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「子どもを誘拐して戦闘に参加させた賠償金」は1人90万円:「悪の陳腐さ」と「正義の空虚さ」

六辻彰二国際政治学者
コンゴ愛国者同盟の子ども兵(2003.5.17)(写真:ロイター/アフロ)

 世界の紛争地帯では、日本でランドセルを背負っている年代の子どもが自動小銃を担いで戦闘に参加させられることが珍しくありません。12月15日、アフリカのコンゴ民主共和国における内戦で、子どもを誘拐して戦闘に参加させていたトマス・ルバンガ被告に対して、ICC(国際刑事裁判所)は総額で1000万ドル、約11億円の賠償を命じる判決を下しました

 1998年のローマ規程で発足が合意されたICCは、大量虐殺や人道に対する罪などを裁く常設の裁判所で、いわば「国際的な正義の番人」です

 判決でICCは、支払われるべき金額を1人当たり8000ドル、約90万円と算定。世界銀行の統計によると、2016年段階でコンゴ民主共和国の1人当たりGDPは405ドルで、日本(3万8900ドル)の約1.04パーセント。この経済水準に照らすと、今回の賠償金は日本で1人当たり約7700万円支払うのに相当します。

 これは必ずしも安い金額ではなく、さらに戦闘に子どもを利用することにこれまで具体的な刑罰が課されなかったことからすれば、画期的ともいえるものです。ただし、1人の人間の心身に負わせた傷を補うのに十分かには、議論の余地があるでしょう。

 とはいえ、その金額の多寡を一旦おいたとしても、この判決が戦闘における子どもの利用に急ブレーキをかけることは想定できません。そこには、現代の「国際的な正義」が抱える限界を見出せます。

戦闘における子どもの利用

 戦闘における子ども兵の利用に関心が高まったのは、冷戦末期後の1980年代末でした。当時、東西両陣営の核戦争の脅威が消えたのと入れ違いに、東欧の旧ユーゴスラヴィアやアフリカでは内戦が頻発。軍規や統制の緩いゲリラ組織を中心に、「人手不足」を補うために子どもが徴用されるようになったのです。そのなかには、誘拐されたり、人身取引で連れてこられたり、果ては親を目の前で殺害されて連行されたりするケースも少なくありません。

 現在の世界では約30万人の子ども兵が戦闘に駆り出されているとみられ、とりわけそれが目立つ国のなかには、アフガニスタン、ソマリア、イエメン、ミャンマーなどとともに、コンゴ民主共和国も含まれます。正確な人数は不明ですが、2017年2月にUNICEFは過去10年間で武装組織から解放された子ども兵が6万5000人にのぼると報告。その規模の大きさをうかがわせます。

 ただし、子ども兵は、各国で政府を攻撃している反体制的なゲリラ組織やテロリストばかりではなく、本来は法と秩序を守るべき軍隊や警察によっても用いられています。例えばコンゴ民主共和国は、国連や国際人権団体などの働きかけにより、子ども兵の利用を禁じる国連の行動計画に2012年に調印。それ以来、「兵士」としての利用は止められたとみられています。しかし、その後も性的目的や雑用のため兵舎に置かれる子どもは少なくないと報告されています

子ども兵の利用を抑止できるか

 長期にわたって戦闘に従事させられた子どもの社会復帰には、「トラブルを力ずくで解決する習慣」の克服や職業訓練など課題は多く、容易なことではありません。その利用がグローバル化するなか、今回の判決は責任者の罪状だけでなく、被害者に対する賠償をも認めた点で、大きな意味があります。

 ただし、そこに過剰な期待はできません。そこには大きく3つの理由があります。

 第一に、判決の抑止効果です。今回の判決で、ICCはルバンガ被告にほとんど財産がないと認定。そのため、罰金は基本的に子ども兵の救済のために、ICC加盟国からの拠出金で設けられた基金から支出されることになります。ところが、各国の拠出金は約1億3000万円にとどまるため、被害者全てが判決で命じられた賠償金の満額を受け取れるのがいつになるかは不明確です

 その意味で、今回の判決には、「子ども兵の利用を認めない」というメッセージを世界中に発信するという、象徴的な意味合いが大きいのです。いわば、守るべき規範を形にすることで、それに違反することを思いとどまらせる抑止効果が期待されているといえるでしょう。

 しかし、先述のように、今回の判決では被告本人の直接負担はほとんどありません。これは被害者の救済や子ども兵の利用に反対する意思表示を優先させたものといえますが、他方で子ども兵を利用している組織や個人に「子ども兵の利用が割に合わない」と思いとどまらせる効果を低減させるものといえます。

他人の目を気にしない者

 第2に、ICCの判決には「子どもを戦争に使うのは許されない」という規範を普及させる効果があるにせよ、その道徳的メッセージが実際に子ども兵を用いている者に響くかが疑問であることです。

 一般に、「社会や集団の一人前のメンバー」として承認されたい者ほど、その内容の善し悪しにかかわらず、社会におけるルールや規範に率先して従います。つまり、第三者から「はみ出し者」とみなされたくないほとんどの国・組織は、国際的な規範に自ら従う傾向があります。それまで反体制ゲリラ組織と同様に子ども兵を利用していたコンゴ民主共和国政府のカビラ大統領が、海外から援助を受け取る必要から、少なくとも形式的に子どもを治安部隊から排除したことは、その象徴です。

 逆に言えば、隔絶された空間で戦闘に明け暮れている人間に、国際的な規範を期待することは困難です。とりわけ、政治的メッセージを発することに関心が薄く、経済的に自活している個人・組織ほど、「外からどのようにみられるか」を顧慮する必要は乏しくなりがちです。実際、今回判決を言い渡されたルバンガ被告も、被害者に賠償する必要はないと主張し続けました。コンゴ愛国者同盟は同国北東部を占拠し、政府軍との戦闘繰り返してきましたが、特定のイデオロギーを流布することより、この地域で豊富に産出される金などの鉱物資源の密輸で利益を確保することを優先させました。同様の組織は、同国には数多く存在します。

 すなわち、「子ども兵を利用してはいけない」という規範そのものは重要であったとしても、それを行なっている者ほど、そもそも「外からどのようにみられるか」への意識が薄いのであって、彼らにその規範に自発的に従うことを期待するのは困難といえます。

子どもを戦場に送り出す世界

 第3に、規範を普及させたり、違反者に制裁を加えるだけでは、子どもを戦闘に駆り立てる環境を改善するには十分でないことです。

 冷戦終結後、開発途上国における反体制的な武装組織やテロ組織には、子ども兵の利用と並行して、グローバルな市場を通じて武器や資金を調達することも目立つようになりました。

 例えば、世界で最もポピュラーな自動小銃AK-47の場合、コンゴ民主共和国では10-20ドルで取り引きされています。米中ロをはじめとする各国の兵器メーカーの過剰供給により、市場の原理に基づいて「需要のあるところに供給が発生し」、誰もが容易に武装しやすい状況を生み出しています。これは民間人と戦闘員の区別を曖昧にするだけでなく、子どもでも戦闘に参加できる環境を整えてきたのです。

 その一方で、反体制的な武装組織やテロ組織には、活動資金を捻出するため、天然資源、麻薬、象牙、人間の違法輸出で利益をあげ、タックスヘイヴンにフロント企業を構えることも珍しくありません

 つまり、開発途上国の反体制武装組織やテロ組織の活動は、グローバルな市場経済によって支えられているのです。コンゴ愛国者同盟が支配していた同国北東部の鉱物資源は、これを支援するルワンダやウガンダを経由して輸出され、これら近隣諸国も恩恵を受けていました。ただし、その取り引きは鉱物資源を輸入する海外の国があって初めて成り立つものでもあります

 ところが、子ども兵の問題はしばしば国際的に取り上げられ、それに対する制裁などは関心を集めやすいものの、武器や資金の国際的な規制は、遅々として進んでいません。子ども兵を利用する個人・組織の活動そのものを封じ込められなければ、子ども兵の利用を実際に減らすことは困難といえるでしょう。

「陳腐な悪」と「空虚な正義」

 1963年、ナチスによるホロコーストの現場責任者だったアドルフ・アイヒマンの裁判がイスラエルで行われました。この裁判を傍聴したユダヤ人哲学者ハンナ・アレントは、その記録を『エルサレムのアイヒマン:悪の陳腐さについての報告』と題して発表。この中でアレントは、稀代の極悪人のイメージで語られがちだったアイヒマンが、ただ上司の命令に忠実な小役人であったことを報告しています

 ルバンガの場合、その創設者としてコンゴ愛国者同盟の実権を握っていた以上、組織に従順な中間管理職であったアイヒマンよりは主体性があったかもしれません。しかし、賠償金を支払う必要を認めなかったことにあるように、自らの罪についての意識や第三者的観点からみた思考が乏しいまま、人道にもとる罪を犯した点で、ルバンガはアイヒマンと共通します。

 ルバンガ裁判からは、アイヒマン裁判から半世紀以上を経てなお、いわばどこにでもいる普通の人間が、特殊な環境に置かれた途端、その普通の感覚のまま非人道的な行いを平気で行なってしまう「悪の陳腐さ」を見出せるといえるでしょう。程度に差はあれ、これは過労死に至るサービス残業や、納期や効率を安全や法律より優先させることが当たり前となっている会社や組織で、「外の当たり前」とかけ離れた行為が「当たり前」になりがちなことと、基本的には同じといえます。

 その一方で、繰り返しになりますが、今回の判決は「子ども兵の利用は許されない」というメッセージを形にしたもので、国際的な規範を普及させるうえで大きな意味があります。ただし、この判決が世界中で用いられている子ども兵を減らす効果には、ほとんど期待できません。つまり、ルバンガ裁判で避けられなかった実効性の乏しいメッセージの発信は、「正義の空虚さ」につながりかねないのです。

 その後に事態の改善が続かなければ、個人の責任追及は単なる「特別な極悪人の吊るし上げ」で終わりかねず、それは再び「陳腐な悪」を生む土壌にさえなります。その意味で、今回の判決が「空虚な正義」で終わるか否かは、グローバル市場を通じた武器やタックスヘイブンの取り締まりなど、実際に戦闘が頻発する環境の改善にかかっているといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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