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映画『Everything Went Fine』が語る、安楽死には議論の余地すらない?(ネタバレ)

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
綺麗に歳を取ったソフィー・マルソーも55歳。死が私の身近なテーマになるはずだ

※この評にはネタバレがあります。

安楽死を扱った作品である。

が、例えばスペイン映画『海を飛ぶ夢』(第77回アカデミー国際長編映画賞を受賞)とはまったく違う。『海を飛ぶ夢』には心を揺さぶられたが、『Everything Went Fine』は乾いている。感情移入を許さず、涙を流させないように、わざとたんたんと描いている。

■議論があって当然のテーマ

安楽死というのは、是非をめぐって激しい議論がある。

だからスペインでは認められているが、日本では認められていない。『Everything Went Fine』の舞台フランスでは認められていないが、スイスでは認められている。

他人の力を借りて、自分で命を終わらせる行為なのだから議論があって当然なのだ。

『海を飛ぶ夢』の主人公のモデルとなった実在した人物は、スペインで安楽死が認められていない時代に、11人の助けを借りて自殺を成し遂げた。自殺ほう助罪に問われないために11人が細かく手順を分担する必要があったのだ。

命を終わらせるのに「成し遂げた」という言い方には抵抗があるが、刑法の抜け穴を探しキリスト教のタブーに挑戦した本人にとってはまさに「成し遂げた」だった。

で、成し遂げた後に、手助けをした者の1人は安楽死に反対だった家族に殺人罪で訴えられている。

■賛成か反対か。どの立場で描く?

議論あるテーマを扱うことは、監督に立場を選ぶことを強制する。安楽死に賛成なのか、反対なのか。

『海を飛ぶ夢』のアレハンドロ・アメナバル監督は賛成のように感じられた。少なくとも、主人公に同情的な描き方だった。見ていて、私でも死を選んだかもしれない、と感じさせられた。

『Everything Went Fine』のフランソワ・オゾン監督も賛成なのだろう。

だが、なぜ死という選択をするのかには、“俺がそう決めたから”という理由以外見つからなかった。

はっきり言って、説得力に欠ける。否、説得する必要すら無いのかもしれない。

■説得力に欠ける。否、説得の必要無し?

なぜなら、“命の終わらせ方というのは、本人にだけ独占的に決定権のあるものだから。家族ですら本人の意思を曲げることはできないし、社会ですら妨害する筋合いのないものだから”。

“カッコ”で囲んだ部分は私の意見ではない。テーマの描き方によって強く伝わってきた、オゾン監督の主張である。

と思って、探してみると、安楽死に関する監督の見解がいくつも見つかった。それがどんなものなのかは、みなさんが調べてほしい。

『Everything Went Fine』とは“すべてうまくいった”という意味で、皮肉に聞こえる。このテーマを扱ってなお、皮肉ったタイトルを付ける余裕があった。監督は、それだけ確信犯だったということだろう。

が、こちらはそのドライぶりによって、逆に疑問を抱かされた。

※スペインで安楽死が認められたのは昨年のこと。『海を飛ぶ夢』のモデルになった人物の自殺から23年後だった。

※映画から社会問題を学べるという点で、関連記事――望まない妊娠をめぐる3つの物語。『朝が来る』『ベイビー』『ネバー、レアリー……』

※写真提供はサン・セバスティアン映画祭。

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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