自殺者を出した暴力監督の呪縛から逃れ、ボクシングジムに通い始めた31歳
「楽しい!」
2024年6月8日、ロープを潜り、リングから外に出た折、谷豪紀(31)はそう言った。
現在、ソフトウエアエンジニアとして働く谷がスポーツで汗だくになるのは、久しぶりのことだった。両拳には、バンテージではなく軍手がはめられていた。
谷は大阪市立桜宮高校(現在は大阪府立)の卒業生である。2012年12月23日、同校に勤務する保健体育教師兼バスケットボール部監督だった小村基が、当時キャプテンだった17歳の少年を自殺に追い込んだ件は記憶に新しい。桜宮高校は、この事件で名を馳せた。谷は自死を選択せざるを得なかった少年の2学年上で、同じチームで汗を流した関係だ。
桜宮高校は、大阪府代表としてインターハイやウィンターカップなどの全国大会に出場していたが、小村は生徒たちを暴力で服従させる指導しか出来なかった。
また、死者を出しながらも、もはや過去のことだと認識しているのか、今年2月に「あの事件から既に10年が経過したのだから、指導者に戻せ」と、ライセンス再発行を申請している。その倫理観には呆れるしかない。
暴言・暴行を受け続けながら小村の下で高校バスケットボール部生活を終えた谷は、卒業後10年以上も、悪夢に魘されねばならなかった。当時の光景が夢に出てくるのだ。
好きだったバスケットボールを、もう一度やろうという気持ちにさえならなかった。そして谷は、小村が現場への復帰を希望している事実を耳にし、怒りに震える。
「亡くなった彼は、小村に対する抗議の意味で自殺を選択したんです。私自身、自由を奪われ、どう足掻いても報われない、支配されるだけの生活に苦しみ、高校2年の冬に家出を考えたことがありました。事件化しなければ、私たちの声が誰にも届かないと感じていましたから」
大学入学と同時に上京し、ソフトウエアの開発などに携わっている谷は、バスケットボールが好きだった気持ちを高校時代に封印した。そうしなければ、とても生きられなかったからだ。
およそ2ヵ月前、谷は関心があったボクシングをやってみた。体験入門後、即、入会手続きをとり、現在は週に3回のペースでジムに通っている。
「もう、楽しくて楽しくて。思い切って飛び込んで良かったです。中学生の頃、体の筋肉について自分なりに勉強して、その知識を高校生活で役立たせようと考えていました。でも、監督の顔色を窺いながら命じられた事をこなすだけの日々でしたから、何一つ生かせなかった。
今、ジムでは自分で考えて、反復練習が出来ます。パンチ一つ出すにしても、どうすれば体重が乗るかを意識しています。後ろ足がアクセルで、前足がブレーキみたいな感覚なんですよね。バスケと似ている部分もあって、ああ、自分はこういうことがやりたかったんだな、と今更ながら実感する日々です。
きっと、17歳で亡くなった彼も、こんな環境でバスケに打ち込みたかった筈ですよ…」
谷を迎え入れたワタナベジム・渡辺均会長は言う。
「自ら命を絶った少年も、谷くんも、言葉に出来ない程の辛い思いをしたことでしょう。『俺が勝たせるんだ!』『絶対に日本一になる!!』という気持ちは、指導者なら、誰もが持っていて当然です。
でも、選手がいるからこそ、自身の功績が称えられるという物事の本質を理解しなければいけない。小村の勘違いは甚だしいですね。ウチでは、是非、いい汗を流してほしい」
谷がジムを訪れるのは、平日の午前7時、週末の午前10時くらいである。この時間帯にプロ選手はあまりおらず、医者、新聞記者、会社経営者、歯医者、サラリーマンなどが思い思いにシャドウボクシングをし、サンドバッグを叩く。その際、練習生同士でミットを持ち合う。会員歴の長い人や、プロの卵から谷は様々なアドバイスをもらう。
「創意工夫しながら練習し、仲間と切磋琢磨する環境で、とても充実しています」
「楽しい」と繰り返す谷の笑顔が印象的だった。今、彼はボクシングを通じて、胸に刺さった無数のガラスの破片を取り除いているかに見える。こういう形で拳を磨き上げるスタイルがあってもいい。