームと、思い出の家族写真が飾られていた(林さん提供)

ノンフィクション作家・ジャーナリスト

交通事故、冤罪、死因究明制度等をテーマに執筆。著書に「真冬の虹 コロナ禍の交通事故被害者たち」「開成をつくった男、佐野鼎」「コレラを防いだ男 関寛斉」「私は虐待していない 検証 揺さぶられっ子症候群」「コレラを防いだ男 関寛斎」「自動車保険の落とし穴」「柴犬マイちゃんへの手紙」「泥だらけのカルテ」「焼かれる前に語れ」「家族のもとへ、あなたを帰す」「交通事故被害者は二度泣かされる」「遺品 あなたを失った代わりに」「死因究明」「裁判官を信じるな」など多数。「巻子の言霊~愛と命を紡いだある夫婦の物語」はNHKで、「示談交渉人裏ファイル」はTBSでドラマ化。書道師範。趣味が高じて自宅に古民家を移築。

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