Yahoo!ニュース

FA時代にはもう見られない!? プロ野球史上最強のトレードとは

横尾弘一野球ジャーナリスト
ロッテから中日へ移籍した落合博満の1対4トレードも衝撃的だったが……。

 プロ野球のシーズンオフをストーブ・リーグと呼ぶが、この期間の最大の注目はトレードだろう。1993年に導入されたフリー・エージェント制度はすでに30年余りの歴史を重ねて定着し、目立つ実績を残したスター選手がユニフォームを着替えることも珍しくなくなった。それに伴い、かつてはテレビの臨時ニュースで伝えられることもあった大物選手のトレードはあまり見られなくなってしまった。

 では、戦力補強の手段が限られていた時代に「球史に残る」と評された中でも、最強のトレードとはどれだろう。

 1985、86年と2年連続で三冠王を手にしたロッテの主砲・落合博満が、そのオフに中日へ移籍したトレードは衝撃的だった。この時、ロッテは現役引退した有藤道世に監督就任を要請しようと考えた。そして、有藤が受諾する条件に落合のトレードを挙げたことから、落合の移籍先を探した。実は、前年に巨人から落合のトレードを打診された経緯があり、当初は巨人との間で成立する可能性が高かったという。ところが、交換相手で折り合わず、そこに中日監督に就いたばかりの星野仙一が割り込み、見事に交渉を成立させてしまった。

 中日は、落合ひとりを獲得するために4人の選手を放出する。しかも、リリーフの柱である牛島和彦、好打堅守の内野手・上川誠二、成長著しい右腕の平沼定晴、11試合に先発していた左腕・桑田 茂だったから衝撃はより大きくなった。落合は1988年のリーグ優勝に貢献し、牛島も2年続けて最多セーブをマーク。現役引退後は、ともに監督を務めたのは周知の通りだ。

 また、大型トレードでは、西武の秋山幸二と福岡ダイエー(現・福岡ソフトバンク)の佐々木 誠を中心にした1993年オフの3対3、阪神の江夏 豊が外野手の望月 充とともに南海(現・福岡ソフトバンク)へ移り、代わりに江本孟紀や島野育夫ら4人が阪神入りした1976年2月の2対4も印象深い。その阪神が、1978年12月に田淵幸一を技巧派右腕の古沢憲司とともに球団を買収したばかりの西武へ放出し、真弓明信、若菜嘉晴ら4人を獲得したトレードも大きな話題となった。

興味深い人間ドラマも背景にある“世紀のトレード”

 このように、スター選手のトレードにはドラマがあるものだが、あえて最強トレードを挙げるなら、1964年1月に成立した山内一弘と小山正明の“世紀のトレード”になるのではないか。

 社会人の川島紡績から20歳で毎日オリオンズ(現・千葉ロッテ)へ入団した山内は、3年目の1954年に外野の一角に食い込み、97打点をマークしてタイトルを手にする。その後も勝負強い打撃は凄みを増し、首位打者1回、本塁打王2回、打点王4回、リーグ優勝を果たした1960年にはMVPに輝くスター選手となる。

 1963年のオフ、10年間フランチャイズ・プレーヤー(生え抜き)だった山内はボーナス受給の権利か自由移籍の権利を選択できる『A級10年選手』に指名されると、水面下で巨人への移籍を画策するも不調に終わる。その一方で、永田雅一オーナーは、翌1964年から球団名を東京オリオンズとするにあたり、強力打線から投手力を中心としたチームに変えたいと考えており、山内との交換でエース級投手の獲得を目指すようになる。

 そんな山内とトレードされた小山正明は、高砂高3年時に入団テストを受け、練習生として1953年に大阪タイガースへ入団。打撃投手を務めて制球を磨き、1年目から5勝、11勝と頭角を現して先発に定着する。1956年からは2ケタ勝利を続けてエースに君臨し、1959年に村山 実が入団すると、二枚看板となって1962年にリーグ優勝。27勝13完封で沢村賞に選ばれるも、MVPは25勝の村山に譲る。

 翌1963年が14勝に終わるとトレードが噂されるようになり、オフを穏やかに過ごすことができなかった小山は球団社長宅を訪ねる。すると、「オリオンズの永田オーナーが君を譲ってくれと言ってきて弱っているんだ」と明かされ、その場で「構いませんよ」と返すとトレードが成立したという。実は、小山は永田オーナーから直接、勧誘されたことがあり、オリオンズへの移籍を直訴したこともあったのだ。

 こうして“世紀のトレード”は成立したが、翌年の成績を見れば、これが山内、小山にとってだけでなく、両球団にも大きなプラスアルファをもたらしたことがわかる。阪神の山内は全140試合に出場し、打率こそ.257と高くなかったものの、31本塁打94打点の勝負強さでリーグ優勝に導く。対する小山は、53試合に登板して25完投のタフさで、30勝をマークして最多勝利投手に。さらに、2年続けて20勝と、永田オーナーが目指した強力投手陣の中心となる。リーグが変わると成績を落とす選手も少なくなかったが、山内の打撃と小山の投球が圧倒的だったことがよくわかる。そうした意味でも、このトレードが史上最強だったのでないか。

 さて、トレードに暗いイメージも付きまとわなくなった現代に、こんな大型トレードは成立するだろうか。

(写真=K.D.Archive)

野球ジャーナリスト

1965年、東京生まれ。立教大学卒業後、出版社勤務を経て、99年よりフリーランスに。社会人野球情報誌『グランドスラム』で日本代表や国際大会の取材を続けるほか、数多くの野球関連媒体での執筆活動および媒体の発行に携わる。“野球とともに生きる”がモットー。著書に、『落合戦記』『四番、ピッチャー、背番号1』『都市対抗野球に明日はあるか』『第1回選択希望選手』(すべてダイヤモンド社刊)など。

横尾弘一の最近の記事