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劇場の上映ストップに緊急手術、2度の危機を乗り越えて再公開へ。孤高の作家の第一歩は?

水上賢治映画ライター
<孤高の映画作家 坪川拓史全作品>が全国公開中の坪川拓史監督  筆者撮影

 コスパやタイパが否応なく求められるいまの時代に抗う。そのような時流に逆行する気持ちはおそらく本人にはさらさらない。

 ただ、場合によっては作品が完成を迎えるまで9年。ここまで手間暇を惜しむことなく、細部にわたってこだわり、なにか目覚める瞬間を待つように熟成させて、ようやく1本の映画を生み出す、彼のような映画作家はほかには見当たらない。

 坪川拓史。本人が意図したかどうかは定かではないが、彼はじっくりとじっくりと時間をかけて、しっかり自身の心血を注いで映画をここまで作り続けてきた。

 なにも時間をかければいいものではない。

 だが、長き年月を経て、時に中断やトラブルに耐えて生まれた彼の作品は、映像のもつ「美」と俳優本人の「人間力」が刻まれ、不思議な命が宿る。

 現在全国順次公開中の<孤高の映画作家 坪川拓史全作品>は、タイトル通り、坪川が制作してきた全作品を網羅した特集上映だ。

 だが、彼自身の映画作りと同様に、この特集上映自体もいくつかの危機を乗り越え、数年という時間を経て全国公開を迎えることになった。

 ようやく念願だった特集上映にこぎつけた坪川監督に訊く。全七回/第二回

「いや、まだ劇場で未公開の映画があるんですよ」のひと言が出発点

 前回(第一回はこちら)、今回の全作品上映が実は2年前に地元北海道からスタートしながら頓挫してしまい、ようやく今年に入って再始動した経緯を語ってくれた坪川監督。

 話は少し戻るが、もともと今回の全作品上映はどのような経緯で始まったのだろうか?

「それこそ、これは以前のサツゲキさんのおかげといいますか。

 僕が北海道出身で在住ということもあってか、サツゲキさんとはつながりをもつことができていたんです。

 その流れで、今回上映されている『美式(うつくしき)天然』と『アリア』のことなんですけど、『いや、まだ劇場で未公開の映画があるんですよ』といったお話をしたんですね。

 それであるとき、『じゃあ、うちでやりましょう』とおっしゃってくれて、話が進んでいったんです。

 ということでまず札幌のサツゲキさんが決まって、次に京都の出町座さんも決まって。東京と横浜も話が進んでいった次第で……。

 ここまでは順調だったんですけどね(苦笑)」

素晴らしい役者さんの素晴らしい演技をみなさんに劇場でみてほしかった

 訊くとこのころ、自身の全作品上映は頭のどこかで考えていたという。

「そうですね。

 ちょうど『モルエラニの霧の中』の上映が一段落ついたころに、意識したというか。

 まず、長編の1本目『美式(うつくしき)天然』と二作目の『アリア』は映画祭では上映されている。

 ただ、劇場公開はこれまでできないできてしまっていました。

 どちらもフィルム撮影で。

 今回の全作品上映のためにDCPにしましたけど、それまではしていなかった。

 ですから、ここ何年間に関しては、現実的に上映できる劇場が限られてしまうという問題もありました。

 で、僕の映画をみてくださっている方はわかると思うのですが、小松政夫さんや坂本長利さんをはじめ多くのベテランの役者さんたちに出演していただいている。

 仕方がないことではあるのですが、残念なことにそのベテランの役者さんたちで鬼籍に入られる方が出てきてしまいました。

 この現実を前にして、もうお待たせしていてはいけないと思ったといいますか。

 かかわってくれた方々がご存命のうちに、とりわけ『美式(うつくしき)天然』と『アリア』はきちんと劇場公開をして、みなさんに届けたいと思ったんです。

 素晴らしい役者さんの素晴らしい演技をみなさんに劇場でみてほしかった。

 そういう思いがあって、今回の全作品上映はなるべく早く実現できればと考えていたところがありました。

 でも、前回、お話をしたように頓挫してしまい、2年の空白期間ができてしまい……。

 再スタートとなった今年4月のk’s cinemaでの上映も、ほんとうは坂本長利さんが舞台挨拶に立ってくださることになっていました。

 でも、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、ほんとうに今回の全作品の上映が再スタートする直前に、残念ながらお亡くなりになられました。

 亡くなられるほんの1ヶ月半前に『新宿か、行くよ行く』とおっしゃっていた声が忘れられないです」

串田和美主宰の劇団『オンシアター自由劇場』の演劇に感銘を受けて

 このような思いもあって、全作品上映の実現へ向けて動き、今回、2年のブランクを乗り越えて、再スタートを切ることになった。

 というところで、ここからは全作品について話を聞くとともに、これまでのキャリアを振り返っていきたい。

 坪川監督のキャリアはちょっとユニーク。もともと俳優としてこの業界に飛び込んでいる。

「そうですね。でも、もともと俳優を目指していたわけではないんです。

 18歳のときに東京の専門学校に通うために、北海道の長万部から上京したんですけど……。

 いろいろとあって学校を中退することになったんです。

 それで退学届けを提出しにいったときに、不憫に思われたのか理由は定かではないんですけど、対応してくださった事務局の方が『餞別代わり』といって芝居のチケットをくれたんです。

 無料で予定もないから、見に行ったんです。それが串田和美さんが主宰の劇団『オンシアター自由劇場』の公演でした。

 生まれてこの方、芝居など見たことがない。この公演が初めて生で見る演劇でした。

 そして、見たら感動してしまって、芝居のしの字も知らないのに、自分も『これをやりたい』と思ってしまった。

 調べてみると翌年に劇団員の俳優のオーディションがあると。それで受けることに決心したんです」

振り返ると、実は小学生のときに劇をやったことがあった

 それまでまったく演劇に興味はなかったのだろうか?

「それがないこともなかったといいますか。

 もう何も知らないで真似事なんですけど、小学校五年生のときに劇団を主宰してたことがあったんですよ。

 演劇をみたことがないのに、脚本らしきものを自分で書いて、自分で演出らしきものをつけて、クラスの男子を集めて劇をやったことがあるんです。

 当時、『おしん』が大ブームになっていて。

 『おしん』に『赤ずきんちゃん』を足した話にして、そこに『3匹の子豚』や『七匹の子やぎ』などの童話に登場する色々なオオカミが絡んでくるといったもので。小学校五年生が考えたとしてはかなりシュール(苦笑)。しかも音楽劇に仕立てていて、最後はみんなで歌って踊って終わるみたいな構成でした。

 演劇部もなかったので、あくまで自発的な集まりだったんですが、クリスマス会とお楽しみ会で披露することができて、担任の先生と教頭先生だけは『天才だ』と絶賛してくれたんですけど、クラスメイトたちは『ポカ~ン』と言った感じであっけにとられてましたね(笑)。

 でも、それで芝居に目覚めたことはなくて。その後は、芝居となんの接点もないままで。

 さきほどお話ししたように、ただ券をもらってみた『オンシアター自由劇場』の芝居が、生まれて初めての演劇体験でした」

(※第三回に続く)

【<孤高の映画作家 坪川拓史全作品>坪川拓史監督インタビュー第一回】

<孤高の映画作家 坪川拓史全作品>ポスタービジュアル
<孤高の映画作家 坪川拓史全作品>ポスタービジュアル

<孤高の映画作家 坪川拓史全作品>

『美式天然』『アリア』『ハーメルン』『モルエラニの霧の中』4作品を上映

秋田・御成座にて8月2日(金)まで公開中。以後全国順次公開予定

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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