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樋口尚文の千夜千本 第61夜「地獄の黙示録」(フランシス・フォード・コッポラ監督)

樋口尚文映画評論家、映画監督。
(写真:ロイター/アフロ)

ハリウッド・ムービーズ・ドーント・サーフ!

かつて大森一樹監督がどういう文脈であったかは忘れたが、ずっと楽しみにしていた「観たい映画」は、映画館で鑑賞した後は「観たかった映画」になる、ということを語っていた。「観たかった映画」がまた改めて「観たい映画」になることはそんなには無いことだ。しかし、私がこれまでさまざまな映画を観てきたなかで、「観たい映画」が鑑賞後も「観たかった映画」にならぬまま、ずっと「観たい映画」であり続ける、という稀有な例がほんの数本あって、『地獄の黙示録』はその筆頭格と言えるだろう。

そもそもあまたの公開作のなかから熱烈に皆が「観たい映画」にエントリーされることだって難しいことなのだが、当時『地獄の黙示録』は幾年にもわたって「観たい映画」であり続けた。あんな経験も他にはないことだ。というのも、『ゴッドファーザーPART2』でアカデミー賞を獲った頃からすでに『地獄の黙示録』はいろいろな記事で話題になっていて、1976年春から開始された撮影のもようがすでに同年の映画誌のカラーグラビアで紹介されていた。そこにはスティーブ・マックィーンやジーン・ハックマン、ロバート・レッドフォード、ハーヴェイ・カイテルといったスタアから新鋭まで凄いキャスト名が並んでいて、いったいこれはどんな映画なのだろうと期待が膨らんだ。

だが、当時人気沸騰の『タクシードライバー』で映画ファンたちが名前を覚えたハーヴェイ・カイテルがすぐに降板したとか、その代わりに主役のウィラード大尉に抜擢されたのはテレンス・マリック『地獄の逃避行』で主演していたマーティン・シーンになったとか聞いては、驚いたりしていた。マーティン・シーンは当時ほとんど注目されていなかったけれども、リンダ・ブレア共演の『ふたりだけの森』(テレビ映画だがリンダ・ブレア人気にあやかって地味に劇場公開された)や美少女時代のジョディ・フォスター共演の『白い家の少女』といったややチープながら当時の映画ファンにとってはちょっと思い出深い作品に出ていて、決して嫌いではないが『地獄の黙示録』のような恐るべき大作を担う主役とは到底思えなかった(当時出ていた中で唯一オールスタア大作だった『カサンドラ・クロス』でもあくまで癖のあるバイプレーヤーであった)。

『地獄の黙示録』前半には端役ルーカス大佐(!)としてまるで無名の若々しいハリソン・フォードが出ていて、コッポラはウィラード代役には彼も候補に挙げたらしいから、もうネームバリューのある俳優ではなく、この困難な撮影にしぶとく付き合ってくれる若い人材がとにかく欲しいと思っていたのかもしれない(もっともこれに出ていたら、同時期撮影の『スター・ウォーズ』のハン・ソロは別人になっていたことだろう)。しかし、撮影は一年以上に延びまくって77年夏までを費やし、その過程でマーティン・シーンが心臓麻痺で倒れたとか、ラスボスのカーツ大佐に予定通り起用されたマーロン・ブランドが撮影現場をひっかきまわしているらしいとか、どんどん『地獄の黙示録』の噂はぼくらをかきたてた(これがSNS時代であったら、もう撮影そのものがじゅうぶんにエキサイティングな宣伝の役割を果たしていたことだろう)。この激しい予算超過と引き換えのスケジュール遅延の過程で、『ゴッドファーザーPART2』で大抜擢されたデ・ニーロとマイケル・チミノ監督が組んだベトナム映画『ディア・ハンター』が不意に現れて話題をさらったり、くだんの『スター・ウォーズ』も何ら期待されずに完成した後、世界的な興行的「事件」を巻き起こしていた。

たぶん凄まじい分量の素材を撮ったであろうし、脚本はあれどどう構成してゆくかは根っこから問い直されたはずで、編集には2年を費やし、それでもまだ未完成と言われたバージョンを79年のカンヌ国際映画祭に出品したところ、フォルカー・シュレンドルフの『ブリキの太鼓』と分け合うかたちでパルムドールを(大いに物議とブーイングを醸しながら)獲った。その夏が全米公開で、日本公開はさらに半年おあずけで翌1980年2月のことであった。ちょうど日本映画では長谷川和彦監督『太陽を盗んだ男』が公開されて、これは凄いと興奮しまくっていた数ケ月後にようやく念願の『地獄の黙示録』にありついた。そういう70年代的なヤバい香りのたちこめる両作だが、確かNHKで当時コッポラと長谷川ゴジ監督、村上龍が鼎談する番組があって、嬉しく観た記憶がある。

いったい何年待たされるのかという感じだった「観たい映画」のカリスマたる『地獄の黙示録』だが、その見せ方もインパクトがあった。私は日比谷映画街にあった有楽座というクラシックな大劇場が好きだったが、そこで70ミリ版を観ようとしたら演劇のように全日程が座席指定になっていて、売り切れ続出であった。ようやくチケットを手に入れて劇場に行くと、「本作はフィルム・オペラとして見せたいという監督の意図から作品のタイトルカットも、キャスト・スタッフのクレジットも付いていません」と注意書きのあるキャスト・スタッフ表が紙で渡された。こんな事は何から何まで初めてだった。こうして期待で昏倒しそうなくらいの感じで、『ゴッドファーザーPART2』から5年ぶりに同じ有楽座のスクリーンで『地獄の黙示録』に会いまみえた。

以来、私は再映のたびにさまざまなスクリーンで『地獄の黙示録』の種々のバージョンを観た。ご存知の向きも多いとは思うが、『地獄の黙示録』には大きく言うと3つのバージョンがあって、私が最初に観たスタッフ、キャストクレジットのない70ミリ版、その同じ内容で最後にカーツの砦が空爆炎上するさまを背景にクレジットが付く35ミリ版(当時全国の多くの劇場で公開されたのはこれだった)、さらに53分に及ぶ未公開カットが追加され全体に細部も編集が変わっている2001年の『Redux=特別完全版』。テレビ放映の際にはこの折衷版も存在するが、まあ大きくはこの3つだ。私はこれらをテアトル東京、日劇、松竹セントラル、シネヴィヴァン六本木といったさまざまなタイプのスクリーンで観てきて、『特別完全版』の時などは三原橋にあったヘラルド試写室で字幕の戸田奈津子さん、おすぎさんと三人で観ていた・・・などということもあった。

だが、こういった数々のスクリーンとバージョンの掛け算で『地獄の黙示録』を観てきたものの、自分にとってのこの作品は最初の「フィルム・オペラ」(最初にそう呼んだのは撮影のヴィットリオ・ストラーロらしいが)を標榜した70ミリバージョンしかあり得ないのだ。その巨大さと、それにまるで似合わない実験性のミスマッチな同居を最も感じさせてくれるバージョンとして・・・。『地獄の黙示録』を20回以上は観ていて「圧倒的ファン」であることを認めている村上春樹が、やはり最初の70ミリ版を観て「これはコッポラのプライベート・フィルムであり、極端に言えば学生が集まって作った16ミリ自主映画と根本的に変わらない気がする」という趣旨のことを書いていたのは、実はまだ高校生の自主映画少年であった自分が初見時に感じたことと全く一致するのだった。私が何よりショックを受けたのは、このばかでかい規模の、ただひたすら映画という表現の要する「蕩尽」ぶりを畏怖とともに眺め続けるような映画体験が、本当に8ミリ、16ミリの「個人映画」としか思えない構えをもって実現されていたことだ。この何たる浪費、何たる恣意性。

あの口当たりよい『ゴッドファーザー』のテクニシャンぶりはすっかり崩壊し、ここにあるのは紆余曲折の撮影工程が生んだ青写真を逸脱しまくった撮影素材と、さらにその大海のごとき素材をどう編集して決着めいたものに導くのか、というコッポラの悶々とした試行錯誤のみであって、ほぼコッポラが自分でも何がしたいのか判らなくなっているふしがある。したがって、この作品は大人しいテクニシャンの域にないどころか、もう乱調と言うほかない。それは破格の美というようなことにおさまるものではなくて、もうこの映画をどう成立させればいいのだろうと悶絶し、ずたずたボロボロになっていく傷ましくも切実な過程そのものに伴走させられる感じなのだ。物語中には指揮官不在で殺戮が続いている戦場の狂気なども描かれ、本作をベトナム戦争を批判した痛烈な社会派作品のように思った向きも多かろう。だが、ジャーナリスティックに何かとタメにしたがる評論家や記者の騒音は排除して本当にこれはそんな映画なのか?と正視してみてほしい。

ここにあるのはベトナムの狂気などではなくて、コッポラの狂気である。コンラッドの『闇の奥』とベトナム戦争をクロスさせて一種神話的な物語をこしらえようとジョン・ミリアスと企てたはいいが、その脚本も撮影中にはどんどん変わって行き、そこに俳優たちの自己主張やわがままや事故、セットが壊れる天災や協力を仰いだフィリピン軍が実際の内戦に駆り出されて稼働しなかったり、映画ならではの猥雑な外的条件の変数が加わり、コッポラはやがて「何をやりたいのか全くわからない」境地に達したという。密林ロケに持ちこんだ黒澤『七人の侍』を繰り返し観たり、三島由紀夫『豊饒の海』をさんざん読んだりしながら、戦争の本質について思想的にではなくあくまでコッポラの体感として映画的にとらえ返そうとするものの、どうしていいのかわからない。そんな歩きながら当て所もない思索に耽るようなことを、学生の自主映画ならよくやるが、こんなに刻々と巨費を喰らい続ける大作でやる監督はいない。

この延びに延びた撮影を終えはしたものの、きっとコッポラはその編集時に再度「何がやりたいのか全くわからない」状態に陥ったに違いない。暗示的イメージを二重三重にかさねる、ディゾルブを多用した編集は導入部や結末部ではかなり奏功しているが、案外と中盤あたりの編集などはぞんざいなほど単線的、解説的であったりする(ド・ラン橋の挿話のいくぶん夢幻的なつなぎは、映像の時空感覚のユニークさとも合わさって素晴らしいが)。そんなムラのある編集に、ドアーズの『ジ・エンド』はじめさまざまな既成楽曲がパッチワークじみた引用を施されるのが、またひじょうに学生映画のノリである(時としてカーマイン・コッポラによるホルスト『惑星』みたいな若干チープなシンセ音楽などもくっついているのだが、あれなどは当初音楽担当をオファーされていた冨田勲の影響だろうか)。

だが、こういうぎくしゃくした部分さえもが本作にあっては監督がもんどりうって悩んでいる過程そのもののようであり、終盤に連れて観客はいったいぜんたいこの話にどう決着をつけるのだろうと思うことだろう。コッポラは撮影中に現地でたまさか屠殺の儀式に遭遇してインスピレーションを感じ、その再現シーンを撮っておいたに過ぎないのだが、「なぜこの映画を撮っているのか」さえ判らなくなっている監督は収拾の策に事欠き、屠殺の儀式の撮影素材をエイゼンシュテインの『ストライキ』の編集にあやかって挿入し、ほとんど力技で強引に締めくくってみせる。この前後の暗殺されるマーロン・ブランドとマーティン・シーンもなんと各人別撮りされたと言うし、大詰めの一連のシークエンスは全体として編集技巧で荒っぽく乗り切っている感じがする。この幕切れには、多くの観客がきょとんとしたことだろう。

しかし、本作をこの乱調のかどで腐しても全く意味がないだろう。コッポラは、戦争の狂気をフィルムで描けないかと煎じ詰めるうちに途方に暮れて、作品はどんどん巨大な空洞のようになっていった。それはどうしようもなくその無意味さへなだれこんで行ったということであり、そこにもっともらしい主題や物語が見い出せないことに怒るのは筋違いであろう。われわれが『地獄の黙示録』を観るという体験は、したがって「何を描くべきかわけがわからなくなった」コッポラの映画的思索に伴走することであって、監督さえ処置に困っているのだからわれわれが観てもひたすら「わけがわからない」だけである。

そして、その事によって『地獄の黙示録』はわれわれに何かを決着させるでもなく、永遠に続く謎解きのように「観たい映画」であり続ける。この作品を観るという体験は、したがって「観たかった映画」を反復することではなく、常に「観たい映画」としてフレッシュに出会い、あの「わけのわからない」映画の闇の奥への遡行に連れまわされることなのだ。加うるに、『地獄の黙示録』の蠱惑的なところはこんな学生の自主映画じみた試みを空前の規模でやってのけたことで、その豪奢さとでたらめさは映画表現のエッセンスでもあろう。『詩人の血』や『アンダルシアの犬』のサイズ感でやるべき思索と実験を『イントレランス』の規模でしでかしてしまった何かの間違いが、『地獄の黙示録』の醍醐味をもたらしている。

映画評論家、映画監督。

1962年生まれ。早大政経学部卒業。映画評論家、映画監督。著作に「大島渚全映画秘蔵資料集成」(キネマ旬報映画本大賞2021第一位)「秋吉久美子 調書」「実相寺昭雄 才気の伽藍」「ロマンポルノと実録やくざ映画」「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」「黒澤明の映画術」「グッドモーニング、ゴジラ」「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」「女優 水野久美」「昭和の子役」ほか多数。文化庁芸術祭、芸術選奨、キネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、日本民間放送連盟賞、藤本賞などの審査委員をつとめる。監督作品に「インターミッション」(主演:秋吉久美子)、「葬式の名人」(主演:前田敦子)。

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