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<朝ドラ「エール」と史実>「やはり球場に立ってよかった」甲子園で脳裏に湧いた「栄冠は君に輝く」実話

辻田真佐憲評論家・近現代史研究者
(写真:アフロ)

今週の朝ドラ「エール」のタイトルは、「栄冠は君に輝く」。言わずとしれた、夏の甲子園(全国高校野球選手権大会)の大会歌です。

「栄冠は君に輝く」は、1948年夏に古関裕而によって作曲され、翌年、伊藤久男によって吹き込まれ、レコードが発売されました。ただし、それはドラマのような軍歌への反省とは無関係でしたし、そもそもあまり売れなかったといいます。

いったい、どういうことだったのでしょうか。

■作詞者は「骨髄炎になり、右足の膝下を失った。グラウンドを駆け回る夢は、断たれた」

全国高校野球選手権大会は、1948年、学制改革で新制高校が発足したことを受けて、旧来の全国中等学校優勝野球大会をあらためるかたちでスタートしました。

それにともなって、夏の甲子園を主催する朝日新聞社は、その大会歌の歌詞を懸賞金つきで募集し、加賀道子の「栄冠は君に輝く」を選出。その作曲を古関に依頼したのです。

ちなみに、本当の作詞者は、彼女ではなく婚約者の加賀大介でした。彼は、かつて病気で野球を断念せざるをえなかった想いをそこに込めたといいます。

[加賀大介は]少年の頃から野球が大好きで、古い布や綿でボールやベースをつくり、草野球に熱中した。小松製作所(現コマツ)に就職、野球を続ける。が、裸足で試合をした時のけががもとで、骨髄炎になり、右足の膝下を失った。グラウンドを駆け回る夢は、断たれた。16歳だった。右足を失った大介さんは仕事を辞め、「加賀野短歌会」や「根上町文協新劇協会」を主宰、戯曲や詩、短歌の創作に力を入れた。

出典:「30回忌(栄冠は君に輝く:中)高校野球/石川」2003年6月27日付大阪地方版/石川、28ページ

この事実が明らかになったのは、1968年のことでした。加賀道子は、自分の名前で応募された理由を「私の名前を使ったのは、賞金が目的と思われるのをためらったからでしょう」(前掲記事)と振り返っています。

■「ここにくり広げられる熱戦を想像しているうちに、私の脳裏に、大会の歌のメロディーが湧き」

「栄冠は君に輝く」の歌詞を古関のもとにもってきたのは、朝日新聞の学芸部長・野呂信次郎でした。古関は彼について「先年、インパール従軍の時に何かと世話になっていた」と自伝で書いています。そう、1944年のビルマ従軍は、朝日新聞が後援していたのです。

古関はこれを快諾。さっそく1948年の夏、実地見学のため大阪に向かいました。朝日の大阪本社に立ち寄ったあと、藤井寺球場で予選を見物し、さらには大会前の甲子園球場へ。古関はそのときの印象をつぎのように振り返っています。

無人のグランドのマウンドに立って周囲を見回しながら、ここにくり広げられる熱戦を想像しているうちに、私の脳裏に、大会の歌のメロディーが湧き、自然に形付けられてきた。やはり球場に立ってよかった。

出典:古関裕而『鐘よ鳴り響け』

ドラマのように、グラウンドで楽譜に筆を走らせたのかどうかまではわかりませんが、実地調査がいかに重要だったのかがわかります。

こうして完成した「栄冠は君に輝く」は、8月の大会でさっそく使われ、現在まで歌い継がれることになります。

■「セールスと致しましては貧弱で当然大きな赤字」

ところがこの名曲も、当初はたいへん不遇でした。というのも、「こんなもの売れない」と判断され、すぐにレコーディングされなかったからです。レコード会社も再建のおり、なかなか腰が重かったのです。

この間の経緯が、日本コロムビアの内部資料に詳しく記録されています。これは、拙著『古関裕而の昭和史』ではじめて活用された資料だと思いますが、なかなかおもしろいことが書いてあります。

それは、ひとことで言えば、地元の大阪と東京の温度差でした。コロムビアの大阪支店はレコード化に熱心でしたが、東京の本社は「売行の見込が全然立たない」と躊躇。また、同じ朝日新聞でも、東京本社は「大体此の歌は大阪朝日が制作したもので、東京朝日単独では後援出来ない」と、“あれは大阪の歌”と言わんばかりの冷たい態度だったというのです(以上、「栄冠は君に輝く」の「レーベルコピー」より)。

とはいえ、コロムビア大阪支店の必死の営業により、1949年、ようやく「栄冠は君に輝く」のリリースが決まりました。レコードは、6月2日、伊藤久男によって吹き込まれ、7月1日に臨時発売されました。なお、このころ伊藤久男は完全に歌手として復活していたので、ドラマのように「軍歌への反省」云々は関係ありません。

このような苦労を経てレコード化にこぎつけた「栄冠は君に輝く」ですが、当初はやはり売れなかったようです。さきの内部資料でも、コロムビア大阪支店は「セールスと致しましては貧弱で当然大きな赤字」と兜を脱いでいます。

それが現在、高校野球に欠かせない名曲となり、朝ドラでも取り上げられるようになったのですから、民衆に支持され、時代とともに大きく成長した歌だといえるでしょう。

■古関裕而と多様な野球応援歌

最後に、古関裕而が手掛けた、ほかの野球応援歌も紹介しておきます。劇中で描かれた「紺碧の空」「大阪タイガースの歌(六甲おろし)」は、ほんの一部にすぎないのです。

  • 「我ぞ覇者」(慶大)
  • 「ひかる青雲」(早大)
  • 「早慶賛歌 花の早慶戦」
  • 「水の覇者日大」
  • 「紫紺の旗の下に」(明大)
  • 「ああ中央の若き日に」(中央大)
  • 「日米野球行進曲」
  • 「都市対抗野球行進曲」
  • 「コロムビア応援歌(晴天直下)」
  • 「野球の王者」(巨人)
  • 「巨人軍の歌 闘魂こめて」
  • 「ドラゴンズの歌」

あまりに多いので、これくらいにとどめておきます。なお、アニメ「ドカベン」の挿入歌「ああ甲子園」も古関の作曲です。このジャンルの音楽で、古関メロディーがいかに大きな存在か、これだけでよくわかるのではないかと思います。

評論家・近現代史研究者

1984年、大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『ルポ 国威発揚』(中央公論新社)、『「戦前」の正体』(講談社現代新書)、『古関裕而の昭和史』(文春新書)、『大本営発表』『日本の軍歌』(幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)などがある。

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