血糊と火薬が全開、暴力で解決。男の映画『オオカミ狩り』と『ハント』
『オオカミ狩り』は血糊の量ナンバー1、『ハント』は火薬の量ナンバー1。韓国映画の勢いに圧倒されたシッチェス映画祭だった。
日本と韓国は正反対の方向へ進んでいるようだ。
日本は小さな、親密なお話へ向かい、韓国はスケールの大きなお話へ向かう(どちらが良いとか悪いとかではなく、あくまで作品の出来次第)。
その韓国の方向性がよく表れていたのが、『オオカミ狩り』と『ハント』だ。
『オオカミ狩り』は日本公開中――オフィシャルサイトはここ――。『ハント』も同じくらい面白いので、いずれ公開されるだろう。
■卑怯なバトルロイヤル。『オオカミ狩り』
『オオカミ狩り』は、「誰が一番強いか」というお話である。
凶悪犯罪者たちをタンカーに山ほど詰め込んで何も起きないわけがない。で、その期待通りになる。
無法地帯で無秩序状態。暴力が唯一の解決法である。鉄拳を使い、ナイフを使い、拳銃を使い、マシンガンを使い。とにかく相手を殺したら勝ちである。
しかも、単純な警察VS犯罪者の構図ではない。裏切りも内輪揉めもあるし一匹狼もいる。陰謀もあるし汚職もある。血わき肉躍るバトルロイヤルとなる。
殺し方にもルールはない。卑怯であることは安全な殺しとして、むしろ推奨される。背中にナイフを突き立ててもいいし、仲間ごと敵を串刺しにしてもいいし、仲間もろとも銃弾の雨を降らせても構わない。
サバイバルなのだから何でもありである。
■善や愛を排除した潔さが素晴らしい
必然的に善人は一人もいなくなる。
思いやりとか情とか道徳なんて、修羅場には邪魔。恋心なんて死因のナンバー1である。
美男、美女の俳優も出ている。だが、彼らが魅かれ合うなんて、ぬるい、暴力全能の世界観を壊す、お話のリズムを停滞させるものは一切排除されている。
そもそも、物語的に女性の役割は限定されている。知力が武力にカウントされない、殺すか殺されるかの世界。よって、パワーと残酷さで肉体面、精神面にハンディがある女性は、勝者とも主役ともなり得ないのだ。
この、暴力万能の男の世界の一貫具合が素晴らしい。
ならば、血だってドバドバ出ないと嘘だろう。顔も潰され、手や足も千切り取られないと嘘だろう。残酷さに目を逸らしたり、ボカしたりしたら暴力の名が泣くじゃないか。
公海上のタンカー内に出来上がったバトルロイヤルの巨大リングでの、暴力と血のジェットコースタードラマ。
政治的にはまったく正しくない。良識のある人からは眉をひそめられても当然である。だが、子供時代に『週刊少年ジャンプ』の対決ものでワクワクした感覚はこんな感じだった。
同じ男の暴力ものでも、例えばヤクザの抗争ものは大人のドラマだが、これは子供のドラマ。
良識や道徳を学ぶ前、あの頃に連れ戻してくれる作品である。
■国際諜報ものに名を借りた殴り合い。『ハント』
『ハント』は、「どっちが上か」というお話である。
主役の二人はライバル同士、国家安全企画部の国内チームのボスと海外チームのボス。上司から与えられた使命は「北のスパイの捕獲」なのだが、協力し合うつもりはさらさらない。ヒエラルキーの頂上を目指して、手柄立て競争、出世競争というのは極めて男らしい世界である。
あっちがオオカミ狩りならこっちは「スパイ狩り」だろうか。
こちらは暴力だけではなく、悪知恵でも競い合う。策略をめぐらせ、罠を掛け合う。知能戦でもあるわけだが、男らしく最後の解決手段は常に暴力である。殴り合い、銃を撃ち合い、車で轢き合い、それでも決着がつかなければ爆弾で吹っ飛ばす……。
つまり、一応、国際諜報戦を舞台にはしているものの、詰まるところはオス同士の意地の張り合い、マッチョ同士の喧嘩なのだ。
ただ、『オオカミ狩り』が直線的な暴力の暴走だったのに対し、『ハント』は蛇行しあっちこっちで方向転換する。
愛や情に多少流されもするのだが、二人は決してそれに溺れない。必要であれば女も部下も容赦なく切り捨てる。
ニヒルでハードボイルドな男たちである。
■予測可能な勧善懲悪では、ない
二人を善玉と悪玉に分けなかったのも良かった。
どっちもそこそこ善人で、そこそこ悪人である。暴力性でも道徳レベルでも互角。なので、勧善懲悪で勝者と敗者が決まってしまうことがなく、結末が予測不能である。
加えて、あちこちに予想を裏切るサプライズが用意されていて、リズムを落とさない工夫がなされている。
ジェットコースター的な急テンポでドラマが展開。息をもつかせない、という点では『オオカミ狩り』と共通だ。
インパクト描写のツールは、あっちが血なら、こっちは火薬である。見ている方は、ガーンとかドーンとか打撃音や衝撃音に出し抜けに襲われ続ける。
殴られ蹴られても、車が引っくり返っても、爆風に飛ばされても、二人ともなかなか致命傷を負わない。
そのタフガイぶりと、ケガをどんなに負っても顔だけはキレイ、というのには笑ったが、一種の劇画なのだから、それも当然である。
「男に生まれて良かった」と思える二作。ぜひ、みなさんも忘れていた闘争本能をたぎらせてほしい。
※写真提供はシッチェス・ファンタスティック映画祭