「月曜日のたわわ」新聞広告掲載の是非 異なる価値観のぶつかる意味
「週刊ヤングマガジン」(講談社)で連載中の人気マンガ「月曜日のたわわ」の新聞広告の是非について、火花が飛び交っています。経緯も含めて整理して考えてみます。
「月曜日のたわわ」は、サラリーマンの男性と、胸の大きな女性との交流を描いた比村奇石さんのマンガです。2015年にツイッターで公開されたイラストが話題になり、2016年にはウェブアニメ化。2020年に「週刊ヤングマガジン」での連載を始めました。それまでは、目立った批判は起きませんでした。
しかし同作の広告が4月4日の日本経済新聞朝刊に掲載されるというニュースが配信されると、胸の大きな制服姿の女性が広告に載ることがふさわしくないという批判がSNSで続出。同時に批判への反論もあり、ヒートアップしました。
そして、「UN Women」(国連女性機関)が、広告の掲載について日経新聞社に抗議したとハフポストが15日に報じました。
【関連】国連女性機関が『月曜日のたわわ』全面広告に抗議。「外の世界からの目を意識して」と日本事務所長(ハフポスト)
これは非常に難しい話です。表現の自由をどこまで許容するのかは、さまざまな見解があります。そして女性を描いたイラストやコンテンツが突然炎上することは、ここ数年多発しています。ポイントは、既に連載・展開していても、いつ“発火”するか予想できないことです。
【関連】『月曜日のたわわ』の新聞広告をめぐり論争に…メディアと“見たくない表現に触れない権利”の関係は(ABEMA TIMES)
気になるのは、今回の論争が、広告掲載の是非だけで終わるか。それが広告に続いて作品に“飛び火”しないかです。特にマンガは良くも悪くも雑多な世界で、さまざまな世界観や設定、キャラクターが登場します。作品全体の趣旨を考慮せずに一部をピックアップして問題視すれば「〇〇狩り」になりかねません。そうなれば作り手が委縮して自由度が狭まり、その結果皆が不幸になると思うのです。
アニメやマンガ、ゲームは、猟奇的な事件が起きるたびに関連付けられて、メディアで差別的に報じられた過去があります。その色は薄れてきたものの現在も残っていて、SNSで差別的な、厳しい言葉でたたかれるのは珍しくもありません。また逆にファンとみられる人も、反撃のためとはいえ、厳しい言葉で応酬するケースもまた見かけました。「報復には報復を」となれば、不幸の連鎖でしかありません。現代生活に不可欠なはずのSNSが、論争を激化させている面があります。
今から約2000年前、秦の始皇帝の時代、不要と判断した書物を燃やし、政治を批判する儒学者を埋めて殺す思想弾圧政策「焚書坑儒」が行われました。他にも歴史で多くの事例があるように、自らの価値にそぐわないものを止めようとするのは、人間の本能なのかもしれません。
価値観の異なる他者への配慮も大切ですが、同時に表現の自由も大切です。そして表現の自由は、相手の表現も尊重するがゆえに、異なる価値観を示されたとき自らが忍耐を強いられる側面があります。そして表現の自由があるから批判は許されるわけで、批判するにしても、相手の立場を重んじた上で一定の配慮が必要になるのではないでしょうか。
一方で論争は、自分と異なる価値観があることを強く認識させてくれる機会です。常識を疑い、今一度考えをめぐらすこと自体、意味のあることと言えるかもしれません。仮に相手の落ち度を見つけて屈服させても、解決は難しいでしょう。
江戸時代の「浮世絵」は、現代日本だけでなく世界でも評価されていますが、遊女や役者などを描いた絵で、当時の庶民の娯楽でした。雑多なものだからこそパワーがあり、皮肉があればイラッと来る人はいますから、誰もが納得できる作品作りは至難の業です。創作には“毒”があるからこそ、できるだけ多彩な表現が許される場であってほしいと願っています。