今宵パリのバーで
秋の夜長。琥珀色のバーの灯りの下でゆっくりグラスを傾ける。そんなしっぽりとした大人の時間が似合う季節である。
パリのバーといえば、同名の文豪にゆかりのあるホテル「リッツ」のバー「ヘミングウェー」の名前が真っ先にあがったものだが、現在この伝説のバーはホテルの大改装にともない閉鎖中。ではほかに、といえば、いくつかのパラス級ホテルのバーが浮かぶ。なかでも話題なのが、MOFのタイトルをもつバーマンが2人もいるホテル「ブリストル」のバー。ちなみにこのホテルはサッカーのベッカムが現役最後に「パリサンジェルマン」でプレイしていた時期に住まいとしたホテル。このバーの一角でよく食事をとっていたという場所だ。
さて、先日ここのチーフバーマンが上梓したカクテルの本の発表会があった。名門ホテルのチーフバーマンというと、酸いも甘いも噛み分けた熟年の紳士を想像するが、期待を美しく裏切って登場したのは、紅顔の…と形容したいくらいの青年。2011年に20代半ばという若さで初のMOFバーマンになったMaxime HOERTH(マキシム・ウート)さんだ。
ところで、MOF(Meilleurs Ouvriers de France)「フランス最優秀職人章」と訳されるこの称号は、おもに手仕事の専門分野における最高技術者たちに授与されるもので、料理人をはじめ、パティシエ、パン職人、木工、金工、石工、写真、理容など、200あまりの職業にわたる。バーマンは、2011年のコンクールから初めて項目に加わり、最初の受章者2人のうちのひとりがマキシムさんだ。
「みんなが最新の小説を買うように、世界の反対側にいるバーマンの本がでればすぐに手に入れる。わたしが枕元に置くのは小説や新聞ではなくて、バーボンやジンの本。それが大好きです」
パッションがそのまま職業になった。彼の言葉からはそのストレートさが伝わってくる。
アルザスはストラスブールで生まれ。内気で好奇心旺盛だった少年がバーマンという仕事に魅入られたのは7〜8歳のとき。冬のバカンスを家族で過ごしたホテルでの体験がもとになっている。
「スキーリゾートの普通のホテルで、外から疲れて戻ってくるとバーで水を一杯頼んだものです。隠れ家のようなバーとは違って、オープンでたくさんの人の出入りがある場所でしたらから、子どもでも問題なく入れた。バーのスタッフはみんな親切で、僕のような子どもでもちゃんともてなしてくれました。お金を払わないお客なのにね。そしてグラスのマドラーなどをその思い出にとっておいたりしたものです。」
バーマンに憧れるというと、シェーカーを振るジェスチャーなどを思い浮かべるが、マキシム少年にはその印象は薄く、むしろ彼らの心遣いに魅せられたことが、この職業へ進むきっかけになったという。
学校の成績は優秀だったが、高校は地元のホテル・レストラン専門学校を選択。フランスで飲酒が認められる18歳を待って、バーマンのキャリアをスタートさせている。自国はもとよりヨーロッパ各国を渡り歩き、ルクセンブルグの「ロワイヤルホテル」では女性チーフの薫陶を受けた。
このほど上梓された本をめくると、さわやかな空気感や柔和な雰囲気がまずは印象的。女性カメラマンチームが引き出した“ピュアなスタイル”は、最初のボスが女性だったことにもおそらく関係しているとマキシムさん本人は分析する。繊細なグラスに注がれたカクテルという名の数々のクリエーションは、「ブリストル」の壁や大理石、テキスタイルや家具のマチエールを背景になんとも美しいシーンとなって展開している。
マキシムさんを筆頭にした「ブリストル」のバーマン8人によるそれら80のレシピの集大成のなかに、日本を想わせるカクテルが2つある。
「Asatsuyu」と「Yokosso Sencha」。
「Yokosso Sencha」は、マキシムさんに次いでことしMOFを獲得したアレクシさんが、ニッカウィスキーのコンクールのために創作したレシピ。「山崎」と煎茶、きゅうり、ミントが素材になっている。
「『ニッカ』の創始者はスコットランド人女性と結婚しましたよね。その日本とスコットランドのマリアージュから発想したものです。お茶と日本のウィスキー、それにきゅうりを組み合わせています。きゅうりはフィンガーサンドイッチなどにも代表されるイギリス、スコットランドを感じさせる素材です」
もうひとつの「Asatsuyu」は、日本酒にあらかじめレモングラスをミックスしたものがベース。柚子の汁が隠し味になり、仕上げには小さなシソの葉が添えてある。
「『朝露』というネーミングがすでにとてもポエティックなイメージ。さわやかさ、アジアの風を感じさせてくれます。SAKE(酒)はフランスにもだいぶ浸透してきて、SAKEとフランス料理のマリアージュが試みられたりもしています。ただ、わたしたちヨーロッパ人はワイン、ビールの文化が根強く、なかなかそのレベルでSAKEの本質、素晴らしさを賞味できるまでの舌にはなっていないというのが現状です。ですから、SAKEをそのまま使うのではなく、ヨーロッパ的な解釈で、ヨーロッパの人々に好まれる味のカクテルとしてみました」
本の発表会では、残念ながらこのカクテルがお披露目されることはなかったのだが、なんとも興味をそそられるクリエーションである。
そもそもカクテルの文化は19世紀のアメリカで始まったものだそうだが、フランスのバーならではの“フレンチタッチ”がここにはあるとマキシムさんは言う。
「フレッシュな食材に敏感なことと味の探求。フランス料理の世界に通じるものがわたしたちの作るカクテルには表れていると思います。プレゼンテーションや色もそうです。それと、いまは日本の仕事にもかなりインスパイヤーされているんです。動作の美しさ、いわゆる“KATA(型)”ですね。それとテクニック、完璧さ。また、グラスのカットなども素晴らしいし、バーの道具も日本製のものをかなり使っています。シェーカーも昔は銀のコンチネンタスタイルでしたけれども、日本製のかなりレベルの高いものがあります」
そう語るマキシムさん、じつは2016年には初めての来日が実現する予定で、それをとても楽しみにしている。
「昔からずっと行きたいと思っていた国です。妻がコロンビア出身なので、遠い外国でも南米は毎年のように行っているのですが、日本は初めて。友人のバーマンたちに会うのも楽しみだし、ガストロノミー、お寺も都市も興味津々です。日本人とはどんな人たちなのか、どんな嗜好や味覚をもっているのかを知りたいと思います」
そして旅のあとにはかならずや、日本を彼の流儀で解釈したオリジナルカクテルを見せてくれるに違いない。