EXIT兼近、Xアカウント消去宣言 世の中に問いかけるXの社会的価値と存在意義
お笑いコンビ・EXITの兼近大樹さんが、フォロワー71万人の自身のXアカウント(@kanechi_monster)を6月11日のトークライブをもって消去することを10日深夜にポストした。そこには、Xが社会の器としての位置づけにあることに対する疑問の投げかけがあるのではないだろうか。
社会的ポジションを確立しているX
Xといえば、良くも悪くもさまざまな社会トピックを生み出している。そこでバズったポストは100万表示を軽く超え、ネットメディアはニュース記事として取り上げる。それが社会的出来事としてマスメディアに波及することも少なくない。
一般企業をはじめ、多くの自治体や公的機関、著名人も公式アカウントを設けて当たり前のようにそこから情報発信をしている。広告代理店やPR会社は、そこでバズることを最優先にしたプロモーションプランを組み立て、あの手この手で情報を拡散させようと画策している。
いつの間にかXは社会の器としての位置づけになり、経済活動におけるひとつの重要なポジションにさえ置かれるようになっている。一方、些細なことからネガティブな炎上も頻繁に起こるため、そこへの接し方は細心の注意を払っていることだろう。
ポジティブとネガティブ両方の側面を持つ
たしかにXは、災害時などの情報伝達で有益であったり、困っている市井の人たちの発信を多くの人々に伝えることで、人を救ったり、誰かの役に立ったりしているプラスの側面はある。
しかし、それ以上に負の側面が大きいように感じる人も少なくないのではないだろうか。そもそもXは匿名のSNSであり、ネット空間のなかでも、顔のない悪意と誹謗中傷の吹き溜まりのような場所という認識の人も多いだろう。
メディアでは取り上げられにくい小さな事故や事件、悪事が世間に伝わりやすくなる一方、インプレッション稼ぎの偽情報や真偽の定かでないポストがはびこり、おもしろおかしく揶揄するような言葉の連鎖が増殖していく。
最近の星野源さんの件や、昨年からのテレビドラマ『セクシー田中さん』のときもそうだが、何らかのトラブルや諍いのような出来事から、社会全体の悪意が個人へ向けられることも起こっており、それによって社会生活に支障をきたすばかりか、人の死につながるような事態も発生している。
そんな制御不能かつ正義が不明確な匿名の世界が、社会の器であっていいのか。兼近さんのアカウント消去は社会にそれを問いかけているのではないだろうか。
われわれがすぐにできることを示した兼近さん
星野源さんの件のあと、根拠のない噂を拡散するSNSの弊害が多くのメディアで取り上げられ、暴露系インフルエンサーが槍玉に上がり、Xのポストをネットニュースにするメディアへの警鐘もあった。
そうした問題提起に対して、兼近さんは行動で答えた。
社会がXを無いものとして扱えばいいと。
かつてネット掲示板が登場し、2ちゃんねるが盛り上がっていたとき、そのスレッドもレスもニュースにするマスメディアはなかった。もちろんいまの時代、XほかSNSはコアなネットユーザーだけでなく一般層が利用し、誰もが日頃から目にするメディアになっている。しかし、Xの本質は責任が紐づかない匿名の発信が溢れかえる無法地帯に近い。そこには悪意が渦巻いている。
兼近さんはXアカウント消去宣言をした理由を「人とは思えない嫌なアカウントが増えすぎているので!笑」としている。その言葉に共感するわれわれが社会を動かすことで、誹謗中傷に苦しむ人を減らし、少しでも世の中を変えることができるかもしれない。
よく言われるプラットフォーム側の対応を期待せずとも、われわれがすぐにできることがある。
良識ある企業や団体などが公式アカウントを削除し、撤退すること。
そこからはじまっていくのではないだろうか。こうした動きが連鎖的に広まっていくことは、社会としてまっとうな方向に向かっている気がする。