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やまゆり園障害者殺傷事件から8年、植松聖死刑囚が獄中で書いたトランプ銃撃事件の感想とは…

篠田博之月刊『創』編集長
2024年7月26日、津久井やまゆり園正面にて(澤則雄さん撮影)

事件から8年を経た津久井やまゆり園

 2016年の障害者殺傷事件から8年。今年も7月26日には津久井やまゆり園に多くの人が追悼に訪れた。私はあいにく本業の月刊『創』(つくる)の校了とぶつかって7月26日には同園に足を運べなず、映像制作者の澤則雄さんに撮影してもらったのが、ここに掲げた写真だ。 

7月26日、津久井やまゆり園正面(澤則雄さん撮影)
7月26日、津久井やまゆり園正面(澤則雄さん撮影)

 障害者の問題に何らかの形で関わっている人にとっては、到底忘れることはできない事件だ。7月26日には大勢の人が献花に訪れるが、それ以外にも毎月、26日に訪れて手をあわせている人たちもいる。やまゆり園元職員の太田顕さんら「共に生きる社会を考える会」もそうした活動を続けており、7月26日にはやまゆり園の追悼式と別に「犠牲者を偲ぶ会」を同日午後、地元の千木良公民館で開催した。

 また翌27日にはやまゆり園元入所者家族も参加している「津久井やまゆり園事件を考え続ける会」がシンポジウムを開催。やまゆり園の元家族会会長である尾野剛志さんの講演などが行われた。私も一部発言の機会をいただいて、植松聖死刑囚の近況を話した。この会ともずっとおつきあいしているが、名称がいい。「津久井やまゆり園事件を考え続ける会」。一過性のものでなくずっと「考える続ける」ことが必要だとの思いがこめられたものだ。

 同じ27日には、岡山県でも福祉関係者らによる集会が開催されている。2019年に岡山県でやまゆり園事件について大きな集会が開催されたのだが(私もパネリストを務めた)、その人たちが今回、再び事件を振り返り障害者施設での虐待について議論したものだ。

 7月26日の前後にはNHKニュースを始め、新聞・テレビがこの事件のことを取り上げるが、それ以外にはマスコミがこの事件を取り上げる機会はかなり減った。事件は風化しつつあり、最近はやまゆり園事件といっても知らないという人も少なくないという。障害者差別や大規模施設のあり方など、多くの問題をこの社会に突き付けたあの事件からもう8年が経ってしまったわけだ。

 その日、私のYahoo!ニュースのサイトには結構な人がアクセスしていた。7・26に篠田が植松聖死刑囚に関する情報を何か発信するのではと期待したマスコミ関係者を含む人たちだと思うが、ご期待に沿えずに申し訳ない。ようやく今日になって余裕ができたので、彼の近況をお伝えしよう。

トランプ銃撃事件を植松死刑囚はどう受け止めたか

 まず私自身も一番興味があったのは、7月13日のトランプ銃撃事件を彼がどう受け止めたかということだ。周知のように事件を起こした2016年当時、彼はトランプに心酔し、あやかろうと髪を金髪に染めた。トランプは大統領選に出馬し、最初は泡沫扱いだったのが、最終的にはなんと大統領に当選。社会福祉的な政策を否定し、「強いアメリカ」を呼号したトランプに植松は心酔していた。

力によって現実を変えようという、最近世界的に広がる、ある種の排外主義は、右派政党の伸長という現象をもたらしている。そうした中で、銃撃されながらも拳を振り上げて強さを誇示したトランプはある種のシンボルになりつつある。そうしたなかで植松死刑囚が反応を示すのは当然と思われた。

 彼が最近描いたイラストをここに掲げよう。世界が飢えや貧困、戦争で混沌としている様子を描いたものだ(ちなみに彼は以前から戦争反対を唱えている)。そこに超人が救世主として現れ、力によって世界を変える、というのは、実は8年前に植松死刑囚があの凄惨な事件を起こした時の思いだった。彼はその救世主として自分が立ち上がらねばというある種の妄想から、障害者の殺傷という事件に踏み切り、裁判でも自身の行為を「革命」と表現していた。2020年に行われた裁判の判決では、植松元被告の犯行の背景を、彼の施設における体験と当時の世界情勢と指摘していた。トランプの影響について裁判所も認定したのだった。

植松死刑囚が最近描いたイラスト(本人提供)
植松死刑囚が最近描いたイラスト(本人提供)

植松死刑囚が書いたトランプ銃撃事件の感想

 さてそのトランプが再び大統領選に名乗りをあげ、しかも銃撃されても強さを誇示したという事件に彼が何を感じたのか。以下、紹介しよう。

植松死刑囚がトランプ銃撃事件について書いた手記(筆者撮影)
植松死刑囚がトランプ銃撃事件について書いた手記(筆者撮影)

《トランプ大統領があまりに輝いていたので、陰謀か神の導きか知りませんが、もう世界大統領ということでいいんじゃないですか? 世間知らずは民主主義の脅威と煽り立てますが、民主主義がどうゆうものかを知りません。名前が有名であるとか、学歴があるとかいうお面が顔に付いてしまうと、素直に物事を捉えて考えられなくなるようです。

“言論の自由”とはいいますが“間違いの自由”が広がりすぎているといいますか、やはり「民度がついていっていない」。

 一つ云いたいのは「パールハーバーを忘れない」といいましたが、本当か?と。アメリカは自分を攻撃する国ですから、戦争を仕向けるぐらい朝飯し前でしょう。悪いことをしたけど、延々と云うのは辞めてくれ、と。》

 トランプを「世界大統領に」と礼賛しているのは想定通りだが、ただ、この文章、全体としてわかりにくい。アメリカでは銃撃を跳ね返したトランプを神がかり的に礼賛する支持者が多いと言われるが、植松死刑囚のトーンはそれとは異なるようだ。以前、彼に自由に接見できた頃には、直接会ってあれこれ話をすることで彼が何を考えているか理解できたのだが、今は基本的に接見禁止なので、隔靴掻痒(かっかそうよう)の感は免れない。

「叶井俊太郎さんも殺されています!!」

 ついでながら、彼は月刊『創』を毎号読んでいるのだが、8月号の編集後記に私が不整脈で手術を受けると書いていたことへの感想も書いていた。

《謹啓 医者は銭ゲバなので手術は危険だと思います…。睡眠と少食、冷水シャワー、一日一食、二日絶食などを強くオススメします。お身体をどうかご大切に 謹白》

  植松死刑囚自筆の手紙(筆者撮影)
  植松死刑囚自筆の手紙(筆者撮影)

 写真で見るとわかるように、一度書いたものにあちこち加筆しているのだが、欄外に「叶井俊太郎さんも殺されています!!」と書いているのには、その表現がいかにも彼らしいと失笑した。

 ちなみに、死刑確定者は接見禁止であり弁護人と家族以外の発信は不許可となる。だからこれは私へのメッセージでなく、あくまでも彼が獄中で、『創』という雑誌を読んだ感想を記したものだ。

植松死刑囚が描いたマンガ

 この間、彼が獄中で書いた文章やイラスト、マンガなどは折に触れて『創』で紹介しているが、イラストやマンガについては、彼は大学ノートにボールペンを使って描いている。先に掲げた混沌とした世界を描いたイラストもそうで、「短編マンガ5」という表題のノートから引用したものだ。

 彼のマンガについては以前もこのYahoo!ニュースで紹介しているが、独特の考え方を反映したものも少なくない。最近描いたマンガでは、罪を犯した人間が心神喪失で無罪となることを批判するというテーマで、彼自身の裁判でそこが論点になったことを考えると意味深だ。

 2020年に横浜地裁での裁判で、弁護人が心神喪失・心神耗弱で争おうとした方針に彼は激しく反発し、初公判の後、弁護団を解任しようとした。その経緯は創出版刊『パンドラの箱は閉じられたのか』に詳しく書いたが、彼はその問題をいまでも気にしているわけだ。

 植松死刑囚が描いたマンガ(本人提供)
 植松死刑囚が描いたマンガ(本人提供)

 私がいまだにこんなふうに植松死刑囚に接触しこだわっているのは、言うまでもなく、やまゆり園事件の真相解明が全く不十分だからだ。彼が2015年の夏頃から翌年にかけてあの特異な思想というか妄想に傾倒していくのは、いったいどういう要因があってのことだったのか。その詳細な検証は裁判でもほとんどなされていない。あの凄惨な事件を、この社会はいまだにきちんと教訓化できていないのだ。

 植松死刑囚は、再審請求を棄却され抗告しているが、いつ刑が執行されても不思議でない状況に置かれている。あれだけ社会を震撼させた事件が、きちんとした解明もされずに風化を遂げていくのは本当に残念なことだ。

 ちなみにやまゆり園の写真を撮影してもらった澤さんは、自身で撮影したこの事件のドキュメンタリー映画「生きるのに理由はいるの?」の上映会を各地で行っている。興味のある方は下記へアクセスいただきたい。

https://note.com/solowell_aoba/n/nc37f4ebc345a

 植松死刑囚とは刑確定前に何十回も接見し(多い時は週に3回)、それらの結果は『開けられたパンドラの箱』『パンドラの箱は閉じられたのか』にまとめているので参照いただきたい。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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