唯一、1大会サヨナラ弾2本の新田。準決勝は延長17回の名勝負/センバツ・旋風の記憶[1990年]
長い甲子園の歴史。1大会2度のサヨナラホームランを記録したのが、春夏を通じてたった1チームだけある。1990年センバツの新田(愛媛)だ。
初出場。前橋商(群馬)との初戦は9対1、日大藤沢(神奈川)との2回戦は、9回裏の攻撃を迎えた時点で1対4と3点のリードを許していた。だが、1死から四球と連打で1点を返し、なおも一、二塁。打席には四番・宮下典明が入った。
率いる一色俊作監督は、こう声をかけたという。四番らしい三振をしてこい! 肩の力が抜けたのか。宮下が日大藤沢のエース・荒木孝二のストレートをはじき返すと、バックスクリーンに飛び込む逆転サヨナラ3ラン——。高松商(香川)との四国対決だった準々決勝を4対0と快勝し、準決勝の相手は北陽(現関大北陽・大阪)だ。のち近鉄入りする寺前正雄がエースの、難敵である。
寺前は、奪三振マシンとして注目の好投手だった。前年秋の大阪府大会では、3位決定戦でPL学園(大阪)から16三振を奪い4安打完封。滑り込みで出場した近畿大会でも初戦、育英(兵庫)の戎信行(元オリックスなど)との投手戦を1対0で制した。185センチの長身から投げ下ろすストレートは140キロ台で、タテに鋭く落ちるカーブと組み合わせ、秋は185回を投げて206奪三振と、出場校中トップである。この大会でも、準々決勝までの3試合で28三振と、投球回数を上回る三振を奪っている。
初出場で準優勝の快挙
新田が先制し、北陽が逆転した試合は、3対1と北陽がリード。だが新田が8回裏に追いつき、延長に入ると、どちらも譲らない攻防が続いた。10回から16回まで、両者無得点。つごう17三振を奪う寺前に対し、新田も必死の継投でしのいでいた。
69年夏の決勝以来21年ぶり、センバツとしては28年ぶりの引き分け再試合もちらつき始めた17回裏。新田の先頭打者は、一番の池田幸徳だ。「何も考えず、とにかく来たボールを打つ」と、1-1からとらえたストレートは、鮮やかなアーチを描いた。
これまでで唯一の、同一チーム1大会2本目のサヨナラ弾。しかも池田にとって、これが公式戦初ホームランだった。「打った瞬間にホームランとわかりました。僕の力というより、寺前君のスピードボールに対し、いいタイミング、いい角度でバットが当たった」とのち、振り返っている。
この試合について、寺前にも話を聞いたことがある。
「238球目でした。練習ではだいたい70球か、せいぜい100球で、そんな球数を投げたことはないんです。だけど、不思議としんどさはなかったですね。第1試合も延長と長引いたので、ナイターになったせいもあるでしょう」
悔やむのは、2点リードの8回、宮下典明(元近鉄)に打たれた同点2ランだ。2死三塁。敬遠も視野に入れつつ、1点ならまあいいか、と勝負に行ったカーブが「まさかのホームランでした(笑)」。のちの近鉄在籍時代、チームメイトになっていた宮下からは、“あの同点ホームラン、まっすぐやったら打ててなかったな”と聞かされた。
語りぐさになっているのは、この試合での一色監督の采配だ。実は北陽の二塁手・西田伸也は、帝京(東京)との1回戦で負傷し、2回戦はスタメンから外れていた。準々決勝では復帰したが、明らかに足を引きずり、正面のゴロしかさばけそうにない。それでも、二塁手はキーマンと考える北陽・松岡英孝監督は、西田を起用した。
つまり新田からすれば、もし勝負に徹するなら、たとえば2死三塁でも、二塁にプッシュバントを転がせば、点を取れる確率が高いのだ。だが一色監督は、相手の弱みにつけ込むことを潔しとしなかったのだろう。一切の小細工なしで、最後まで力と力の勝負に徹する。そして……延長17回で勝つのである。北陽・松岡監督にとっては、これが最後の甲子園となった。
対する、新田の一色監督。文中にある69年の夏、松山商(愛媛)を率い、決勝で三沢(青森)と引き分け再試合を演じ、優勝している名将だ。この大会、決勝では近大付(大阪)に敗れ、2校での甲子園制覇はならず、2013年に世を去った。新田はその後、晴れ舞台からは遠ざかったが、05年には15年ぶりセンバツ出場を果たし、21年には夏の甲子園に初出場と、復活の気配である。