<朝ドラ「エール」と史実>「夜は飲みつづけ、日中は寝つづけ」佐藤久志のモデルも酒浸り…どう復活した?
戦後編も2週目に入った朝ドラ「エール」。今週は、また新しい衝撃的な展開となりました。福島三羽烏のひとり佐藤久志が、飲んだくれて、すっかり零落していたのです。じつはこれ、一部史実を踏まえています。
■「暗い気持から逃れるにはアルコールの力を借りた」
というのも、モデルとなった歌手の伊藤久男も戦後、生活がたいへん荒れていたからです。
伊藤は、戦時中の1943年末、故郷の福島県本宮町に疎開。必要なときだけ上京する生活を送っていました。ところが戦後は、そこに引きこもり、酒浸りの毎日となってしまいました。
この記事を書いた作詞家の丘灯至夫は、「暗い気持」の背景に、戦時下の軍歌にたいする責任感を読み取っています。
なおドラマと違って、伊藤は郷里にいたため、「船頭可愛いや」を吹き込んだ音丸(藤丸のモデル)とは関わっていません。
■「もらったばかりの印税をそっくり呉れてやってしまった」
このように荒れ果て、「再起不能」とまで言われた伊藤も、戦後復興が進むにつれて、ふたたび歌手としての活動を再開。1947年には「夜更けの街」(菊田一夫作詞、古関裕而作曲)、1948年には「シベリア・エレジー」(野村俊夫作詞、古賀政男作曲)をそれぞれヒットさせ、その健在ぶりを日本中に印象づけました。
さらに1950年1月20日にリリースされた「イヨマンテの夜」(菊田一夫作詞、古関裕而作曲)は、販売元であるコロムビアの文芸部長・伊藤正憲より「むずかしすぎる」「こんなもの売れるんかいな」と言われながらも、根気強く各地のステージで歌うことで大ヒットに結びつけ、代表曲のひとつとなりました。一時「のど自慢」で、この曲ばかり(男性に)歌われたこともありました。
ただし、復活してからも、伊藤の酒好きは変わりませんでした。しかもその飲み方たるや豪快。こんなスケールの違う逸話も伝わっています。
あるいは、同じ酒好きの野村俊夫(村野鉄男のモデル)と翌日昼まで飲んで、カラになった徳利を並べてみたら、8畳の部屋をひとまわりしたという伝説も残しています。
それはともかく、ドラマでは、佐藤がどのように復活するのでしょうか。今週のタイトルが「栄冠は君に輝く」なので、この応援歌が関係しているのかもしれません。ちなみに、裕一のモデルである古関裕而は、まったくの下戸でした。これについては以前書いた記事をご覧ください。