光さえも抜け出せないブラックホールはどうやって見つかった?仮説が実証された衝撃の観測方法とは
誰しも一度は聞いたことのある「ブラックホール」実は50年前まではその存在はあくまで理論的なものに過ぎなかったのです。
本記事では、ブラックホールが発見されるまでの歴史的経緯をご紹介していきます。
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■光が抜け出せない天体が存在すると着想した天才
ブラックホールの歴史は18世紀後半に遡ります。その理論的可能性については、フランスの天文学者、ピエール=シモン・ラプラスが先駆的な着想をしています。ニュートンの提唱した光の粒子説とニュートン力学から、光も万有引力の影響を受けると考え、理論を極限まで推し進めて「十分に質量と密度の大きな天体があれば、その重力は光の速度でも抜け出せないほどになるに違いない」と推測していたのです。
ちなみに、当初は崩壊した星を意味する「collapsar(コラプサー)」などと呼ばれていましたが、アメリカの物理学者ジョン・ホイーラーが1967年に初めて「ブラックホール」を用いたとされています。しかし、実際には、色々な科学雑誌や会議の中でブラックホールという言葉は使われていたようです。
■1970年代に初めてブラックホールの兆候を発見
しかし、1960年代まではブラックホールの存在はあくまで理論的な存在に過ぎませんでした。そして、1970年代に入りブラックホールは転機を迎えます。宇宙の激しい現象からはX線が放出されますが、X線は地球の大気に吸収されてしまうため、宇宙から人工衛星で観測する必要がありました。X線観測衛星により、X線の発生源が中性子星や超新星の残骸、パルサーであることを突き止めます。しかしその中で、どのデータにも当てはまらず、不規則で激しく変化するX線のデータがはくちょう座X-1で見つかったのです。
その後の精密な観測と分析の結果、太陽の30倍の質量を持つ天体が、自己重力によって潰れた星を周っている事が判明しました。X線が極めて早く変化している事象により、見えない天体の大きさは大変小さいと推測されるものの、質量は太陽より遥かに大きいという事実を受け、その天体は“ブラックホールである”と考えられました。はくちょう座X-1が、最初に世界でブラックホールとして広く認められた天体となりました。
■空中天文台の観測により続々とブラックホールを発見
その後もX線観測の進歩により、数々のブラックホールが発見されていきます。
NASAでは、航空機に望遠鏡を搭載し上空から天体観測を行う「カイパー空中天文台」の運用を開始します。上空からの観測は大気の影響を大きく減少させることができ、天王星の環を発見したほか、1988年には冥王星大気の観測に成功などの成果を挙げています。
そして、「カイパー空中天文台」による銀河中心核の観測では、太陽質量の300万倍にもなるガスが中心部分に向けて秒速200kmの速さで流れ込んでいることが判明します。このことから、私たちの住む太陽系が属している「天の川銀河」の中心には、ブラックホールが存在している可能性が極めて高い、という仮説が有力となったのです。
次回の記事では、ブラックホールを世界で初めて画像に捉えることに成功したニュースをお届けします、お楽しみに!
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