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【光る君へ】花山天皇だけではなかった。性に奔放だった平安時代の人々

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
(提供:イメージマート)

 大河ドラマ「光る君へ」では、花山天皇の性に対する奔放さが話題となっている。筆者もかつて花山天皇について書いたことがあるので、こちらをご一読いただけると幸いである。平安時代に限らず、前近代の日本社会は性に奔放だったので、その例を探ることにしよう。

 中世史家として活躍した網野善彦氏は、遊女など性に関する研究も進めてきた。以下、網野氏の研究をもとにして、考えることにしよう。

 平安時代後期の説話集『今昔物語集』では、女性が一人旅をしていた事実が散見される。現在では治安も良くなっているので、女性の一人旅は別に珍しくもないが、中世では容易に危険が予想された。当時は治安が良かったとは言えず、いつ野盗などに襲われてもおかしくなかった。

 『今昔物語集』にあらわれる女性は、旅の途中で乞食に襲われ、大変危険な目に遭った。襲われてしまったら、もはや女性一人では何もできなかったに違いない。

 結局、女性は赤子を置き去りにし、犠牲にすることで、何とか生き長らえたのである。赤子は連れ去られて売買されるか、運が悪ければ殺害されることがあったのかもしれない。非常に残酷な時代でもあった。

 貞永元年(1232)に鎌倉幕府が制定した武家家法の「御成敗式目(「貞永式目」とも)」には、「女捕」(あるいは「辻捕」)つまり女性を辻で襲う行為を禁止している条文がある。

 この背景には、お供を連れず、輿にも乗らずに旅する女性を捕らえることは、当時における日本の慣行として認められていた可能性があったと指摘されている。つまり、女性の一人旅は、「どうぞ捕まえてください」と言っているようなものだった。

 女性を捕らえる行為は、強姦へとつながったと考えられる。あるいは、捕らえて人買い商人に売り飛ばされたのかもしれない。さらに網野氏は数々の絵巻物や史料の分析から、神社に参詣する女性と神職の社司らが自由に性交渉の場を持っていたと指摘している。聖なる場でのおぞましい行為であった。

 中世における日本の女性は、自由に旅をすることができた。そこには、商工業に従事する女性の姿を数多く認めることができる。行商を生業とした京都の大原女、桂女などは、その代表であるといえよう。

 ところが、一人旅や行商では危険が常に伴い、ややもすれば強姦される危険性もあったに違いない。網野氏は、そこに前代以来の女性の「聖性」を見ており、聖なる場所で行われたこと(=性行為)を俗世界に持ち込まない暗黙の了解があった、と解釈している。古代以来の性観念はむしろ奔放さを示しており、戦国時代をとおしてほぼ見られた現象であったという。

 現在では、性教育なども行われ、人々の性に関する意識は高まっている。また、性的なハラスメントも禁止された。しかし、平安時代にはそうした観念は薄く、性に対しては比較的奔放だったと考えられる。

主要参考文献

網野善彦『中世の非人と遊女』(明石書店、1994年)

網野善彦「遊女と非人・河原者」『大系・仏教と日本人8 性と身分』(春秋社、1989年)

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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