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大本営参謀のハンコ決裁の実態が明らかに。NHK「軍人スポークスマンの戦争 〜大本営発表の真実〜」補足

辻田真佐憲評論家・近現代史研究者
(写真:ロイター/アフロ)

12月17日、NHK-BS1で「軍人スポークスマンの戦争 〜大本営発表の真実〜」が放送された。太平洋戦争の開戦日(12月8日)を受けての番組である。筆者は、コメントで出演した。

本番組の肝は、新史料「大本営発表綴」の活用である。その内容はたいへん示唆に富み、拙著の『大本営発表』を含め、既存の著作や研究に見直しを迫らないではおかない。大本営発表は、時事ニュースなどでもたびたび引き合いに出されるだけに、その取組みは急務だ。

とはいえ、本の修正はただちにできないので、ここで補足的な解説を公開して、まずはその代わりとしたい。

1.そもそも大本営発表とは

大本営発表とは、日本軍の最高司令部・大本営によって行われた、戦況の発表である。日中戦争劈頭の1937年11月から、太平洋戦争終戦後の1945年8月まで行われた。

大本営発表は、今日、あてにならない当局の発表の代名詞として使われる。それは、あまりにその内容が虚偽に満ちていたからだ。

その原因のひとつに、決裁の問題があげられる。

大本営発表は、日本軍にとってもっとも重要な発表だったので、その実施にあたっては、関係部署にすべて承認をもらわなければならなかった。

陸軍であれば、参謀本部の第一部(作戦部)長、第二課(作戦課)長、第二部(情報部)長はもちろんのこと、場合によって参謀総長、参謀次長、さらに陸軍省の陸軍大臣、陸軍次官などのハンコも必要だった。

ただ、その過程で各部署の赤字が入り、情報が歪められがちだった。表向きの理由は、「真実を発表すると国民がやる気をなくす」「敵に有利な情報を与えてしまう」。だが、それは同時に、作戦の失敗を表沙汰にしたくないという、責任回避の側面もあった。

ようするに大本営発表の虚偽とは、東条英機のような大ボスが上から命令してできたのではない。むしろ、組織間の調整のなかで膨れ上がったと理解できるのである。

2.新史料のポイント

そして新史料「大本営発表綴」は、この決裁にかんする記録が詳細に残っているという点で特筆に値する。

「大本営発表綴」は、大本営陸軍報道部員だった廣石権三中佐の遺族が、防衛省防衛研究所に寄贈したものである。全5部と付属物からなり、1941年12月8日から1945年8月23日まで、大本営発表とその関連資料が綴じ込まれている。

ここでは注目すべき点として、以下の3点を指摘したい。

(1)決裁ルートが明らかになったこと

今回の史料には、発表担当者と決裁権者のハンコがズラリと押されている。これにより、個々の大本営発表がどのように決裁されたかがわかるようになった。

これまでも「決裁に苦労した」という元大本営報道部員の証言は残っていた。ただ、それは戦後の回想にすぎず、一次資料で裏付けられていなかった。今回、それが可能になったのである。

一部には、決裁権者のものと思われる朱筆も残っており、筆跡などから今後、だれがどのように訂正したのかもわかるかもしれない。

(2)大本営発表の重み付けがわかること

大本営発表の決裁ルートは、ひとつひとつ異なっていた。参謀総長や陸軍大臣まで行くこともあれば、参謀本部の第一部長、第二部長、第二課長で済まされることも多かった。また場合によっては、陸軍省の軍事課長、防衛課長などがここに加わることもあった。

このようなハンコの種類や数から、どの大本営発表が軍のなかでどれぐらい重みづけられていたかがわかるようになった。

(3)大本営発表はそのほかの報道資料と一体的であること

大本営発表の本文は短い。大本営報道部員はそれゆえ、正式な発表のあとで、新聞記者向けにさまざまな解説を行っていた。今日でいう「レク」である。「大本営発表綴」には、そのための報道資料も大量に綴じ込まれている。

それ以外にも、報道部長のラジオ演説などの資料も残っており、軍の報道業務を考えるとき、大本営発表以外の部分にも十分に目を配らなければならないことが明確になった。

3.今後の課題

このように「大本営発表綴」は貴重な史料だが、問題点や限界もないではない。

(1)海軍の情報は不明

大本営陸軍報道部と大本営海軍報道部は、終戦間近の一時期を除いて、まったく別の組織だった。同じ大本営発表といっても、それぞれの業務は別個だったのである。

「大本営発表綴」はあくまで、陸軍報道部の内部資料だ。海軍側の資料も綴じ込まれているものの、参考程度にすぎない。

そのため、今回は陸軍報道部内部の動きが実証的にわかったにすぎず、海軍側のそれは従来と変わらない。たとえば、ミッドウェー海戦の発表(1942年6月10日午後3時30分)をめぐる海軍内のゴタゴタは有名だが、今回、史料上で新しい発見はなかった。

(2)陸軍側にも不十分な情報がある

陸軍側の資料もすべて揃っているわけではない。

一例をあげれば、1943年2月9日19時の大本営発表は、ガダルカナル島からの守備隊撤退を「転進」と言い換えたことで悪名高い。

この「転進」については、陸軍省軍務局長佐藤賢了と、参謀本部第二部長有末精三の合作だったといわれている。だが今回の史料で、このような合作を裏付けるものは出てこなかった。

4.まとめ

このように問題点や限界もあるとはいえ、「大本営発表綴」は、大本営陸軍報道部がどのように業務を行っていたかが具体的にたどれる、貴重な史料であることはまちがいない。

大本営参謀も、一種の官僚である。あるいは、巨大組織の従業員である。官僚や会社員が日々の決裁を通すために、ごまかしを重ねていく――それはけっして、現在の社会とも無縁ではない。

今回の史料は、ひとつひとつは地味ながら、大本営発表という古い過去のできごとを現在の日常生活に結びつけてくれる生々しい史料という点で、やはり特筆に値するものなのである。

以上はいささかマニアックなまとめ方になったが、番組では、大本営発表の歴史について既存の研究も踏まえながら、わかりやすくまとめられている。オンデマンドで視聴することも可能なので、政治と報道の関係に関心があるひとはぜひチェックしてもらいたいと思う。

評論家・近現代史研究者

1984年、大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『ルポ 国威発揚』(中央公論新社)、『「戦前」の正体』(講談社現代新書)、『古関裕而の昭和史』(文春新書)、『大本営発表』『日本の軍歌』(幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)などがある。

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