阪神が初のリーグ連覇を達成する条件とは
阪神が4月を首位で滑り出した。球団史上初のリーグ連覇を期待された今季は、オープン戦でいきなり9連敗。その後はやや持ち直すも、3勝14敗1引き分けは12球団で最下位と、大きな不安を抱えてペナントレースを迎える。
東京ドームに乗り込んだ巨人との開幕カードも、完封負けで連敗スタートだったものの、4月14日の中日戦に逆転勝ちすると波に乗り、引き分けを挟む7連勝。ようやく昨年のような安定感が見られるようになり、5月3日からは開幕カード以来の東京ドームで、2位の巨人と対戦する。
では、阪神が球団史上初のセ・リーグ連覇を成し遂げるには何が必要なのか。過去の優勝および翌年を振り返りながら分析したい。
2リーグ制となって初優勝した1962年は、チーム打率.223、64本塁打と攻撃力は高くなかったが、小山正明が27勝、村山 実が25勝をマーク。チーム75勝のうち52勝を稼ぐ二本柱を中心に守り勝った。だが、翌1963年は小山の勝ち星が14勝と伸び悩み、村山は腱鞘炎や内臓疾患で休養を余儀なくされ、どうにか戦列に復帰するも11勝。二人合わせて23勝では、優勝を争うことさえできなかった。
1964年は、「世紀のトレード」で小山を東京(現・千葉ロッテ)へ放出し、代わりに強打者の山内一弘を獲得。山内は31本塁打94打点で攻撃力アップに貢献し、村山も22勝と復活。そして何より、新外国人のジーン・バッキーが29勝9敗、防御率1.89と大活躍を見せ、見事にペナントを奪還する。翌1965年も村山は25勝。バッキーも18勝をマークし、チームはリーグ最少の394失点だったが、チーム打率.220の打線が393得点しか挙げることができず、9連覇をスタートさせる巨人に19.5ゲーム差をつけられた。大活躍の村山が、右手首を痛めて5月まで戦列を離れ、開幕ダッシュできなかったのも痛かった。
いかに前年並みの戦力で戦うことができるか
吉田義男監督が8年ぶりに復帰した1985年は、投手力が弱点と評されるも、ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布のクリーンアップ・トリオを中心とした強力打線が万全な援護。21年ぶりにペナントを手にし、初の日本一まで駆け上がる。この年に三冠王に輝いたバースは、翌1986年も三冠王の打棒を見せたが、掛布は死球による骨折をきっかけに3回戦列を離れ、得点が前年の731から574と大きく落ち込み、優勝争いから脱落してしまった。
2003年の優勝は、前年に就任した星野仙一監督の戦力強化が実を結び、井川 慶ら若手も台頭してきたが、体調を崩した星野は退任し、翌2004年は岡田が監督に就く。投打に力はあったものの世代交代期になっており、落合博満監督で勢いに乗った中日にペナントを奪われた。シーズンが終わると藪 恵壹がオークランド・アスレチックスへ移籍し、伊良部秀輝や「代打の神様」八木 裕が現役を退いた。
この頃は中日と首位争いを繰り広げ、ともに戦略家の岡田と落合の対戦はファンの関心を集める。2005年はセ・パ交流戦で波に乗った阪神が中日を振り切って覇権を奪還したが、2006年は中日が無類の勝負強さを発揮し、阪神の猛追も僅かに届かなかった。ただ、この2006年が連覇の可能性が最も高かったシーズンと言っていいのではないか。
こうして見ていくと、阪神のリーグ連覇に不可欠なのは、いかに前年並みに戦えるかということになる。昨年は投打のバランスがよく、投手陣では西 勇輝や青柳晃洋が今ひとつだった分、村上頌樹、伊藤将司、大竹耕太郎ら若手が着実に成長した。今季も同じような滑り出しに加え、リリーフで新外国人のハビー・ゲラが安定しており、大きな心配はなさそうだ。一方の打線では、佐藤輝明が本調子ではないものの、外国人など新戦力に依存しなければならないなどの不安はなく、昨年を上回る数字は十分に残せるのではないか。
あとは、2006年の中日のように、他球団の戦力や試合運びとの比較になるが、そこは中日との熾烈な争いを経験してきた岡田監督がマッチレースでも三つ巴でも、あるいはさらなる混戦になっても上手くチームを指揮してくれると考えたい。そして、近年のセ・リーグでは、2015年の東京ヤクルトを除けば2~3連覇ばかり。今季の阪神にも、大いに期待できるのではないか。