樋口尚文の千夜千本 第79夜「七人の侍 〈4Kデジタルリマスター版〉」(黒澤明監督)
『七人の侍』は革新の頂点にして頽廃の始点であった
生前の黒澤明監督は、とにかくバタ臭いひとであった。ぎりぎりとはいえ明治生まれなのに、あの長身でサングラス、それはもう後続のあらゆる監督よりもまず見た目にずばぬけてカッコよかった。東宝の草創期以来、生涯のパートナーであった本多猪四郎監督もかなり長身でスマートだったので、この二人が並ぶとちょっと日本人ばなれした感じがしたが、実際二人が作る映画のタッチはハイカラであった。ハイカラといえば、黒澤監督は毎年あのカラフルな画調でチャーミングなサンタクロースを描いたクリスマスカードを刷っては、そこにわざわざ直筆で署名(これもまた英文)して送ってくださった。それは今も大事に保管してあるが、私はこの世界的な名匠と同じ時代を生きていることに感謝しつつ、いちど黒澤映画のことをちゃんと分析して、何よりさまざまなかたちで映画の面白さを教えてくれた黒澤監督への功徳としたいと思った。
そして数年がかりで黒澤明全作品に用いられた映画技法をすべてノオトに書き出して縦軸とし、次はそのばらばらに拾いあげた技術が、作品間をまたいでどんなかたちで実践されているかの横軸をもって分類、『黒澤明の映画術』という単行本にまとめた。気の遠くなるような作業ではあったが、とにかく本にして黒澤監督に読んでもらうことだけを楽しみに漸く書き上げた。ここまでに三年は要した気がするが、なんたることか脱稿したその瞬間にテレビのニュース速報が黒澤監督の逝去を報じた。この時の脱力感は今もはっきり覚えている。
ともあれこの本は最大の想定読者を喪失しつつも無事刊行され、なにしろ黒澤映画は熱狂的な信者も多いのでマニアックな反論やお叱りにまみれるのかなと覚悟していたが、むしろほとんどが好意的な反応で、大学の映画学の授業の教科書にもけっこう使われていた。そんな次第で、黒澤映画のバタ臭くハイカラな技法の数々をもれなく分析した結果、私がたどりついた結論は、黒澤映画は映画技法の成熟と跳躍の目覚ましい成果であるとともに、映画の頽廃のはじまりでもあったということだ。いや、正確にいえば黒澤明は、映画の頽廃を招きかねない技法のパンドラの匣を開けながら、細心にその頽廃をせきとめていた、というふうに思われる。
そしてそのことを具体的に語るうえでの好例が、このたび4Kデジタルリマスターでまるで新作映画のような綺麗さで蘇った1954年の『七人の侍』である。あえて説明するまでもなく、この作品で画期的と言われたのは雨ふりしきる村を襲撃してきた野武士と、それを迎え撃つ傭兵の侍たちと農民の闘いを、望遠レンズと複数カメラによるダイナミックなカメラワークでとらえ、きわめて臨場感のある細かいカット割りの編集でつないでみせた最後の活劇場面である。今回格段に鮮明でシャープになった画と音で見直すと、昭和29年にして従来の日本映画の静的な構図やカッティングとは断絶したような、ここまで荒々しく迫真性に満ちた画面づくりをやってのけた黒澤演出は当時としてはさぞ突然変異的だったことだろうなと思った。
黒澤は、まだ戦後の貧しい時代の観客に、本作ではうな重にビフテキがのっかったような贅沢な娯楽を供したいといった抱負を述べていたが、このまたしても日本人ばなれした演出の脂質が『七人の侍』の、この名場面ではぞんぶんに堪能できる(本人も晩年までステーキを何枚もたいらげる驚嘆すべき肉食系だったが、そういう資質は映画にも映り込むものなのか!)。だがしかし、ダイナミックで小気味よい画面づくりということであれば、今時のミュージックビデオなどのほうがより意外なカメラワークやてきぱきしたカッティングで『七人の侍』を凌いでいるのではないか、という意見だってあり得よう。だが、そんな演出はお化粧されたこまぎれの「映像」に過ぎず、さまざまな物語展開の関係性を背負った「映画」にはならない。では、こんな歯切れはいいが線香花火のように儚いミュージックビデオ的な「映像」と『七人の侍』の決戦シーンを隔てるものは何だろうか。
それは念入りなうえにも念入りな設定の関係性の「刷り込み」である。総尺3時間20分にも及ぶ『七人の侍』は、農民が野武士対策のために行脚して、多彩な剣豪たちをスカウトしてまわる前半と、農民が侍たちを村に連れ帰り、作戦を練っては戦闘に及ぶ、というプロセスを反復する後半からなる。そして黒澤明は、あのみんなが感激する最後の戦闘シーンを最大限にダイナミックにするために、ひじょうに丁寧に戦闘の舞台となる村の地理や戦闘に加わる人物たちを解説してみせる。さらにダメ押しとして、そんなところへ野武士が来襲し、侍と農民が第一次の応戦を試みる。ここにおいて、観客は村にどんなスポットがあって、どんな人員が配置されて、しかも実際にはどんな戦闘状況になるのかまでも、一度通しで刷り込まれるのである。
この噛んで含めるような、後半ほとんどの時間を割いた「刷り込み」を経て、われわれは漸くあのラストの大迫力の戦闘のカオスにたどりつく。もしなんのお膳立てもなく、このシークエンスだけを観たら、それこそ今でいうミュージックビデオ的なお化粧にしか見えないかもしれない。しかし、黒澤の入念な「刷り込み」を経ると、われわれはこの最後の闘いでどんなに荒っぽく、かつ小刻みな画を見せられても、どこで誰がどんな事態に陥っているかが理解できるので、ちゃんと「映画」としてのカタルシスを味わうことができるのである。逆にいえば、この映画全体からするとさほど長くはないアクションシーンを成就させるためには、その前提としてこれほど時間をかけて設定や物語の「刷り込み」を施すことが必要なのだと黒澤は留意しているのだ。
このマルチカメラによる視点のカオス化は、こうして厳重なる「刷り込み」の延長で一瞬だけ用いるくらいでないと「映画」ならぬただの気分的な「映像」になってしまう。自らマルチカメラを導入し、作風の旗印として幾度も活用していた黒澤だが、本当に恐れ入るのは、この蠱惑的な技法のもつ怖さについて誰より自覚的であったということだ。「この手法を押してゆくと、映画とは今まで以上に〈編集室の作品〉ということになるのだろうが、しかしこれを安易に使い出したら映画の様式は滅びますよ。映画ではなくなってしまうだろう」(『黒澤明・私の作品』)と後年黒澤は述べている。
ここまで繊細に技術の功罪について意識的だった黒澤にしてみれば、『七人の侍』の名シーンは、言わば「映画の様式が滅びる」手前のぎりぎりのところで、マルチカメラという麻薬をおそるおそる試したテストケースだったに違いない。さらにそれに際しては、「映画は映画でなくなってしまう」ことがないように、入念なうえにも入念な前段の「刷り込み」をもって備えた、というわけである。だが、残念ながらマルチカメラの活用はほとんどの場合、こんな深慮をなされぬまま模倣され、以来膨大なこけおどしの「映像」が生み出され続けたのであった。したがって、日本映画史に永遠に刻まれようこのシークエンスは、映画技術の革新的な高みであったと同時に、以後多くの「映画」が「映像」に堕す頽廃の始点であったとも言えるだろう。マルチカメラのほかに、たとえば剣豪に斬られた狼藉者がスローモーションで倒れて絶命する瞬間の処理なども、然りである。
とまれ本作を考古学的にではなく、こうして現在につながる作品として鑑賞できたのも、このたびの4Kデジタルリマスターがあたかも新作のような鮮やかさを復元してくれたおかげである。そして何よりデジタル修復の恩恵により、画のみならずあれほど活舌が悪いとされた三船敏郎の台詞が実は早口なのに極めて聴きとりやすかったというのも、今回の驚くべき収穫であった。