あの気になる通販CMの名コンビが“夢 石田社長と有里”でCDデビュー「夢を届け続けていきたい」
話題の「夢グループ」の通販のTVCMは、福島訛りの優しい喋り方の石田重廣社長と、社長に甘えるようにプライスダウンをお願いする、歌手の保科有里との“名コンビ”の掛け合いが、「ついつい見てしまう」魅力がある。ものまねタレントがこぞってネタにしたり、先日は『週刊さんまとマツコ』(TBS系)に2回目の出演を果たすなど、その注目度はますますアップしている。
名コンビが“夢 石田社長と有里”としてCDデビュー
気になる二人の関係だが、「愛人?」と噂されるも、双方ともきっぱりと否定。7月6日にはこの“名コンビ”が“夢 石田社長と有里”というアーティスト名で、シングル「夢と…未来へ」でCDデビューを果たす。ますます気になる二人だが、まずはデビュー30周年イヤーに突入した保科にインタビュー。石田社長も最初は「私よりも30周年の保科さんのインタビューを…」と謙遜していたが、最後は独壇場に。保科は「社長がしゃべった方が盛り上がるし注目が集まるので嬉しいです」と、やはり“名コンビ”だ。
保科有里30周年
30周年を迎えた保科は1993年「神無月に抱かれて」でデビュー。地元・金沢でOL生活をしながら歌の世界を夢見て、27歳の時に作曲家の元に弟子入りして、30代でデビューという、遅咲きのシンガーだ。どこか影を感じる色気のある低音の声で、演歌、歌謡曲、ジャズまで、抜群の表現力で幅広いジャンルの歌を届けている。
「作曲家の先生に弟子入りして、歌のレッスンよりも、人間としての生き方を学んだ3年間でした」(保科)
「金沢でOLをやりながら、地元のお祭りやイベントで歌わせていただいたり、『NHKのど自慢』に出場しましたが、特にプロの歌手になりたいとは思っていませんでした。無理だと思っていたし、でもひょんなことから、ある作曲家の先生に歌を聴いていただく機会に恵まれて、それがきっかけになって弟子入りしました。27歳の時です」。
山口百恵や中森明菜といった、やはりその声にどこか影を感じるシンガーの歌を、好んで歌っていた。チャンスを掴み、作曲家に弟子入りし、諦めていたプロという夢に一歩近づいた。しかし弟子入りといっても、毎日歌のレッスン、というわけではなく、人生の“修行”の3年間だったという。
「最初は東京に行って、一年ぐらい頑張って歌がうまくなって金沢に帰ってくればいいかな、という感覚でした。とにかく先生に『感じられることのできる人間になりなさい』と言われて、そのための人間形成の修行期間でした。人を赦せる人になりなさい、と。例えば怒っている人がいたら、その怒りの根本までを理解してあげられる人間にならないと、人を感動させる歌を歌えないよって言われ続けました。歌のレッスンは3年間で3回だけで、あとは運転手兼鞄持ちで、レコーディング現場に連れていってくださったり、とにかく見て感じることが仕事でした。2年半経った時、『これがダメだったら金沢に帰りなさい』と曲を書いてくださいました。それがデビュー曲『神無月に抱かれて』です。それでも年も年なので、プロの歌手になれるなんて思っていなかったら、先生が『いい歌は40を過ぎてから歌えるようになる』と言ってくださって」。
「とにかく正直に歌うことを叩きこまれました」(保科)
“いい歌”を歌うためにすべきことを、この3年間の修行で叩き込まれ、それが30年間歌い続けてくることができた“太い柱”となっている。
「どんな場所でもお客さんの人数にも関係なく同じ歌を歌えということ、そして喉だけで恋しがるな、指先まで人を恋しがって歌えとか、そういう、テクニックではない言葉もたくさんいただきました。ピッチとか関係なく、テクニックなんてどうでもいい、とにかく正直に歌うということを叩きこまれました。最初の頃は完全には理解できませんでしたが、30年経ってようやく言われたことが全て理解できます。遅いですよね…」。
歌への向き合い方、思いが変わったきっかけ
歌への向き合い方、思いが変わったのは、2011年東日本大震災の時、岩手県の避難所を訪問し、そこで歌った時だったという。
「そこで『さくらの花よ泣きなさい』を歌った時、皆さんが涙を流しながら聴いてくださって。みなさんそれまで避難所生活では泣いてはいけないと頑張ってきて、でもこの時涙を流すことができて、逆に元気が出たという声をたくさんかけていただきました。そこで歌の力を思い知らされました。最近の私のライヴでも泣きながら聴いてくださる方が多くて、私の歌って我慢して、苦労して、頑張っている方が聴くとグッとくるみたいです。それは先生に言われた歌に対する姿勢が、皆さんの心まで届いているのだと思っています」。
夢グループで見つけた“居場所”。「もっと歌いたい」(保科)
10周年、20周年の時は「まだまだ何もしてない」と感じ、2015年に、往年の名歌手が多く出演する夢グループのコンサートに初出演し、その後同グループに所属することになり、そこでようやく“手応え”を感じた。
「夢グループに入って、居場所があったと思えました。10周年、20周年の時は『私、まだ歌っていていいのかな』って思っていました。だから『周年おめでとうございます』と言われてもピンと来ていませんでした。でも今はもっと歌いたいと思うし、迷いがなくなりました」。
30周年を記念して石田社長とのデュエットシングルを発売。「社長は私のために、私はいつも人のために頑張っている社長のために、という思いが結実した曲です」(保科)
そしてデビュー30周年を記念して、7月6日には夢グループを率いる石田重廣社長と“夢 石田社長と有里”というユニット名で、デュエット曲「夢と…未来へ」をリリースする。
ここで石田社長も登場。このデュエット曲について、そして自身のCDデビューについて語ってもらった。
――社長はいつかCDデビューしたいという夢があったのでしょう?
石田 TVのCMで歌っていたら、「社長の歌、なんかジーンとくる」と言っていただいたり、地方に行くたびに「社長はステージでいつ歌うんだ」って言ってくださる方、僕が歌手だと勘違いしている方も多かったんです(笑)。保科さんに「30周年で何かやりたいことはありますか?」って聞いたら、色々やりたいことはあるけど、新曲を歌いたい、と。それで、話題にもなると思ったし、出すなら少しでも多くの人の手に届けたいと思って、デュエット曲を提案しました。
保科 最初はデュエット?って思って、少し考えていたのですが、その時、社長の自伝エッセイ『いつでも夢を。』を読ませていただいて、人のために苦しい思いをしながらいくつも挫折と苦悩を繰り返して、これまで生きてこられたことを知って。子供の頃は野球選手になるのが夢で、歌手にもなりたかったと。じゃあここで、自分がやりたかったこと、社長の夢に協力をさせていただいて、一人よりもやっぱり2人でやった方が話題になるし、たくさんの人に聴いて欲しいと思いました。社長は私のために、私はいつも人のために頑張っている社長のために、という思いが結実した曲です。
「一体誰のために生きているのかわからなくなる瞬間が時々ある。その時の思いを歌詞にしました」(石田)
――「夢と…未来へ」へは、歌詞は石田社長が、曲は保科さんがYURI名義で書かれて、まさにお互いを思い合うという曲になっています。
石田 私は毎年元旦は、日本にいる時は会社に行って一人で半年間の仕事内容を自分で書き上げているのですが、いつも一体誰のために生きているのかがわからなくなる瞬間があります。自分はなんのために生きてきたんだろうって。今年は、前の年に亡くなった父親のことも思い出しながら、よりそういう気持ちが強くなって、それを素直な言葉で歌詞にしました。
保科 シンプルで、耳と心にちゃんと残る歌詞なので、それがきちんと届くメロディを目指して、社長がちゃんと歌ってくれればいいなって思いながら書きました(笑)。
――アレンジはヒットメーカー・若草恵さんです。
保科 若草先生は、ジャズを始め色々な音楽に精通していて、ストリングスアレンジが本当に美しいんです。研ナオコさんの「かもめはかもめ」も中森明菜さん「難破船」もそうですけど、失恋した女性を綺麗に見せるアレンジなんです。イントロからドラマティックで映像がすぐに浮かんできます。
グループ魂のライヴで流れた、会場限定CMに出演
――誰もが一度は見たことがある、お二人が出演しているCMが話題ですが、今年1月のグループ魂の中野サンプラザで行われたライヴで流れた、宮藤官九郎さん脚本の”会場限定夢グループCM”にも出演されたとか?
石田 そうなんです。クドカン(宮藤官九郎)さんが脚本を書いてくださって、こんな楽なお仕事初めてでした(笑)。今までは全部自分で台本を書いて、演出もしていたので、監督の言う通りにやる仕事は、言い方が悪いかもしれませんが楽でした(笑)。クドカンさんも撮影に立ち会って、何回もやり直しさせられるのかなと覚悟していたら、笑って見ているだけで一回もNGが出ませんでした。コンサートを観に中野サンプラザにもお邪魔しましたが、満杯で羨ましかったし、悔しかったです。
「鳥肌が立つような感動を届けないと、お客さんは観にきてくれない」(石田)
――夢コンサートも、コロナ禍で大変だったと思います。
石田 大変な状況でした。でもそれ以前に、今我々のコンサートもそうなんですが、色々な歌手のコンサートを観ても“魅力”に欠けていると思います。なんの魅力に欠けているかというと、“楽しいな、すごいな”がないんです。描いている以上のこと、鳥肌が立つようなことをしないと、お客さんは喜んでくれないし、また来たいと思ってもらえない。だって歌がうまいのは当たり前だし、それだけで終わってしまっている人が多い。それだと売れないし、売れてもわずかなコアファンに支えられているだけだと思います。絶対パブリックにはなりません。プライベートな空間になってそれで終わり。広がっていきません。その歌手が、過去一番輝いてる時と、50.60.70代では輝きが違います。輝きを同じように求めてもダメです。求めるものを変えていかなければいけません。歌い手が歌でヒットを出せないのなら、歌い手そのものを注目させなければいけません。今は素人でも相当歌がうまい人がいます。歌い手は、なんで歌を歌っているのかなって思いますよね。それが人を感動させるためで、でも歌だけで聴き手を痺れさせることができなくなってきたのなら、例えば歌は1/3くらいにして残りは、歌詞に感情を込めて朗読をして届けてみるとか、そのやり方が歌い手に合っているかどうかはわかりませんが、色々と考えて、感動を届けなければなりません。
「観ている人に夢を届け続けていきたい」(石田)
――鳥肌が立つようなことをしないと、お客さんはついてきてくれないと。
石田 輝いていないから、光りものの派手な衣装とか着ちゃうんです。若い頃は地味な衣装でも、自分が輝いていたから着飾る必要がない。想像を絶するようなこと、人と違ったものを持っている人たちを見つけて、その人が作るエンタテイメントで、観ている人に夢を届け続けていきたいです。