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オートバイのあれこれ『ヤマハ製4ストレプリカの始まり』

Rotti.モトエンスー(moto enthusiast)

全国1,000万人のバイク好きたちへ送るこのコーナー。

今日は『ヤマハ製4ストレプリカの始まり』をテーマにお話ししようと思います。

1984年(昭和59年)、全日本ロードレース選手権にTT-F3クラスが新設されたことを機に、ヤマハは4ストロークのワークス車両『FZR400』を開発しました。

そのレーサーFZRのレプリカモデルとして生み出されたのが、『FZ400R』でした。

▲FZ400R〈1984/画像引用元:ヤマハ発動機〉
▲FZ400R〈1984/画像引用元:ヤマハ発動機〉

FZRのパワーユニットは、市販車『XJ400Z』の水冷4気筒エンジンが元になっていましたが、FZのほうもそれと同様XJのエンジンがベースとされていました。

▲XJ400Z〈1983/画像引用元:ヤマハ発動機〉
▲XJ400Z〈1983/画像引用元:ヤマハ発動機〉

フレームに関しては、FZRとそっくりの設計。

とはいえ素材は異なっており、FZRのフレームがアルミ製だったのに対し、FZにはスチールが使われました。

FZのフレームがアルミ製でなくスチール製とされたのは、もちろんコストの問題や量産するに際しての課題もあったのでしょう。

ただ、ここで一つ推測として挙げておきたいのが、開発経験値の違いです。

今でこそアルミフレームはメジャーな存在になっているものの、80年代前半の当時はまだ量産品としてのアルミフレーム開発実績が少なかったため、求める性能・特性を持たせるには、長年作ってきて経験値の貯まっているスチールフレームを使うほうが手堅いと開発陣は判断したのかもしれません。

限界性能という側面に絞り込むのであればアルミフレームで良かったのでしょうが、一般ライダーが乗りやすく感じるためのファジーさ(≒剛性のメリハリ)だったり、耐久性・耐候性といったその他の側面も追求するとなると、“感覚性能”を大切にするヤマハとしてはやはりスチールフレームのほうが「やりやすかった」のではないかということです。

▲レーサーのFZR。FZのモチーフとなった〈1984/画像引用元:ヤマハ発動機〉
▲レーサーのFZR。FZのモチーフとなった〈1984/画像引用元:ヤマハ発動機〉

その他、燃料タンクといった外装類の形状もFZRとよく似ていて、FZは中身も外見もしっかりFZRレプリカとなっていました。

FZは発売後、レプリカブーム下で“初のヤマハ製4ストレプリカ”という話題性もあって好評を博し、FZRが84年の全日本選手権でチャンピオンを獲得してからは、さらにその売れ行きに拍車がかかりました。

デビューイヤーの84年度には約1万1,000台が売れ、翌85年度には400ccクラスにおいて年間販売台数ランキング2位となる約1万8,000台のセールスを記録。

80年代前半はまだ4ストロークの分野においてはさほど強者ではないヤマハでしたが、このFZを起点に4スト開発ノウハウを急速に蓄え、わずか数年でホンダやカワサキともわたり合える高性能4スト4発マシンを次々と生み出すことになるのでした。

▲FZを皮切りにヤマハの4ストレプリカはどんどん進化〈1986/画像引用元:ヤマハ発動機〉
▲FZを皮切りにヤマハの4ストレプリカはどんどん進化〈1986/画像引用元:ヤマハ発動機〉

モトエンスー(moto enthusiast)

バイクを楽しむライター。バイク歴15年で乗り継いだ愛車は10台以上。ツーリング/モータースポーツ、オンロード/オフロード、最新バイク/絶版バイク問わず、バイクにまつわることは全部好き。

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