映画『Everything Went Fine』が語る、安楽死には議論の余地すらない?(ネタバレ)
※この評にはネタバレがあります。
安楽死を扱った作品である。
が、例えばスペイン映画『海を飛ぶ夢』(第77回アカデミー国際長編映画賞を受賞)とはまったく違う。『海を飛ぶ夢』には心を揺さぶられたが、『Everything Went Fine』は乾いている。感情移入を許さず、涙を流させないように、わざとたんたんと描いている。
■議論があって当然のテーマ
安楽死というのは、是非をめぐって激しい議論がある。
だからスペインでは認められているが、日本では認められていない。『Everything Went Fine』の舞台フランスでは認められていないが、スイスでは認められている。
他人の力を借りて、自分で命を終わらせる行為なのだから議論があって当然なのだ。
『海を飛ぶ夢』の主人公のモデルとなった実在した人物は、スペインで安楽死が認められていない時代に、11人の助けを借りて自殺を成し遂げた。自殺ほう助罪に問われないために11人が細かく手順を分担する必要があったのだ。
命を終わらせるのに「成し遂げた」という言い方には抵抗があるが、刑法の抜け穴を探しキリスト教のタブーに挑戦した本人にとってはまさに「成し遂げた」だった。
で、成し遂げた後に、手助けをした者の1人は安楽死に反対だった家族に殺人罪で訴えられている。
■賛成か反対か。どの立場で描く?
議論あるテーマを扱うことは、監督に立場を選ぶことを強制する。安楽死に賛成なのか、反対なのか。
『海を飛ぶ夢』のアレハンドロ・アメナバル監督は賛成のように感じられた。少なくとも、主人公に同情的な描き方だった。見ていて、私でも死を選んだかもしれない、と感じさせられた。
『Everything Went Fine』のフランソワ・オゾン監督も賛成なのだろう。
だが、なぜ死という選択をするのかには、“俺がそう決めたから”という理由以外見つからなかった。
はっきり言って、説得力に欠ける。否、説得する必要すら無いのかもしれない。
■説得力に欠ける。否、説得の必要無し?
なぜなら、“命の終わらせ方というのは、本人にだけ独占的に決定権のあるものだから。家族ですら本人の意思を曲げることはできないし、社会ですら妨害する筋合いのないものだから”。
“カッコ”で囲んだ部分は私の意見ではない。テーマの描き方によって強く伝わってきた、オゾン監督の主張である。
と思って、探してみると、安楽死に関する監督の見解がいくつも見つかった。それがどんなものなのかは、みなさんが調べてほしい。
『Everything Went Fine』とは“すべてうまくいった”という意味で、皮肉に聞こえる。このテーマを扱ってなお、皮肉ったタイトルを付ける余裕があった。監督は、それだけ確信犯だったということだろう。
が、こちらはそのドライぶりによって、逆に疑問を抱かされた。
※スペインで安楽死が認められたのは昨年のこと。『海を飛ぶ夢』のモデルになった人物の自殺から23年後だった。
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※写真提供はサン・セバスティアン映画祭。