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ワイセツ事件で逮捕された北原みのりさんが香山リカさんとの対談で語ったこと

篠田博之月刊『創』編集長

昨年2度にわたる逮捕という警察のひどい仕打ちを受けたアーティスト「ろくでなし子」さんのワイセツ裁判の初公判が4月15日に開かれた。弁護側は彼女の作品がワイセツにはあたらないし、そもそも刑法のワイセツ規定そのものが憲法違反だという主張だ。初公判をめぐってはマスコミが比較的大きな報道を行った。こんなふうにワイセツそのものを正面から争う裁判は、この間、あまりなかったし、表現者であるろくでなし子さんが積極的にメディアに登場して自分の主張を訴えようとしているからだろう。

さて、今後本格的論戦が展開されるその裁判で、気になるのが、2度目の逮捕の時に同時に逮捕された作家でありフェミニストである北原みのりさんとの関係だ。ろくでなし子さんは最初の逮捕の時、北原さんの女性向けのアダルトショップでアルバイトをやっていたのだが、そのショップに彼女の作品が置かれていたことが2度目の逮捕のワイセツ物陳列という容疑事実とされた。

最初の逮捕で釈放された後、ろくでなし子さんは警察批判を展開し、全面的に争う意思を表明していたから、2度目の逮捕はそれに対する威嚇、ないしみせしめだったことは明らかだ。この逮捕自体が相当乱暴だが、同時に警察は、その作品を置いていた店の経営者である北原さんも逮捕するという措置に踏み切ったのだった。ほとんど無茶苦茶といえる乱暴な逮捕だった。

北原さんは、逮捕後の闘い方として、ろくでなし子さんと立場を異にすることにしたのだが、このあたりは微妙な問題で、実際、裁判においても、取調べである程度容疑を認めた北原さんの調書を検察側が証拠申請したのだが、ろくでなし子さんの弁護側がそれを不同意としている。同じく逮捕された2人の関係は今後、裁判にも微妙な影を落とす可能性がある。

北原さんは、自身が今回の事件についてどう考えているかを、発売中の月刊『創』5・6月号で、精神科医の香山リカさんとの対談で語っている。今回のろくでなし子さんの初公判をめぐる報道で、北原さんについてはほとんど言及されていないのだが、いずれ議論になるのは必至なので、ここでその香山さんとの対談を紹介しておこう。これは運動論とも関わる、大事な問題を提起してもいるからだ。ここに紹介するのは対談のごく一部だが、興味のある人はぜひ全文を読んでほしい。

香山 3Dプリンターで女性器のデータを頒布した「わいせつ電磁的記録頒布」の罪状で、ろくでなし子さんが昨年7月12日に逮捕されて、18日に釈放されたのですが、その後12月にまた同じ罪でろくでなし子さんが逮捕された。その時に北原さんも一緒に逮捕されたわけですね。経営していらっしゃった、女性のためのショップ「ラブ・ピース・クラブ」でろくでなし子さんの作品を展示していたという容疑でしたね。

北原 7月の最初の逮捕のとき、彼女の関係先に一斉にガサが入ったんです。ろくでなし子さんは私の会社でアルバイトをしていたので警察が来て、「一切合財彼女に関係するものを出しなさい」と。メールのやり取り、彼女の名前が入っている様々な書類関係、給与明細。それからショールームに置いていた彼女の作品19個を全て持っていった。

その時に押収された物が、わいせつ物陳列にあたるとして、12月に私が逮捕された。私からすれば忘れた頃にやってきて、「えっ、何?」というのが正直なところです。

香山 7月のろくでなし子さんの逮捕から、12月の再逮捕までの間に、なし子さんたちは警察の捜査を激しく批判し、『週刊金曜日』に逮捕の経緯をマンガで連載していたわけですね。その間、みのりさんと彼女の関係はどうだったのですか?アルバイトは終了していたんですか。

北原 彼女の逮捕から1カ月後くらいにアルバイトは辞められました。それからは連絡は取っていなかったです。

香山 警察に写真を撮られた時は、彼女の作品を陳列してたんですね。それは反警察の意思表示でなく、商品として?

北原 商品でも反警察でもないですよ。ただ、オブジェとして置いてました。女性器を象った石膏の上に、いろいろデコレーションしてあって、かわいいんですよ。

結局、置いてあった19個の作品のうち実際に「わいせつ」だと認定されたのは3個だけでした。しかも、その3個のうち彼女の作品は一つで、あとの2個は他の女性が作ったものでした。デコレーションが少なくて、むき出しの女性器に見えないこともない。警察は、アートかわいせつかなんて難しい判断はしないのです。リアルな性器に見えるかどうか、という視点でわいせつを決めてます。

香山 7月の逮捕については、みのりさんとしても不当だ、と思っていたのですね。

北原 もちろん不当だし、いきなりの逮捕だったから、こんなことあっていいのかと調べたところ、2013年に男性器の写った写真集を販売したとして写真家のレスリー・キーさんもいきなり逮捕されていた。その時は印刷会社まで逮捕されていました。これまで書類送検ですんでいたり、事前に注意勧告があった上で逮捕されていた案件が、今、突然逮捕するような状況になっているんだなと。

香山 警告みたいなものもなかった?

北原 7月のろくでなし子さんの時は、何もなかったようです。3Dでピストルを作った人がいたという事件もありましたけど、警察は3Dプリンター規制のため、動いていたのではないでしょうか。

香山 みのりさんはろくでなし子さんと、いわゆる共闘はしませんでしたが、私もちょっと意外でした。

北原 なし子さんの最初の逮捕の時、これは女性差別の問題として声をあげるべきなのかなと思っていましたが、弁護団の方針として女性問題やフェミニズムの色は薄めたいということだったので、距離をとっていました。

そもそも3Dデータ頒布に私は関わっていないし、なし子さんと思想を共にしてアート活動を一緒にやっていたわけでもない。遠いところから応援しているつもりでした。

その後、警察の呼び出しに応じないまま、反権力キャンペーンを繰り広げていく方針を弁護団がとったので、厳しい闘いを強いているなぁ、と正直ハラハラしていました。でもまさか、自分が巻き込まれるとは思ってもいなかった。

私は1996年からアダルトグッズショップをやっていますが、セックスの仕事はそれだけで反社会的と見なされるものです。シンプルに反権力で拳をあげるのは難しい。例えば私、12月3日に逮捕されたんですが、たまたま12月5日は風営法の講習会の日だったんです。その講習会は、ただビデオを観るだけなんですが、1年に1回それに行くか行かないかで、翌年の営業のしやすさが全く変わってしまう。湾岸署に閉じ込められていたけれど、「所轄の警察に連れて行って!」って叫びたかったですよ。(以下略)

香山 みのりさんは文筆活動や評論活動もしていて、そちらの場では権力を批判したりする。世間では、女性のためのアダルトショップもそういった表現の一つなのかなと見られる部分もあると思います。警察が決める「わいせつ」に対して、お店を通してギリギリのところで闘っているイメージ。だから言論活動と同じスタンスでお店をやっているのかな、と思う人もいるでしょう。そうではない?

北原 言論活動はもちろん個人として自由にやってきましたが、仕事やビジネスでは守らなくてはいけない規制がある。特にセックス産業は警察の規制が厳しい業種です。これまでも警察に何度か指導を受けているし、警察との関わりは他の業種よりも、たぶん濃い。だけど、どんなに用心していても、やられる時はやられるんだなぁ、と悔しいです。でも、そういう悔しさを味わいながら、20年近く仕事してきたんだと思う。事務所を借りるのも一苦労、銀行はお金を貸してくれない、もの凄い偏見にさらされる。それでも続けてきたのは、女が女の欲望を否定せずに安心して楽しめる場がほしかったから。私には、お店を継続して守ることも、闘いでした。(以下逮捕の経緯が語られるが省略)

香山 その理不尽な状況に対してみのりさんが訴えていくんじゃないか、なし子さんと一緒に闘っていくんじゃないかと勝手にイメージした人もいると思う。そういうメールも来たでしょ? 負けないで、とか応援してます、とか。

北原 がっかりしたというのもあります。

香山 がっかりしたというのは、何で?

北原 その人の理想と私の行動が違うからでしょう。

私が理不尽に感じたのは、警察に対してだけでなく、警察発表のままに報じるマスコミや、私とろくでなし子さんを同一化してまつりあげる人たちや、「性器はわいせつじゃない」と言わなければいけない状況とか、再逮捕を招いた闘い方とか……色々なことに対してで、考えれば考えるほど辛かったです。

闘いというのは、拳をあげて反権力をアピールし、たとえ負けるとわかっていても死ぬまで闘うというものと、どこかで思っている人が多いんだなぁと感じました。

あとは、やはり何か運動体の象徴になるのは、避けたかったです。

香山 私も同じ立場だったらそう思いそうなんだけど、そのあたり、もう少し教えていただけますか?

北原 象徴になったら、自分の意思で降りられなくなるし、闘いを強いられるようになるから。逮捕されてすぐ、村木弁護士が「どうしたいですか?」って訊いてくれた時、私は「騒いでほしくない」って答えたんです。静かな生活を取り戻したい、だから周りも騒がないで下さい、と。

今回、私に「声明文を出したいけどどうですか」と打診してくれた運動体には、そう説明しました。でも、私の意思を確認することなく、しかも事実と違うことを書いて「表現の自由を守れ」と謳い上げちゃうところといろいろありました。そういう声明文を出されると、私は彼らの運動の象徴になるでしょう。そこで私が「騒がないで」と言うと、私がはしごを外したように感じられるでしょう。そもそもこれは私個人の問題ではなく、社会的な問題だから、私の意思など聞かなくてもいい、という意見もある。そういうところに自分が組み込まれてしまった。静かな優しい生活を、突然権力に奪われた上に、自分の言葉で語れない状況になり、辛かったですね。

香山 どうなんでしょうね。私ももしかすると無神経に言ってしまったかもしれない。自分が主張したいことの代行が現れたということでそこに乗ってしまう。利用する気持ちはないんだけど、自分の言いたいことを実現するために知らない間に利用してしまってる。意図的でなくてもね。そういうものがあると「裏切られた」という気持ちになるんですね。

北原 なると思うし、運動ってどこかそういう面がある。闘い方ってどういうふうにすればいいのか考えさせられました。私自身だって、自分の主張をするのに「被害者」を必要としていた面があるのではないか、など、自分の問題として考えさせられています。

香山 そうですよね。ただ、堅いことを言うと北原さんのことは別として、社会的公正性を実現するために表現の自由を損ねるとか、何でもかんでもわいせつだと決めつけるのは、私にとって気持ちが悪い。だから北原さんや被害を受けているマイノリティーを別として、私は今は迷惑も被害も受けていないんだけど、モノを言うことはあると思うんですよね。

北原 わかります、そうですよ。

香山 だから、今ヘイトスピーチに反対しているカウンターの人たちはそういうスタンスじゃないですか。別に在日のためにやってない。単純にそれはおかしいとか気持ち悪いと思うから、在特会の人に言っているんだという。

でも、「知らない間に当事者に迷惑をかけている」と嫌がらせでよく言われます。これは李信恵さんもよく言われたらしい。「在日は迷惑してますよ。あなたが騒ぎ立てるから」とか。私も今アイヌの問題に関わっていて嫌がらせでよく言われるのが「アイヌもやめてほしいと言っています」ということです。そう言うと一番傷つくと思うから言ってると思うんです。

だからそこはすごく微妙です。原発反対運動になると、「福島で今でも10万人以上が避難している」と言ったりすると、福島の人から「もうあんまり騒がないでほしい」みたいな反応もある。「私たちは生活しているんだから、『福島は住めない土地で、それにこんなに住んでいる人がいる』と言われると逆にすごく傷ついちゃうから、あまり福島や自分たちを使って反原発運動をしないでほしい」と言われたことがあって、ショックでした。

北原 私は自分の事件が、正義の名のもとで「消費」されるのが、苦痛でした。事件を消費も利用もせず、事実をまず自分の目で知ろうとし、自分の問題として共に考え、本当の意味で闘ってくれる人は、貴重だし、私もそういうふうに闘いたいと思いました。

そもそも一番傷んでいる当事者は闘えないですよね。これ以上殺されないようにする、というのが一番の願い。それなのに闘うことや、闘い方まで強いられ、さらに言葉を奪われる。今回こういうことになって棄民ってこういうことだなと思ったけれども、「社会から捨てられた」という絶望を味わったとき、「外で何をやっても言ってもいい。でも警察に捕まったらできることは一つだよ。殺されるな」と言ってくれたのが辛淑玉さんでした。当事者として、そしてまた当事者を支える人として、本気で闘ってきた人にしか言えない言葉だと思いました。

香山 当事者に「お前は闘うべきだよ」と言うのは本当に違う。未だに反差別を攻撃する人は、「そんなに嫌なら本人が言うべきだ。部外者が言うことじゃない」って言うんだけど、当事者が人前に出て記者会見をしろとかTVで喋るというのは…。先程からみのりさんがお話しするように当事者は二重三重に恐れたり傷ついたりしている。

北原 国として、というか文化として根底に人権感覚がない。運動体としても大きな言葉で小さな言葉を潰してしまうこともありますよね。生きてる、生活することの重みを感じられない人たちの運動は抑圧として働く。人権って安心して息を吸えるかとか、ご飯を食べられるとか。そんな当たり前の前提を大したことないと思って、前科で「箔が付いたじゃん」みたいな言葉は本当に不愉快で。全然箔だなんて思ってないし、こんなの体験したくなかった。

香山 本人は励ますつもりで言っているわけですね。

北原 男の人で左翼系の人が言いがちですね。「たった3日で何、言ってるの?」とか。

香山 マッチョだね。軍人が「何機撃ち落とした」みたいな。

北原 恐怖を感じるのって大切だと思います。権力に対して「屈しない」ということが闘いだとしたら、一人の市民だったらそんなの死ぬしかない。そんなとこで闘えということを強いるなんて。でも、そういうことを強いるような状況がある。そもそも警察のシステムとして、認めないと出てこれない。これが一番の問題ですよね。人生を無茶苦茶にされてしまう。(以下略)

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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