皐月賞回避からダービー制覇までの行程を、ダノンデサイルを最も知る男が語る
色気を持って臨んだ皐月賞
「正直、良くないかな」
ダービーの1週前追い切りで、ダノンデサイルの手綱を取った横山典弘。調教師・安田翔伍に「どうですか?」と聞かれ、そう答えた。
これを聞いた安田。「我が意を得たり」と、思った。
「求めていた回答でした」
2023年10月、東京競馬場でデビューしたダノンデサイル。初戦は4着に敗れたが、中2週で臨んだ未勝利戦を快勝した。
「ここまでは幼い感じでしたけど、勝った後、馬がグンと変わって良くなりました」
11月の京都2歳S(GⅢ)は「最高の状態」。14頭立ての11番人気と、人気は無かったが「期待していた」。
結果は4着。直線でフラつく馬がいて、厳しい状況になったが、すかさず外にコントロールされると、豪快に伸びた。決して悲観する内容ではなかった。
だから続く京成杯(GⅢ)の快勝劇は驚きではなかった。
「その次の皐月賞も、色気を持って臨みました」
しかし、発走直前、アクシデントに見舞われた。
「スタートを待つゲート裏で、止まっていたので『何かあったかな?』と思いました」
やがて、騎乗する横山典弘が違和感を覚えたため、取り消すとの連絡が届いた。横山の事を「ノリさん」と呼ぶ安田は言った。
「この馬の全てを知っているノリさんがおかしいと判断したのだから、それに従うべきだと思いました」
当初、横山からは「走れるかもしれないけど、将来のある馬だから……」と言われたそうだが、出張馬房で対面した時には既に歩様がかなり悪化していた。
「ぶつけてしまった爪が、返し馬をして血の巡りが良くなった事で、徐々に痛み出したようでした。ノリさんが気付いた段階ではまだそれほど痛んでいなかったようですが、よくぞ気付いてくれたと思ったし、さすがベテランだと感服しました」
「良くない」という意見に胸が高鳴った理由
名手の経験則から張られたアンテナで危機は回避出来た。しかし、新たな目標を日本ダービー(GⅠ)とした時から、また新たな課題と向き合う事となった。
「普通に使えていれば、次の仕上げは楽でした」
皐月賞は前走の京成杯から約3カ月ぶり。ひと叩きして6週間後のダービーは絶好の臨戦過程。しかし、皐月賞を回避したため、下手したら休み明けよりも更にマイナスの状態から、中5週で大一番へ挑む事になった。容易でないのは火を見るより明らかだ。
怪我の回復、そして肉体面と精神面、全てを秤にかけて、安田は毎日ダノンデサイルと向き合った。
「兄で調教助手の(安田)景一朗や千葉(大地)さんが乗る時は『馬っ気がある』等といった危険なところだけ伝えて、後は感じたままに乗ってもらいました」
その結果「映像で見ているより力強い」という感想をもらうと思った。
「先入観のない重要な意見として、この後の調整に活きました」
こうして少しずつリカバリーしながら迎えたのが、冒頭に記した1週前追い切りだ。
「ノリさんに乗ってもらいました。ある程度負荷をかけなくてはいけない状態でしたけど、エキサイトはしてほしくありませんでした」
二律背反する気持ちを胸に先導した。予定通りの追い切りが出来た。ただ、この時点でのダノンデサイルの仕上がり具合を考えると、鞍上に好感触を得られてしまう方が、この後の調整が難しくなると思った。
だから「正直、良くないかな」という返事を聞き、最高の主戦騎手と自分の意見が一致していると思うと、胸が高鳴った。
「ノリさんのその返事を聞き、レースから逆算して進めてきたプランが間違っていないと確信しました」
実際、これを境にフィジカル面が良い方向へ変わった。そして、メンタル面もスイッチが入った。
「戦闘モードに入ったので、ここからはいかに落ち着かせて行けるかがカギになりました」
そこで、その後は安田自身が調教に跨った。
「ダービー1週間前の金、土、日の調整は勝負だと思いました」
一般的には追い切りばかりが注目されるが、普段の調整も等しく大切だと安田は言った。
「あえてモノ見をするような場所で乗って、ガーッと掛からないようにしました。また、叱って治めるのではなくて、いかになだめられるかを課題に乗りました」
結果、それがうまくいった。
そして、レース4日前の水曜日の最終追い切り。「時計を気にせず伸び伸びと走らせてあげた」ところ、これがまた思惑通りにいった。
「大きいレースを勝つ馬は、こういう調整がうまくいくケースが多いです」
そう言った後、調教助手時代に携わった名馬の名を挙げ、続けた。
「ロードカナロアはその代表みたいにうまく調整出来ました」
ノリさんと馬自身に感謝
5月26日、競馬の祭典の当日。装鞍所でうるさい素振りを見せた。
「担当の原口(政也)さんはあまり2人曳きをしない人なのですが、この時は自ら『誰か一緒に曳いてもらえると助かります』と申し出てきました」
そこで安田景一朗が一緒に曳くと「我慢出来た」。
こうしてターフへ送り込むと、後は皆さんご存知の通り。これがダービー3勝目となる名手・横山典弘にエスコートされ、ダノンデサイルは府中の2400メートルを先頭で駆け抜けた。
「皐月賞で少しの異変を察知してくれたノリさんには感謝しかありません」
そう言った安田は、更に続けた。
「あとは何と言ってもダノンデサイル自身が良く頑張ってくれました。人と、そして馬に感謝。今回のダービーはそれに限ります」
新たなるダービー馬とダービートレーナーの今後に注目したい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)