エンタメ界が遅れるインクルーシブ社会の実現へ 慶應大学と吉本新喜劇が向き合う障がい者への課題
障がいに対するインクルーシブ社会の実現を目指して研究を続ける慶應義塾大学の塩田琴美研究会と吉本興業が3月27日、吉本新喜劇を題材にした「視覚障がい者がエンターテインメントを楽しむ上での課題とサポート方法の検討」プロジェクトを実施。都立文京盲学校の体育館に新喜劇のセットを移設し、同校生徒、研究会学生、芸人が新喜劇上演とその後のワークショップを通して、音声解説なしの“生のお笑い”の届け方を探った。
本来のおもしろさをどう伝えられるか
本プロジェクトの背景にあるのは、「日本のエンターテインメントがまだまだ障がいのある方にとって心地よく楽しめる環境ではない」(慶應義塾大学・塩田琴美准教授)こと。劇場などインフラはバリアフリー化が近年とくに進んでいるが、コンテンツに関しては、視覚障がい者向けでは音声解説が普及しつつあるものの、その作品に解説者や機械音声の説明が入ることでエンターテインメント本来のクリエイティブやおもしろさが伝わり切っていない。観客が十分に楽しむことができていない現状がある。
そこにどんな工夫や配慮があれば、視覚障がい者がエンターテインメントをより楽しむことができるのか。塩田研究会と吉本興業は吉本新喜劇を題材にプロジェクトをスタート。文京盲学校生徒は、1月に担当者の解説が入る新喜劇を映像鑑賞し、今回は生の新喜劇観劇とお笑いを体験するワークショップに臨んだ。
ステージセットを空間把握、登場人物像と音を覚える
この日まず行われたのはバックステージツアー。生徒たちは、体育館に建てられたラーメン屋台など新喜劇セットを見学。叩いたときに音は大きいけどぜんぜん痛くないお盆や、「賞味期限:永久」と書かれた胡椒の瓶などを触察しながら説明を受けて笑う。どこになにが置いてあるのか、セットの特徴を聞いたり小道具を実際に触ったりしながら、空間を把握した。
次に新喜劇に出演する芸人たちが登場し自己紹介。さらに、演じる役柄がどんな服装や髪型で、性格はどうなのかをそれぞれ説明。また、それぞれの役柄が登場するときの音楽やコケるときの音も解説。生徒たちは声やしゃべり方、音楽で芸人たちとその配役を結びつけた。
ひと通り説明が終わると、通常の新喜劇と同じ解説音声なしの上演がスタート。初めて生のお笑いを観覧したという生徒たちだったが、同校先生をイジる身内ネタで上演開始早々から笑いが起こり、劇中もボケやツッコミのポイントでしっかり笑い声が響き渡った。
その後のワークショップでは、芸人と生徒、研究会学生が少人数のグループに分かれ、劇中のおもしろかったことやわからなかったところなどを生徒が話し、芸人たちがそれに答える。また逆に芸人が生徒たちに質問をしたりして、トークセッションはにぎやかに盛り上がった。続いて、新喜劇流のコケる練習と、ボケとツッコミの芝居を芸人から習い、最後に生徒たちはグループごとに全員の前で披露した。
実生活ではなかなかできない経験から得た学び
ワークショップ中から元気な笑い声があちこちのグループから聞こえていたが、終わってみると生徒たちは初めての体験を存分に楽しんだ様子。生徒たちの感想は「テレビでお笑いは鑑賞しているけど生は初めて。映像より生のほうが臨場感があって楽しかった。またお笑いに挑戦したい」「新喜劇を体験して、明るくハッキリした声で話すとか、相手と楽しく会話するコミュニケーション方法を知ることができてよかった」など。実生活だけではなかなか得られない多くのことを楽しみながら学んだことがうかがえた。
一方、新喜劇芸人たちも、諸見里大介は「伝わるか心配だったけどすごく笑ってもらえた。顔ボケも声と話し方でおもしろく伝わりました」。もじゃ吉田は「ボケは動きだけでなく、言い方や抑揚、声のトーンを工夫することでこんなに笑いが取れることを学びました。これからに活かしたいです」。初めて視覚障がい者の前で演じた芸人たちにとっても、お笑いの仕事に還元できる収穫があったようだ。
社会側にとっても学びになる課題解決
本プロジェクトを推進する塩田氏は「障がいのある方たちにとって、いろいろな社会経験を積む機会が少ない社会に生きるなか、こうやって生の新喜劇に触れて、いろいろな人とコミュニケーションを取ることは、大きな学びになります。また、研究会の学生や吉本興業という社会側にとっても、彼らがどういう気づきを得たかは学びになるはずです」。社会にとって有意義な検証になったことを掲げ、この先を見据える。
「今回はお笑いがテーマでしたが、音楽や絵画でも視覚障がい者にどう伝えるかとなると、また違った手法が必要になります。彼らがいろいろなことに触れる機会を作ることで、課題を解決していくことが重要。それは彼らのためだけではなく、私たちにとっても社会が生きやすくなること。みんながひとつになって共生するインクルーシブ社会につながります」
今回のプロジェクトの検証結果は、同研究会で分析された後、発表される予定。その積み重ねから、いずれこうした取り組みがプログラム化され、視覚だけではなくほかの障がいのある人たちの学校や団体へも普及していくことが期待される。
エンターテインメントは障がい者への対応が遅れている分野という。そもそもエンターテインメントは感情を揺さぶったり、感動を与えたりすることで人々の心を豊かにし、生きることそのものに彩りを与えていくもの。であれば、健常者だけでなく、社会参加の機会が少ない障がいのある人たちにとっても日常的に触れる機会がある社会でなければならないだろう。
それをどう届けるか工夫し、実践していくことは、エンターテインメントがより発展する社会になるのと同時に誰にとっても豊かな社会になる。そんな意義のある取り組みのこれからに注目していきたい。