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<朝ドラ「エール」と史実>「紺碧のペキが“壁”になっとるです」は実話? 指摘された古関裕而は…

辻田真佐憲評論家・近現代史研究者
(写真:アフロ)

「先生、紺碧のペキが“壁”になっとるです……」。

ついに完成した、早稲田の応援歌「紺碧の空」。しかし、裕一が渡した楽譜は、タイトルが間違っていました。「碧」が「壁」になっていたのです。

どうでもいいエピソードに思えますが、これはなんと実話。福島市古関裕而記念館に展示されている自筆譜には、「紺壁の空」と書かれており、あとから赤字で「碧」と小さく修正されています。

ドラマの制作陣も、よく細かいネタを拾っているなと感心しました。ちなみに、一瞬しか写りませんでしたが、古関による独特の書体(「紺壁の空」の字が波打って見える)も、ほとんどそのまま再現されています。ここまで来ると、ちょっと怖いくらいですね。

写真で比較してもいいのですが、せっかくなので、コロナが落ち着いた暁に、ぜひ福島で現物をその目で確認していただければと思います。

「殴られた増永少年は鼻血を出し、これが本当の「若き血」だ」

それ以外にも、史実をベースにしたエピソードがあります。歌手の山藤太郎が、慶應の応援歌「若き血」を歌唱指導したとき、あまりに熱が入ったため、先輩に生意気だと突っかかられたというものがそれです。

実際には、モデルとなった藤山一郎は殴られ、鼻血を出したといいます。

そこで普通部四年生で歌唱力に定評のあった増永丈夫(のちの歌手・藤山一郎)が歌唱指導をすることになった。四小節ずつくりかえし練習するうちになんとか格好がついてきたが、先輩に対しても遠慮なくダメ出しをする増永の態度に腹を立てた普通部五年生が彼を校舎の裏に呼び出して鉄拳制裁をくわえた。殴られた増永少年は鼻血を出し、これが本当の「若き血」だ---とは、歌唱指導につきあった菊池が半世紀を経たのちに酒席でしばしば口にしていた逸話である。

出典:慶應義塾大学応援指導部75年通史

ちなみに、「若き血」を作詞・作曲した堀内敬三は、浅田飴の御曹司。ミシガン大学、マサチューセッツ工科大学大学院を出た理系エリートでしたが、音楽の道を諦められず、作曲に邁進。「若き血」の成功により、ようやく父に認められたという経歴の持ち主です。古関ともどこか似ているところがありますね。

なお、「紺碧の空」vs「若き血」最初の対決となった、1931年春の早慶戦は、2勝1敗で早稲田の勝利に終わりました。こうして「紺碧の空」は華々しいデビューを飾り、現在も歌われ続けているのです。古関にとっては、はじめての大衆音楽での成功例となりました。

評論家・近現代史研究者

1984年、大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『ルポ 国威発揚』(中央公論新社)、『「戦前」の正体』(講談社現代新書)、『古関裕而の昭和史』(文春新書)、『大本営発表』『日本の軍歌』(幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)などがある。

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