3ケタ背番号で「一軍復帰」。高濱祐仁が放った「あの日」から1022日目のヒット
「無観客試合」最終日の京セラドーム大阪。この日までカメラマン向けに開放されていたフィールド席に陣取ると、3ケタの背番号が目に飛び込んできた。この日のビジターチーム、日本ハムのスタメン一塁手のユニフォームには数字が3つ並んでいた。確か3ケタ背番号は一軍の公式戦には出場できない育成選手のものであるはずだ。オープン戦では、支配下選手契約を虎視眈々と狙う彼らの3ケタ背番号を目にすることがあり、それがある意味春の風物詩にもなっているのだが、今シーズンはすでに始まっている。
調べてみると、日本球界で初めて3ケタ背番号が登場したのは1992年のことらしい。
ドミニカアカデミー出身の広島カープのロビンソン・チェコが「106」を背負ったのが最初だ。前年からプロ野球の支配下登録選手数の上限が70となり、指導者の分も含めると、2ケタまでの背番号では足りなくなってきたようだ。
そして2006年、公式戦については2軍戦のみ出場可能の育成選手制度が導入されたことにより、3ケタ背番号はこの育成選手用のものとなった。
ちなみに40人のメジャー契約選手が「一軍」でプレーする資格があり、25人の「一軍」ベンチ枠から漏れた選手と残りのマイナー契約の選手たちは、階層別のファームチームでプレーするアメリカでは、メジャー、マイナー各チームで別に背番号を設定するため、3ケタの背番号を目にすることはない。
ともかくも、一軍の公式戦で、3ケタ背番号をフィールドで目にすることはないはずだ。ひょっとしたら何かの手違いでユニフォームがなくなり、他人のものを借りたのかとも思ったが、その背番号の上には、その選手の名、「TAKAHAMA」の文字がちゃんとある。
高濱祐仁(ゆうと)は、神奈川の名門・横浜高校で4番遊撃手として甲子園の土を踏み、2014年ドラフトで7巡目指名を受け、同じく3巡目指名を受けたチームメイトの淺間大基とともに日本ハムファイターズに入団した。
高卒の下位指名ながら、1年目の2015年のシーズン終盤にサードのスタメンとして一軍デビュー。一軍では2打数無安打に終わったが、ファームではレギュラーとしてリーグ12位の.256の成績を残した。
ここまでは順調なキャリアを歩んだと言っていいが、その後伸び悩み、一軍出場は初安打を記録した2017年の2試合にとどまった。ファームでは不動のレギュラーだったが、4年目の2018年に打率.202に終わると、大卒の同い年の選手が入団してきた翌年には、球団の目はそちらに向くようになり、出番は激減した。少なくなったチャンスで結果を残すことができなかった高濱を待っていたのは戦力外通告だった。それでも球団は、彼に育成選手契約を提示することで最後のチャンスを与えた。
2020年、キャンプインがやってくると、高濱の背中には入団時の「61」に代わって「162」の背番号があった。
コロナ禍が明け、イースタンリーグが始まると、高濱のバットは止まらなくなった。リーグトップの.444をマークしたが、ファーム不動のレギュラーなど彼の眼中にはなかった。その好調ぶりに球団は、得点力不足に悩む一軍の戦力を彼に見、大阪で戦っている一軍に送った。7月8日、高濱は支配下登録選手契約を結んだ。チームに合流した彼の新たな背番号は「91」と発表されたが、新調されたユニフォームが大阪に届くことはなかった。それでも監督の栗山英樹は、早速9日の試合で彼をスタメン起用した。
7番打者の高濱の復帰初打席は、2回に訪れた。初球のボールを見送った後、3球ファールを打ったが、オリックスの先発、山崎が投じたその次の低めの球をひっかけてサードゴロに倒れた。
第2打席は四球を選び、チームが4番中田の特大ホームランで逆転した6回表、2アウトから第3打席が回ってきた。カウント1-1からオリックス2番手澤田が投じた外角のスライダーをはじき返した高濱の打球は、決して会心の当たりではなかったが、センター前へ抜けていった。3年前放ったプロ2本めの安打から1022日が経っていた。
試合は、この後、オリックスが追いつき、延長10回引き分けに終わった。9回の無死1塁の勝ち越しのチャンスではきちんとバントを決め、打率.500を残したままこの日を終えた。
試合後、高濱を抜擢起用した栗山監督は次のようなコメントを残した。
「ほんとに一生懸命今年(キャンプから)やってきて、それが結果となって繋がったのならほんとに良かったなと思う。こっちもうれしいよ。努力したことが必ず結果に繋がるわけではないんだけれども、とにかく頑張らなければなにも起こらないということを感じながら(これからも)やっていってもらいたい」
明日からは、スタンドに観客を入れてプロ野球は「第2のスタート」を切る。スタンドのファンは、「91」の新しいユニフォームをまとった彼の姿を見ることになるのだろうか。
(写真はすべて筆者撮影)