追悼・門田博光さん 対極的な練習法の落合博満が明らかにしたホームランバッターの極意
プロ野球歴代3位の通算567本塁打を放った門田博光さんが、1月23日に亡くなっていたことを親族が公表した。享年74歳。南海、オリックス、福岡ダイエーと渡り歩いた23年間の現役生活では、歴代3位の通算1678打点、歴代4位の通算2566安打もマークし、2006年には野球殿堂入りを果たした偉大な野球人だ。
奈良県出身で天理高へ進み、3年夏には四番センターを担い、エースの外山義明(元・南海など)を擁して甲子園へ出場する。卒業後は、外山とともに社会人のクラレ岡山へ入社。同期にはPL学園高の得津高宏(元・ロッテ)がいた。クラレ岡山は、門田たちが入社した1966年から7年連続で都市対抗へ出場する強豪で、得津はこの年の一次ドラフト6位で東京(現・千葉ロッテ)へ入団。門田も3年目の1968年に阪急(現・オリックス)からドラフト12位で指名されたが、指名順位が低く、会社からの強い要請もあったことで残留し、翌1969年のドラフト2位で南海入りする。
身長170cmと小柄なものの無類のパンチ力を備え、現代なら吉田正尚(現ボストン・レッドソックス)のようなフルスイングを貫く。2年目に120打点で初めてタイトルを手にすると、南海打線の中心で活躍を続けた。
そんな門田さんを取材した際、大昔の笑い話として野村克也さんとのエピソードを話してくれた。門田さんがルーキーだった1970年、この年から選手兼任で監督に就いた野村さんは、巨人とのオープン戦の際に王 貞治(現・福岡ソフトバンク会長)と門田さんを対面させたという。
「野村監督と王さんは、打席に立った時にホームランを狙っているのかと互いに聞き、二人とも狙っていないと言った。そして、王さんはヒットの延長がホームランになるんだよ、と言うわけ。王さんのことは尊敬しているけれど、この言葉だけは絶対に信じられないね」
ホームランは、狙い続けなければ打てない。自分のように体が小さい選手はなおさら、強くバットを振らなければホームランバッターにはなれないのだと、門田さんは力説した。
世界の本塁打王が明かした真実
「そう、落合(博満)だって全打席でホームランを狙っていると言っているじゃない」
門田さんがそう言った落合も、王の「ヒットの延長がホームラン」には異議を唱えていた。
「本当にヒットを狙っているなら、王シフト(野手が極端に右に寄る守備陣形)なんだからレフトへチョコンと打てばヒットになる。それなのに、スタンドまで飛ばせば、どこに守っていても関係ない、とライトへホームランを打っていたんだから。王さんだって、ホームランを狙っていたのは間違いないよ」
ある時、現役を退いて評論家活動をしていた落合が、福岡ダイエーのキャンプ地だった高知で夕食を摂ろうと小料理屋の暖簾をくぐった。すると、カウンター席で王監督が食事をしていた。挨拶を交わし、別々に食事をしていたのだが、店内が王と落合のグループだけになると、王の「うちのキャンプはどうだった」という言葉をきっかけに野球談議が始まる。そうして、酔いも手伝ったか、落合が単刀直入に切り出した。
「王さん、ヒットの延長がホームランなんてことはないですよね」
店内が静寂に包まれる。
「あぁ。ホームランは狙わなきゃ打てないよな」
王は、あまりにもあっさりと認めてしまった。だが、ヒットの延長がホームランも嘘ではないのだ。技術的に言えば、殊に身長170cm台の選手ならホームランは狙わなければ打てない。だが、高校生くらいまでの少年がホームランを打てるコツを身につけようとしたら、ヒットの延長がホームランになるという意識でスイングを固めていかなければいけない。つまり、ヒットの延長がホームランと意識して固めたスイングで、ホームランを狙うのだ。プロ野球界のスーパースターとして、常に次世代の視線を意識して発言していたという王ならではの表現なのだと、落合も納得していたのを思い出す。
落合は、門田さんについてこんな話を聞かせてくれた。
「私は、緩いボールを打ってから試合に臨んでいた。門田さんは正反対で、打撃投手を少し前に出し、思い切り投げさせたボールを打っていた。そういう感性の違いも面白いよね」
門田さんのご冥福を心からお祈りしたい。