Yahoo!ニュース

かたくなに演歌の道を歌いたい――細川たかし「男船」インタビュー

宗像明将音楽評論家
細川たかし(筆者撮影)

細川たかしのニュー・シングル『男船』は、ジャケットではSNSでも話題になった「あのジャージ姿」をコラージュし、MVでもMADのように細川たかしの映像を使いまくった衝撃作だ。それでいて楽曲自体は演歌という軸からぶれるところがない。細川たかしはSNSでの人気をどう受けとめているのか、そして細川一門の弟子を率いる身として、演歌の未来をどう考えているのかを聞いた。

74歳でどこがかわいいのかな(笑)

細川たかし(筆者撮影)
細川たかし(筆者撮影)

――ファッションがSNSで若い世代に話題になってみていかがでしたか?

細川たかし 全然変わりましたよね。街を歩いていてもね、今まではだいたい演歌好きの人から声をかけられたけど、今は新幹線や空港でも若い人に「写真撮ってください」って言われたりね。

――ご自分のキャラクターがSNSでどんどん広がっていくのは、ご本人的にはどんな感覚なんでしょうか?

細川たかし よくわからないですね。どうして話題になって、何がいいのか。若い子たちは俺のこと「かわいい」とか言うけど、74歳でどこがかわいいのかな(笑)。

――ご自身はSNSはわりとご覧になりますか?

細川たかし 撮ったのは見るね。たとえば新幹線で名古屋に行ったり大阪に行ったりするときに、ふだんのまんまご飯を食べるのを撮って。自然な感じだね。

――たくさん見られることを「バズる」と言うじゃないですか。細川さんが普通にしていてもバズってしまうのはどういう感覚でしょうか?

細川たかし あはははは、そこは自分では実感してませんけどね。

――細川さんは、昭和が終わり平成を迎える頃には、演歌歌手の歌える場所が減ったと言っていましたが、今、演歌になじみの薄い層にリーチしているんでしょうね。

細川たかし たしかに演歌を好きな人は、60代、70代、80代。でも、俺の写真をうちわに付けて持ってる人がショーに増えたことは事実ですよね。今までなかったですもん。20代、30代の人ですね。

――新曲「男船」のMVも大変なことになっていますが、あのアイデアはどこから?

細川たかし それはコロムビアの若いスタッフがやりたいって言うから、「やってみたら」って言ったらああなったね。演歌とは全然別のストーリーがあるらしいけどね、魚が逃げて(笑)。ニシンを獲りに行くっていうストーリー。

――あのMVを最初にご覧になったときの感想はいかがでしたか?

細川たかし 全然演歌と関係ないと思うんだけど、ストーリーはあるというし、あれが受けてるんだろうね。グッズもいろいろ作って、それがまた売れてる。あのちっちゃいのってなんだっけ? ……アクリルスタンドか、知ってます? それがやたら売れて。こっちが何の苦労もせず日常のまんまを出して、それを見てみんなが「ワー」って喜ぶという(笑)。

――びっくりな展開ですよね。

細川たかし びっくりですね。何も意図はない(笑)。仕掛ける意図は何もないし、なんとなくやって、なんとなく出してる。

――細川さんのような大御所の方だと、自分がネタにされるのが嫌な人もきっといるじゃないですか、そこはいかがですか?

細川たかし 俺は「欽どこ(『欽ちゃんのどこまでやるの!』)」に出たときに30ちょっとで、ああいうとこから変わって、お客さんに愛されることを萩本(欽一)さんに習ったんだね。愛想よく手を振ったりも自然にできるようになって、でも気がついたらもう70を超えてしまった感じです。恐ろしいね、あっという間にね。「心のこり」も昭和50年(1975年)ですから、50年経とうとしてるんですよね。よくも50年、飽きずに歌ってるなっていう(笑)。

――「心のこり」から49年経っての新曲「男船」は、三味線やホーンセクションとともに歌われますね。

細川たかし 三味線は日本古来の大事なものであってね、津軽三味線を出していこうと意識して入れてるんですよ。ポップス系に行かないで、本当の演歌をね。

――「男船」を歌うにあたって意識したポイントはあるでしょうか?

細川たかし やっぱり最後の「江差 松前 男船」が一番残るかなと思ったんです。年配の演歌好きな人も歌うんでしょうけど、若い子たちにもあそこを歌ってもらいたいから、そこだけ覚えてくれればいいかなと。だから、誰かひとりがかたくなに演歌の道を歌い続けるってことが非常に大事であって、なるべくそこを外れないように歌ってますね。かたくなに(笑)。それが大事。それをやり遂げるのがいいじゃないですか。かたくなに、誰が何と言おうとね。

――細川さんは、演歌で築き上げたものがあるからこそ、SNSで話題になってもまったく動じないんだろうなと感じます。

細川たかし はい、そりゃそうですよね。それはネタにして騒いでいただければそれはそれでけっこうだし、自由に遊んでいただいてけっこう。俺のアクリルスタンドを、一般の人たちが旅行に持っていって、わざわざ食事と一緒に置いて写真を撮ってこっちに送ってきて、なんでそんなことするんだって(笑)。面白いね。

――そういう流れは、細川さんにとってはご自身の演歌を広めるチャンスみたいな感覚でしょうか?

細川たかし 広めるとか売ろうとか、あんまり意識はしないですよね。ここまでなっちゃうとね。ひとつの世界を押し通す、意志の頑固さがいいのかもわかんないですね。

歌い手ほど贅沢な商売はない

細川たかし(筆者撮影)
細川たかし(筆者撮影)

――「心のこり」でデビューして、「北酒場」以降はヒットが続きましたよね。

細川たかし そうです、7年後ですね。昭和57年(1982年)に「北酒場」、昭和58年(1983年)に「矢切の渡し」、昭和59年(1984年)に「浪花節だよ人生は」、昭和60年(1985年)に「望郷じょんから」と、一連のヒットが続くんですね。幸せもんですよね。

――意外と演歌っぽくない曲調も多いですよね。

細川たかし 「心のこり」はカントリーですよね。作曲は中村泰士ですから。

――なるほど、目から鱗です。細川さんがもともと札幌のナイトクラブで歌っていて、いろいろなものを吸収して、そのなかに民謡もあったそうですね。それが「望郷じょんから」などに反映されていったわけでしょうか?

細川たかし 「望郷じょんから」はそもそもはシングルじゃなくて、「古賀政男記念音楽大賞」に当てはめて作ったら話題になって。そこに細川たかしの故郷や民謡の匂いのするような作品だったんでしょうね。でも、それはシングルにしようと思って作った曲じゃない。たまたまそうなったっていうね。たまたまが多いね、今回の「男船」もたまたま相談したら、たまたまこうなったんで(笑)。

――たまたまの連続だと?

細川たかし たまたまですよね。「矢切の渡し」だってちあき(なおみ)さんのB面ですからね。それが大ヒットするんですよ、たまたまですよね。「北酒場」の次に全然違うパターンが出てきて、これがまた売れちゃうんですよね。ぶっ飛んじゃうね、自分でも。たまたまですよ。

――たまたまの連続で「男船」もあると。

細川たかし 若いスタッフは考えることが違うなと思ったし、それでまた面白いね。

――細川さんのそういう寛容さもすごく印象的です。

細川たかし うるさいことは言わないからね。「どうぞやってみて」とやらせたほうがいいですよね。

――令和になって、今の演歌歌手の活動の場についてはどう感じていますか?

細川たかし やっぱりショーをやるとお客さんが入りますからね。北海道で4日間やってきたんですけど、昼夜ずっとやってたら、4日で8000人ぐらい来るんだよね、7000円、8000円取るけど、札幌でも1500人は入っちゃう。コロナの後で、お客さんは待ってるんですよ。高齢化で遠くまで来れないお客さんもいるから、我々も最近は小さい街に行くわけ。昼と夜で、30キロか50キロの距離で会場を変えるんですよ。たとえば昼は越谷で、夜は草加とか。やっぱり人口が10万人、20万人の街だと、7000円、8000円払って見に行こうというお客さんが、そのぐらいいるんですよ。

――コロナ禍の2021年には「細川一門」を立ち上げて家元になりましたね。細川たかし音楽事務所には、お弟子さんの杜このみさん、彩青さん、田中あいみさんが所属しています。それまではお弟子さんは取ってなかったんですか?

細川たかし 俺が60歳ぐらいのとき、このみと知り合うわけですね。やっぱり何人もは大変だよ、教えなきゃいけないので。そこは厳しくね。やっぱり歌がうまくないと後々食えないね。カラオケがこれだけあるから、一般の方々の歌がうまいんですよ。我々のショーをやると、騒がないでシーンって聴いてる。昔みたいに「たかしさーん!」って、キャーキャー騒がない。終わったらワーッと拍手してくれますけどね。

――お弟子さんに演歌の神髄を伝えたいという気持ちも強いでしょうか?

細川たかし 強いですよ。「師匠には勝てないな」って一緒に歌うとわかりますから、俺もよく聴いて、「もうちょっと口を大きく開けて歌え」とか、きちっと教えてやらないといけない。そこにヒット曲がうまいことくっつけばドーンと大きくなります。うまく運が向いてくるときを待たないといけない。

――10年ぐらいでお弟子さんが3人というのはなかなか狭き門ですよね。

細川たかし でも、歌えればいいんだから。勉強ができなくていいしね、何も楽器ができなくていいし、ひたすら歌ってればいい。これ以上の贅沢な商売ってないよね。これで稼げて三度の飯を食べれたら最高ですよね。私は歌い手は非常に贅沢なものだと思いますね。何もできないし、何もしないんですからね。

――いやいやいやいや。これからの演歌界に必要な人材はどんなものだと思いますか?

細川たかし きちっと歌えること。それはポップス系でもニューミュージックでもロックでも全部一緒ですよ。

――ポップス系というと、今のJ-POPみたいなものは細川さんの目にはどう映っていますか?

細川たかし 僕はあんまりわかりませんけど、全然いいと思いますよ。今は若い人がたくさんの人数でワーワーやってる場合もありますけど、あれはあれで見せるショーとしていいのかなって。

――やはり演歌は歌であると。

細川たかし そうでしょうね。あと10年、20年経って弟子の時代になると、そこしかないんじゃないですかね。

――今お弟子さんの成長具合はいかがですか?

細川たかし 今の日本の歌謡界、演歌界を見てもいいと思いますね。なるべくワンパターンにしないで間口を広げて、どういう作品でも歌えるように準備してないと。どういう歌が売れるかなんてわかりませんからね。たまたま歌と歌い手がピタッとはまったときには恐ろしいぐらい売れますから。

――まさに若いときの細川さんのように、準備してチャンス待つ姿勢をお弟子さんに仕込んでいるわけですね。

細川たかし そういうことですね。何十年もヒットがない歌手だって過去にいたわけですから。15年、10年待って、売れた人もいるわけですね。いつも弟子に言うのは、ヒット曲は宝くじ。どれが当たるかはわからない、でもそこに行くまでの歌唱力は絶対的に必要です。歌のうまい下手ははっきりしてる。うまいのは絶対的条件ですね。

――細川さんが今後やってみたいことはありますか?

細川たかし もうたいしたことはないですよ。このまま楽しく歌っていたいですね。全国回って歩いて、楽しいですね。だいたい70か所ぐらい回るのね。そういった日本全国を回る自分のショーもあるわけで、贅沢な商売ですよ。

細川たかし(筆者撮影)
細川たかし(筆者撮影)

音楽評論家

1972年、神奈川県生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。著書に『大森靖子ライブクロニクル』(2024年)、『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』(2023年)、『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』(2016年)。稲葉浩志氏の著書『シアン』(2023年)では、15時間の取材による10万字インタビューを担当。

宗像明将の最近の記事